アプブラウゼン侯爵ルドルフを捕らえたのは、アプブラウゼン侯爵領を完全に占領して数週間 後のことだった。



 オーストリアとの国境近くの農村に隠れているのを、農夫がプロイセン軍につきだしたのだ。

 度重なる戦争のための重税に苦しんでいた農民たちは自らの主を見限っていた。フォンデンブ ロー公爵であるが国民からの絶大な支持を受けるのと反対の事態に、プロイセン王国側は 失笑を隠せなかった。



 ルドルフはプロイセン王国の判事の裁判の末、国王への反逆とプロイセン国王の許可なきフォ ンデンブロー公国への独断での侵攻を理由に、死刑が求刑された。数日後には彼はベンラス宮殿 からほど近いプロイセン王国とフォンデンブロー公国との国境線上で公開処刑にされる予定だ。

 ギルベルトはアプブラウゼン侯爵がつながれている牢へと足を運んだ。

 前見た時オールバックにしていた白髪はすでにばらばらになり、青色の瞳だけがぎらぎらと光 っている。もう50は過ぎているだろう。と近しい縁はない。だが一応遠縁に当たるので僅 かなりとも血の繋がりはあるはずだが、そんなもの一切感じさせない。





「無様だな。」





 ギルベルトは敗者にそう吐き捨てた。





「当然の報いだ。を、殺そうとして・・・」





 ギルベルトにとって、彼がを殺しそうとした罪は大きい。確かに妃の不義の子であるもとは血は繋がっていないが、それでもは彼を父として慕っていた。その彼女を駒とし て使い、ギルベルトを暗殺させようとしたり、さんざん利用しようとした上に、邪魔になったら 殺そうとする。

 その非道さがどうしても許せなかった。






は、あんたのことを、本当の父親のように、思っていたのに、」






 罪悪感で揺れるを、ずっとそばでみてきた。

 はギルベルトを殺すことはできないからとギルベルト暗殺計画を国王へ密告した後も父 の処分を緩くしてくれるように国王に頼み、彼のために奔走した。罪悪感にうちひしがれ、食事 もままならなくなるほど、悩んだ。

 己を捨て駒にした父親など放り置けばよい。そうギルベルトは心の中で思っていたけれど、そ んなことを彼女の前で口にすることができないほどに、彼女は血の繋がらぬ父親を思っていた。 なのに、その仕打ちが彼女が国を継いだと同時に彼女から搾取することだったというのならば、これほどに酷いことはない。

 ギルベルトは男を睥睨したが、彼は自嘲気味に笑うだけだった。





「彼女は、私に何も与えなかった。」




 アプブラウゼン侯爵ルドルフは力なくそう言った。






「彼女?」

「・・・マリア・アマーリア、だ」





 の母、フォンデンブロー公女。彼女は知る人曰く美人であったが、アプブラウゼン侯爵 を愛さず、愛した別の男とを作ったという。





「前の妻を離縁してまで欲したというのに、彼女は全く応じなかった。」






 ギルベルトに独白のように彼は言う。





「・・・そしてあろうことか、まで作った。」





 ルドルフは多分、の母マリア・アマーリアの事を愛していたのだろう。だが、彼女は絶 対に彼を愛さなかった。彼女は最後の瞬間まで、自分の愛した男と、自分の娘しか見ていなかっ た。そしてルドルフは許しはしなかった。




「何故、の母は、自殺したんだ。」




 ギルベルトは長らくの疑問を突きつける。

 あまりにも突然の自殺。彼女はほとんどアプブラウゼン侯爵領に帰ることもなく、悠悠自適な 放浪生活をとともに過ごしており、それを既に十数年続けていた。夫との関係に苦しんで いたならば、もっと早く自殺していたはずだ。

 また、のことを大切に思っていたという話を聞く限り、マリア・アマーリアは世間知ら ずのお嬢様ではなく、唯一の後見人である母親がいなくなれば、が粗雑に扱われるとわか っていたはずだ。なのに、何故死を選んだのか。

