アガートラームの城門が開かれたのは翌日の明朝だった。


 夜とともに一時休戦となったが、翌日夜明けとともに攻撃は再開された。公国軍6000が到着した
こともあり、城壁からの砲撃はなく、アプブラウゼン侯爵軍をおそったのは公国軍とプロイセン王国
軍の騎兵だった。それとともに城門が開かれ、ばらばらになったアプブラウゼン侯爵の軍を城壁内
にいた歩兵が完全に粉砕した。

 その数時間後には城壁にフォンデンブロー女公であるが立ち、終戦を宣言することで一応
戦闘は終結をみた。 



 はフォンデンブロー公国の主としてプロイセン王国フリードリヒ2世と1年期限の軍事同盟協
定を結び、アプブラウゼン侯爵領への制裁に乗り出すプロイセン王国を援助することを決定した。

 これによりプロイセン王国軍はアプブラウゼン侯爵領へと侵攻を開始、公国軍はその補助的な役
割として補給線の管理と戦傷者の運び出しを担うことになる。




「・・・・酷い、」





 プロイセン王国軍やフォンデンブロー公国軍とともにアプブラウゼン侯爵との会談の行われていた
ベンラス宮殿に入ったは、自分が連れていた公国軍が虐殺された姿を見ることとなった。イ
ギリス代表のモンマス公は無事で、何人かのフォンデンブロー公国の将軍や要人を匿っていたが、
ベンラス宮殿の前庭に配備されていた軍は半分以上が殺されていた。





「彼らの身元を出してください。家族に知らせた上で、・・・・最大限の便宜を図ります。」






 のミスが、彼らの死を生んだと思えば身を焦がされるような思いが広がる。だが、
できるのは彼らの死を絶対に忘れず、前へ進むことだ。そして、残されたものが飢えないようにして
やるだけ。

 公国軍側の将校は深々と頭を下げて、退出して行った。


 ベンラス宮殿へと入った時、公国軍が虐殺されたことに心痛めたが、その反面朗報もあった。





様、大丈夫ですかな。」





 アルトシュタイン将軍が、生きていたことだ。酷い怪我ではあるが、モンマス公に匿われた彼は何
とか生き残っており、何人かの将校をつれてすぐに公国軍へと戻った。


 は軍事についてろくに何も知らない。しかし、軍事的な権限を独占しているため、有能でな
れた部下は必要だった。アルトシュタイン将軍は市民出身であるとともにもうかなりの年齢で、長ら
く公国軍を指揮している。

 権限を持つのはだが、実質的に指揮する人間で、彼以上にうってつけの人間はいなかっ
た。






「あなたがご無事で、本当によかった。」






 ベンラス宮殿でアプブラウゼン侯爵軍に襲われた時、を銃弾から庇い逃がしてくれたのは
彼だ。崩れそうになったを叱咤し、がアガートラームに逃げるための足がけを作った。
だからこそはこうしてプロイセン軍をつれて戻ってくることができたのだ。

 フォンデンブローの森と同じ色を写した瞳を、再び見ることができては安心した。の父
はアプブラウゼン侯爵だが、母の不義の子であるために実質的には血が繋がっておらず、常に疎
まれてきた。だが、優しく、時に厳しいアルトシュタイン将軍のことを、は慕っていた。

 まるで父か祖父のようだと言えば、彼はたぶん笑うだろう。






「いえいえ、まだまだ若い奴らには負けますまい。」





 ふふっと笑って、肩をすくめるが、体には包帯がたくさん巻かれているはずだ。

 多数の銃弾をその体に受けていることは事実で、本来ならつらいだろうに、彼はを思って無
茶をしてくれている。今、もう一人の重鎮であるシュベーアト将軍は議会の議長でもあるため、首都
のヴァッヘンを離れるわけにはいかない。女公であるがいないのであればなおさら彼がいな
ければ困る。

 だからこそ、公国軍を指揮できる人物がいるのはありがたいことだった。





「あー、おもしろくねぇな。」





 ソファーに足を組んで座ったまま、地図を見ながらそう呟いたのはアーサー・カークランド卿だ。

 ベンラス宮殿での会談を本来仲裁する予定だったアーサーは結果的にその役目を果たすことが
できず、アプブラウゼン侯爵の攻撃を受けてがベンラス宮殿から銀山の街アガートラームま
で逃げるのを手伝った。そしてまた、アガートラームからまたベンラス宮殿に入る軍についてきた。


