アーサーはイギリス本国からしばらくフォンデンブロー公国に駐在し、ことの成り行きを見守
るように命じられた。フォンデンブロー公国がどう動くかが知りたかったのだろうが、別に目立
って問題はない。
と近しくなれたおかげでイギリスとの関係は全く変わりそうにないし、個人的にも関係
を結べたためいろいろな取引が非常に楽になった。
要するにイギリスとしての国益にかなっているといえる。
フランスが宿敵である限りは、ハノーファーの隣に飛び地を持つフォンデンブロー公国と仲良
くしておくことは大きな利益を生む。そして何より、は穏やかでまったく声を荒げること
もなく控えめなので、多少アーサーが横暴を言っても許してくれた。
「・・・もうすぐアプブラウゼン侯爵領全土がプロイセン王国の支配下に戻るようですね。」
はプロイセン王国軍からの伝令の手紙を見て一つ頷いた。
プロイセン軍がアガートラームから出発して一週間半が経過している。もうそろそろアプブラ
ウゼン侯爵領のような小さなところ、占領を終えてもよい頃だろう。ただ、どうやらアプブラウ
ゼン侯爵自体がまだ逃げているらしく、優秀なプロイセン軍も彼をとらえるのに苦労しているら
しい。
「そりゃそりゃ結構なこった。早くアプブラウゼン侯爵捕まえねぇとつかねぇけどな。」
アーサーは執務机の前のソファーで自分用の紅茶を入れていた。
この国はケーキがうまい。イギリスよりはどんな食事でもましだと彼女の近くにいつもいるひ
とりのプロイセン軍将校に罵られたが、気にしないことにした。当然茶葉はイギリス本国から贈
らせた品だ。おいしい紅茶とケーキ。最高である。
「・・・やっぱり、処刑されますよね。」
は少し悲しそうな顔で尋ねるが、そりゃ当然だろう。
「あんなぁ、謀反は重罪だぞ。」
プロイセンの臣下でありながらプロイセンに逆らって勝手にギルベルト暗殺まで企て、挙げ句
の果てに他国にまで攻めに入ったのだ。処刑されて当然の罪がある。国王だけではなく、国に対
しての反逆だ。おそらくギルベルトが国であるとは知らなかっただろうが。
「茶、いるか?」
「あ、お願いします。」
は書類を見ながら丁寧な口調で頷いた。
「父親とか言ってもろくに一緒に暮らしたこと、ねぇんだろ?」
すでにアーサーもが母に連れられて諸国を放浪しており、多くの場合イギリスやハノー
ファー、母の実家であるフォンデンブロー公国に滞在していたことは聞いている。父親であるア
プブラウゼン侯爵との接点は小さなものだろう。疎まれていたとも聞いている。
「そうですが、やはり一応父ですから。」
肉親という情が捨てられないらしい。は考えるように窓の外を見て、それからふと自分
のおなかに手をやった。
「食事、してないんじゃないのか?」
アーサーやアルトシュタイン将軍、などの高位の地位を持つものたちは基本的に同じ席
で食事をすることも多々ある。話し合いもかねてなのだが、朝が口にしたのは果物と少し
の飲み物だけで、ポテトやブルストなどはすぐに遠ざけていた。
「そうなんですよね。最近体調がよくないんです。」
は困り顔で肩を回す。ずっと執務机に座って判を押したり、書類を確認しているから肩
がこっているのだ。
「夏場に風邪を引くなんて、ないんですけどね。」
「もう秋だぞ。体は強いほうか?」
「そうですね。二年ほど前の冬に熱を出しましたが、その前は・・・5年前くらいですか・・・ね」
「そりゃめちゃくちゃ健康だな。」
アーサーは紅茶を口に含みながら、少し感心する。
気は弱いが体の方はずいぶん強いらしい。この時代衛生状態もあまりよくないので病を得るな
どと言うことはよくあるし、そもそも得てしまえばなかなか治癒しない。切開手術などの技術は
ほとんどないので、死を待つのみという状況もよくある。発熱などもよくあるはずなのだが、
は数えるほどしかないようだ。かなり体が強いと言える。
正当な公爵は一人で、彼女が死ねばアプブラウゼン侯爵が一番の継承者候補になるのだ
が、基本的にそんな事情など誰も話さないくらい、公国側はあまり心配していないようだった。
その原因の一番はが健康であることにあるのだろう。
女であれば戦場に出て行くこともない。出産ともなれば危ないだろうが、それがあるまでは誰
も病気での死を危惧していないのだ。
「ま、ちょっと休んでもいいと思うぞ。どうせ後はギルベルトの帰りを待つだけだろ?」
は書類の処理をしているが、それは部下たちに振り分けてもよいもので、がやる
必要はない。
だが、彼女はまじめだ。
