ギルベルトはアプブラウゼン侯爵領が占領され、侯爵が捕まるとのいるベンラス宮殿に戻ってきた。
結局プロイセン軍と公国との会談はここで行われることになったのだ。
「良かった、」
はギルベルトの顔を見ると酷く安堵した様子を見せた。
大半の兵はプロイセン王国のそれぞれの土地に戻した。プロイセンはフォンデンブロー公国と違い農業人口が多い。自動的にもうすぐ秋になれば収穫の時期を迎えるため、農作業に兵たちは故郷に戻らねばならない。
代わりに後からついた公国軍がベンラス宮殿の警備に当たることになった。
窓の外ではゆらゆらとたいまつの明かりが燃えている。不安定だが、それでも夜闇を明るく照らすこの光が、警備の証拠である。
「ギル、」
が自らギルベルトに抱きついてくる。
前の公爵が亡くなり、がフォンデンブロー公国の主となってアプブラウゼン侯爵軍が侵攻してきたため、彼女は気が休まるときがなくなった。ベルリンを出てから何かと時間がなく、お互いにきちんと話をする時間が得られないことが多かった。
明日会談が行われるが、戦争はすでに終わり。明日の会談も悪い結果が出ることがないことは明白で、お互いに安心して逢瀬を楽しむことができる。
ギルベルトが腕に力を込めると、は穏やかな表情で体を預けてくる。
「あぁ、本当に、良かった・・・、」
はそういってギルベルトの胸に頬を押しつけた。
「そう簡単に俺は死なねぇよ。」
ギルベルトは苦笑しての頭に口づける。そうしてそのままベッドの端へとゆっくりと移動して、の体を膝に乗せる。そっと亜麻色の髪をかき上げてやると、泣いているようだった。表情は穏やかだったが、紫色の瞳は涙でいっぱいだ。
「安心したか?」
「・・・はい。本当に、いろいろ、ありすぎて、」
彼女が戦場に出たのはこれが初めてだ。彼女は非常に血を恐がり、死を恐れていた。戦争は死がつきものの場所で、には一番恐ろしい場所だと言える。なのに、は一番戦傷者が集まる修道院で救援活動を行っていたらしい。戦線にも近かったため彼女の行動を見ていたものも多く、本来なら彼女の失策で攻められた部分もあったが、国民からの彼女への支持はうなぎ登りだった。
は決して勇敢ではない、恐がりだし、カリスマ的な才能も全くない。だが、努力はしている。民と近くあろうと人と会うことをいとわないし、貴族であれ平民であれ同じように声をかける。丁寧に接する。それは国民の大半の尊敬と信頼を呼ぶ。
彼女の姿は、統治者として必要なのが才能ではないと言うことを教える。
だが、どちらにしても彼女にはつらいことだっただろう。
「がんばったな。」
ギルベルトはの額に唇を押し当て、指で涙をぬぐってやった。
彼女にとっての初めての戦争であり、初めての戦いだった。いいわけにはならないが、彼女は何の教育も受けておらず、今統治者としてたっている。それにしては上出来だったのではないかと思う。
彼女の背中を叩いていると、何やら自分の方が眠たくなってきてギルベルトはあくびを一つした。
「疲れましたか?」
「まぁな、数日間は馬上だったから。」
この時代の行軍は宿を取れるわけでもないので、野営か、ヘタをすれば夜通し歩き続ける羽目になることもある。特にフリードリヒが下士官との交流を好むこともありなおさらだった。
「時間は、いくらでもありますから、もう眠りましょうか。」
が涙で濡れた目元をごしごしと自分のナイトウェアの袖で拭いた。
別にこれからしばらくは冬も来るので急を要する用事もなくなるだろう。冬になれば行軍が止まるのがこの時代の戦争だ。動きは緩慢だとも言える。
「いやだね、」
ギルベルトはにやりと笑って、彼女の体をベッドに押し倒す。