 を逃がす際においてきた同じイギリス代表団のモンマス公を回収するためだ。




「何がですか?」





 は彼の前に広げられている地図に目を向けながら、アーサーの前に座る。






「だってこの感じなら、圧勝だろ。プロイセン軍の。」






 少し口をとがらせてそういう彼は、最近に対して完璧にため口になった。口調には威厳の
かけらもなく、たまにがらが悪い。

 逃げられたのは彼のおかげが大きいし、何よりたぶん年齢的にも年上だろうと思うので
気にしていなかったが、モンマス公は気になるのか、部屋の端で申し訳なさそうな顔をしていた。ど
うやらギルベルトとも仲は悪いが旧知らしいので、友人の気分で気にしないことにしている。






「そうですね、オーストリアからの横やりもないようですし、」






 アプブラウゼン侯爵領だけで2万もの兵を集めることは不可能であるため、プロイセンを疎ましく思
うオーストリアが兵を貸したであろうことは明白だ。未だにをフォンデンブロー公爵と認めてい
ない。だが、アプブラウゼン侯爵家の男子がいなくなれば、自動的にフォンデンブロー公爵の継承
権を以上に主張できる人間はいなくなるので、オーストリアとてを認めざる得なくなる
だろう。

 同時にそれは、アプブラウゼン侯爵に死んでもらわねばならないことを意味する。






「不思議なものですね。」





 は目を細めて窓の外を見つめる。






「ここで父母は結婚したというのに・・・・・・・」






 ベンラス宮殿はの母親であるフォンデンブロー公女マリア・アマーリアと父アプブラウゼン侯
爵ルドルフが結婚した場所でもある。母は後妻で、すでに侯爵には前妻との間に嫡男ヨーゼフとヒル
ダがいた。母には、好きな人がいた。彼女はその人物のことが忘れられず、不義の子である
を孕んだ。父は醜聞を防ぐために認知はしたが、を強烈に疎んだ。

 アプブラウゼン侯爵領とフォンデンブロー公国は隣同士であり長らく親戚関係で、ルドルフも公国
の遠縁に当たるが、フォンデンブロー公女マリア・アマーリアの娘であるため、フォンデンブロー公
爵の地位の継承順位はの方が上だ。


 だが、は女で、彼は男だった。ここには大きなつけいる隙がある。


 フォンデンブロー公国はオーストリアとプロイセンという二つの大国に挟まれた場所にある。プロイ
センの将軍と結婚したと、オーストリアから指示を受けたルドルフ。どちらか一方が滅びる運
命だったのだろう。

 歪な、親子だ。






「・・・・・・おまえ、まだ、」






 アーサーがあきれたような声を上げて腰に手を当てる。は首を振った。






「違いますよ。もう話し合いでなんて思ってません。ただ、母はきっとこれを望んでいた気がすると思
って。」







 この期に及んで、肉親の情などともう言わない。

 はフォンデンブロー公国の主として、国民を守る義務がある。国民を傷つけた彼の罪は大き
く、がどれほど助けたいと願おうとも、それは国民が決めることだ。が口出すことが許さ
れることではない。

 ただ、数奇な運命だと思った。






「・・・酷く、不仲だったのです。」





 母は父を嫌って諸国を放浪していた。に深い愛情を与えたと同時に、父には酷く無関心な
人で、どれほど懇願されようとまったく相手にしなかった。





「母はわたしには優しい人でしたが、父を鮮烈に嫌っておりました。」






 死ねくらいは、たぶん思っていたと思う。

 母はのことだけしか考えていなかった。望まぬ結婚を押しつけられ、唯一手に残った自由
が、愛した人との子供であるだったのだろう。たまにその愛は重く感じるほどに、を愛
した。そしてを疎む父を憎んだ。





「政略結婚だったのか。」

「おそらく。よくは知りませんが、カール・ヴィルヘルム公子曰く仲が悪いのは最初からだったそうで
す。」





 もう、20年近く前の話だ。だがその確執が多分《今》を生み出した。

 何故あれほどに嫌ったのかは知らない。は政略的な問題で又従兄弟にあたるカール・ヴィ
ルヘルム公子と婚約することが幼い時に決められていたし、彼が戦争でなくなってからは前の公爵
の意向でプロイセンとの関係改善を目してプロイセンの将軍であるギルベルトとの結婚が定められ
た。

 自分で選んだわけではないが、カール・ヴィルヘルム公子は10以上年上だったため執拗に
にかまうことはなかったが優しかったし、はギルベルトと結婚して最良の伴侶を得たと思って
いる。だから、母がどうして父をあれほどに嫌っていたのかを知らない。

 先の恋が捨てられなかったのだろうか。





「もし、男児ができていれば、こんなことにもならなかったでしょうに。」







 はすっと目を伏せる。

 もしも仮に母と父の間に男児が生まれていれば、が後継者としてあげられることはなかっ
ただろう。不仲でなければ、は今ここにたっていることはなかったはずだ。

 愛情は二の次だとよく言われる。

 けれど、この歪な関係を生み出したのは間違いなく、20年近く前の不仲だった。









  取り戻せない時間をどうしたら手に入れることが 出来る?