「でも、もう少しやってからにします。」
「おいおい、紅茶が冷めるぞ。」
アーサーが諫めるように言うとやっと書類から目を離した。
「休憩も大切だ。」
「・・・・わかりました。」
少し不服そうな様子で執務机から離れ、アーサーの前のソファーに座る。
ベンラス宮殿の内装は決して派手ではない。だが落ち着いていて、今はやりのフランス式の華
々しさはないが、アーサーからしてみれば落ち着く宮殿だった。
「秋になってもうそろそろ寒くなるのだから、気をつけた方が良いぞ。」
あと1ヶ月もすれば雪が覆うだろう。雪が降れば軍も動きがとれない。プロイセン軍は国境が近
いので国に戻るだろうが、アーサーは多分フォンデンブロー公国で年を越すことになるだろう。
馬車で雪の中を進むのは骨が折れる。
「あ。ミルクティーですね。飲みやすい・・・・」
は小さな息を吐き、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
「あぁ、食事をしてないから、少しでも腹に入るものが良いだろう?」
アーサーは笑いながら、彼女を気遣う。
「・・・最近においのきついものがだめなんですよ。チーズとか・・・、食べたいのに・・・」
唇をとがらせる彼女はまるきり子供だ。
まだ17歳だと聞いている。ギルベルトと結婚したのは14歳の時で、政略的な意図が強かったが
お互いを見る限りどうもうまくいっているようだ。噂は聞いていたが、ここまで仲が良いとは驚
きだった。特定の相手を作らなかった、あのギルベルトが、だ。
国家であるため、本気の恋愛は難しい。それが悲劇で終わることが多いからだ。
同じ国家同士でもうまくは行かないものだが、人であれば寿命も短く、すぐに死んでしまう。
またお互いのあり方が理解できずに離れることもしばしばあった。
どちらの条件もクリアしたとしても、フランシスのように酷い死が待ち受ける場合もある。
「今が、一番幸せな時期かもな。」
アーサーは彼女に気づかれないように小さくつぶやいた。
はギルベルトが国であることを知らない。人として地位を得て、人として共に歩めると
思っている。彼女はまだ若いから彼が年をとらなくても後数年は気づかないし、人間相手であれ
ば子供も作れるので、問題ないだろう。しばらく、幸せを貪れるはずだ。
だが、終わりは必ずくる。彼はどうするのだろうか?
もう数百年も前、フランスのために身を捧げた少女を思い出す。綺麗で勇敢な少女は、フラン
スのために戦い、そして死んだ。彼女はフランシスを心から愛していたし、きっとうまくいった
だろう。でもだめだった。
戦乱の時代。彼女を国のため手にかけたのは、あろうことかアーサーだった。
のように気弱ではなく、軍隊の戦闘にたって戦うような少女だった。強い瞳は今でもア
ーサーの悪夢の元で、眼前から離れてくれない。
アーサーは目の前の紫色の瞳をした少女を見やる。亜麻色の長い髪の彼女は決して強くはない
が、優しくて穏やかさを愛している。だが今のヨーロッパは争いの余韻と次の大きな戦争への前
兆におびえている。彼女の国とてこれからどうなっていくのかわからない。
でも、今度こそは、どうかうまくいってほしい。うまくいくと、信じたい。
「ま、ギルベルトが戻ってくるまでに体調は整えておかないとな、あいつ馬鹿みたいに若いから。」
アーサーがにやりと笑うが、彼女には揶揄した意味がわからなかったらしい。不思議そうに首
をかしげたところから、彼女があまり恋愛経験がないことを知る。
イギリスの貴族も含めて、貴族は面目をつぶさない限りは浮気だって許される。だが、彼女は
そういったことにとことん疎そうだった。ギルベルトは遊んでいた時期もあるが、根が案外まじ
めで、きっと彼女と結婚してからは外遊びもやめただろう。それでなくとも溺愛しているのだ。
「もう17歳なら、子供ももうそろそろだろうしな。」
「・・・・皆同じことをおっしゃるんですね。」
淡く頬を染めて、恥ずかしそうには目を伏せる。
あまり早い妊娠は体を壊す元となるので望まないが、もう17歳ともなればもうそろそろ体も女
として整ってくる時期だ。皆思うことは同じだろう。
「なんだ。まぁ、ギルベルト二号は微妙だけどな。」
「え、いえ、そ、そういうわけでは、ないですよ。」
ちゃかすように尋ねれば、彼女は慌てて否定する。冗談を真面目に返してくる彼女がおもしろ
くて、アーサーは笑った。
それでもやがて訪れるであろう終焉の間際で 美しい彼女は 美しい恋をしている