 ギルベルトには、どうにも納得が出来なかった。





「・・・」





 ギルベルトの問いに、ルドルフはぐっと唇を噛んで表情を硬くした。






「理由があるのか?」

「そうだ。」






 ルドルフはあきらめと憤りが混ざったような複雑な表情で、頷く。





「あの女は、身籠もったんだ。」






 彼の声音は、悲しみに溢れていた。

 自殺する数ヶ月前、アプブラウゼン侯爵領に母とは戻っていた。その時に彼女は身籠も ったのだ。それはおそらくアプブラウゼン侯爵ルドルフの子供だったのだろう。明確に誰の子か それは誰にもわからないときがあるが、少なくとも彼女はそう考えていたのだ。






「・・・マリア・アマーリアにとって、以上に、重いものはなかった。」






 泣き出しそうなほど、悲痛な声だった。

 マリア・アマーリアがアプブラウゼン侯爵との子供を作りたくなかったのか、それとも を慮って自殺を図ったのかはわからないが、話の流れから、ルドルフの考えは正しいだろう。

 仮にアプブラウゼン侯爵とマリア・アマーリアの間に男の子が生まれれば、のフォンデ ンブロー公国の継承順位は一歩下がることになる。男性が優先されるのは世の常だ。そうすれば それでなくとも疎まれている不義の子であるの立場はますます難しくなる。

 マリア・アマーリアにとって、愛しい人との間に生まれた以上に大切な存在などなかっ たのだ。自分の命よりも、何よりも、を愛していた。





「なんで、」





 ルドルフは頭を抱えてそう口にした。

 彼は子供がマリア・アマーリアとの関係の改善の手段となると、信じたのだろう。だが、そう 思って作った子供は、彼女の命を奪った。彼が誰よりも愛したマリア・アマーリアは、彼など見 ていなかった。家のために捨てざるえなかった愛と、その結晶であるだけを、強く抱いて いた。



 彼女にとっての、愛の証だったから。




 ルドルフはを嫌った。マリア・アマーリアに確かには似ていたが、その紫色の瞳 が憎かった。彼女が愛した男が誰かを、ルドルフは知っていた。彼と同じ瞳をしたが憎く て、その暗い色の瞳が憎々しいとよくに言った。

 その空気を感じてか、前妻との間に作った子供達もを疎むようになった。特に酷かった のが娘のヒルダだ。年の離れた異母妹をヒルダは罵り嫌った。ヒルダはが3歳の時に暴力を ふるっての額に大きな青あざを作った。するとマリア・アマーリアは娘を連れてフォンデ ンブロー公国に戻り、イングランドやハノーファーを行き来しながら、アプブラウゼン侯爵領に 近づかなくなった。

 多分、娘のためだった。アプブラウゼン侯爵領に留まることが娘のためにならないと考えたの だ。

 ならば、彼がを愛せば良かったのだろうか。そうしたら、マリア・アマーリアはもう少 し自分のことを見てくれたのだろうか。彼女の子供であっても、似た髪の色を持っていても、彼 女の唯一愛した男と同じ色の瞳をしたを、愛することなどできただろうか。できるはずが ないのだ。

 そして、ルドルフの問いに答える人間はもういない。





「マリア・アマーリアは、あの子にすべてを残した。」





 自分の血が残す、すべてのモノをに託した。

 フォンデンブロー公国も、そして、アプブラウゼン侯爵領すらも。


 そんな気がしていた。すべてを奪い去るのではないかと。マリア・アマーリアはルドルフから すべてを奪っていくのではないかと、想像していた。だから、を殺してしまいたかった。

 20年ほど前の夫婦の確執は、結果的に子供であると、父親であるアプブラウゼン侯爵に 決定的な破局をもたらした。がどんなに彼を慕おうと、だめだった。アプブラウゼン侯爵 がマリア・アマーリアを愛し、そして失敗したのと同じように、片側だけが思っていても、だめ だったのだ。






「・・・片側だけが、か。」





 ギルベルトはじっと悲しみに暮れる男を見つめる。






、」





 目を閉じて、まぶたの裏に一番大切な人を思い浮かべる。

 は自分を愛していると言ってくれる。大切にして、隣でほほえんでくれる。だが、それ は真実を知ってもなのだろうか。今は確かに両方がお互いのことを思っているのかもしれない、 だがそれはが真実を知っても同じなのだろうか。

 片側だけでは成り立たない。

 それはギルベルトにとっても十分に理解できることだった。




  嗚呼 愛とは 何だ?