「あ、え、えっと、」
「せっかく帰ってきたんだ。いいだろう?」
はベッドの上を手でじりと這い上がる。いやな予感がしたのだろう。明日の会談は昼からで、多少寝坊しても問題はない。
そのことにも気づいたのだ。
「逃げるなんて、しねぇよなぁ・・・俺に、褒美くれるだろ?女公様。」
戯れるように彼女の鎖骨に口づけるとは腕の中でもそりと身をよじった。
「つか、れてるんじゃないんですか・・・?」
「それとこれは別腹。」
ギルベルトは笑ってむき出しになっている胸元に舌を這わせる。はびくりとして体をはねさせた。
最近のドレスは胸元を露出する傾向にある。確かに扇情的だが、いやらしくて微妙だなとギルベルトは最近の老人が言いそうなことを考えた。だが、脱がすのには楽だ。少なくとも上半身に関しては。
面倒くさいドレスをはぐように脱がせれば、は身を縮めた。
「・・・恥ずかしい、」
「何度も見てるだろ?」
不満そうに言うから笑ってやると、が恥ずかしそうに頬を染めて、ギルベルトの頬をふにっと引っ張った。
「ずるい、あなたは、余裕で、」
「そうか?」
余裕なんて、ないぜ?と返しての大腿に自分の腰を押しつける。
「なぁ?」
耳元で笑うと、は目を丸くして声から逃れるようにギルベルトの肩を押した。
は経験がギルベルトしかないせいか、結構うぶなところがある。それも楽しくて良いが、もっと積極的でも良いと思う時もある。まぁ、もちろん自分だけというのが不満であると言うことは絶対にないが。
「、子供作ろうか、」
「え、えぇ・・・え?」
なんと答えて良いのかわからないのだろう、は困った顔をした。だが、小さく笑う。
「ねぇ、わたしは、あなたのこと大好きですよ。本当にあなたが結婚相手で、良かったと思っています、」
「なんだよ、突然。」
「だって、ちゃんと言わなきゃだめだって、思ったんです。」
がのしかかっているギルベルトの頬にそっと手が触れる。細い手だ。長い亜麻色の髪がベッドの上に広がっている。
の父母が、結婚したこの宮殿。
しかし、結果的にアプブラウゼン侯爵と、マリア・アマーリアの結婚は破綻し、母は違う男とをもうけ、を生き甲斐とした。そこでこうやって娘のとアプブラウゼン侯爵が争ったこと、の夫であるギルベルトがともにあることは、本当に数奇な運命だと言えるだろう。
「大好きです。」
つたない言葉だ。愛しているとでも言えばよいのに、彼女の言葉は酷くつたない。でも、自分たちの不格好さを思えばこれ以上にふさわしく、心満たされる言葉はないと思う。
多分、将来とギルベルトは老いと死に分かたれるだろう。
普通の人間が考える必要のないものに、分かたれる。でも、よく考えれば彼女との始まりはただの義務感と政略的な問題で、普通の人間とも違う。そして政略結婚であったはずなのにギルベルトは彼女を愛し、彼女も自分のことを愛してくれる。
それ自体が、すでに不思議なことなのかもしれない。
「俺もだ、俺も、愛してる。」
ギルベルトはの髪に指を絡めながら、頬に口付け、そして額を互いにあわせる。
「多分、一生愛してる、」
自分でその言葉を口にしながら泣きそうになった。
これから何があるかわからない。この奇跡的な関係の終わりが悲劇なのか、喜劇なのか、わからない。でも、ギルベルトはこの感情を自分が消滅するまで忘れないと思う。彼女をずっと愛し続けると思う。
それで良い。彼女が真実を知って離れていったとしても、自分は彼女を愛し続けられる。
「うれしい、」
が紫色の瞳を本当に柔らかく、嬉しそうに細める。
ギルベルトは腕の中にいる小柄な少女を今だけでも良いからと、精一杯の力で抱きしめた。
それだけが叶えばいいと願う だけ