にアプブラウゼン侯爵ルドルフ捕縛の方が入り、プロイセン軍に協力していたフォンデンブロー公国軍が帰還したのはそれからまだ数週間後のことだった。すでに秋の麦などの刈り入れが始まるため、兵士たちは自国の地域に戻され、事後処理だけが残されている。
アプブラウゼン侯爵との会談が行われたベンラス宮殿でプロイセン国王フリードリヒとフォンデンブロー公国女公との会談が行われ、アプブラウゼン侯爵が勝手に侵略した間の公国側の銀山の収益の保証と友好関係が確認された。
また、アプブラウゼン侯爵ルドルフと嫡男ヨーゼフの処刑。それによって空位となるアプブラウゼン侯爵の選定が行われることとなった。アプブラウゼン侯爵領はプロイセン王国に戻ったが公国にとって隣にあり、アプブラウゼン侯爵が誰になるかというのは重要なところだ。
プロイセン王国側は鉄の輸出の拡大を条件にの夫でもあるギルベルト・フォン・バイルシュミット将軍にアプブラウゼン侯爵領を与え、とギルベルトの第一子がフォンデンブロー公国を、第二子がアプブラウゼン侯爵位を継ぐことを決定した。
仮に第二子がいない、もしくは第二子の家系が断絶した場合に関してはプロイセン国王の直轄地とする旨が記された。
「議会から連絡があり、プロイセン王国側への鉄の輸出の件、了解したとのことです。」
アルトシュタイン将軍が書類をに渡す。
「ありがとうございます。」
はそれを両手で受け取って机に置き、公爵を示すグリフィンの判を押してからサインをする。向かい側の席にいるフリードリヒに渡した。フリードリヒも同じように鷲の判を押して、サインをした。
「これにて条約は締結です。」
プロイセン側の将校が宣言をして、会談の終了を告げる。は安堵に小さく皆にわからないように息を吐いた。これにてはプロイセン王国アプブラウゼン侯爵領との国境紛争を完全に終結させ、即位してからの紛争は片付くこととなる。
アプブラウゼン侯爵の処刑などまだ気に負うべきことはあるが、それでも一応が決定すべき早急な事態はしばらくないだろう。
会談が終わればそれぞれ皆帰路につくか、もしくは公国を見て回るかのどちらかであり、足早に会場を出て行く。
「・・・終わった・・・」
机に突っ伏したい気分になったが、公国の主であるためそういうわけにもいかない。
ぐっとこらえて立ち上がると、フリードリヒが目の前にいた。
「え、あ、」
突然でびっくりして、慌てて姿勢を正すと、フリードリヒは苦笑していた。
「そんなに固まらなくて良い。」
もう多くの文官や武官が会議場の外に出ようとしている。彼の隣に控えているのはギルベルトとテンペルホーフだけ、も隣にいるのはアルトシュタイン将軍だけなので、気心のしれたもので、別にきちんとしなくても困らない。
「なにやってんだおまえ。」
ギルベルトは屈託なく笑って、の頭をぐしゃぐしゃとなでる。
もう会談は終わっているので問題はない。だが、せっかく整えた髪の毛がぐちゃぐちゃになるのはいただけないのだがと思ったが、全く気にしていないようなのでも気にしないことにした。
ギルベルトはアプブラウゼン侯爵軍をたたくため先頭に立ってプロイセン軍を率いていたそうだが、戦いが終わるとそれはもう何もなかったかのように帰ってきた。
「緊張していたのです。」
「緊張って、馬にびびってたのみられた仲だろ。」
「恥ずかしいのであまり言わないでください!」
歯に衣着せないギルベルトの言葉が恥ずかしくてうつむくが、少し気が抜けて、もつられて笑ってしまった。
は改めてギルベルトの方に向き直る。
「あ、そうです。・・・アプブラウゼン侯爵の、処刑が終わればわたしたちは首都のヴァッヘンに戻る予定なのですが、フリードリヒ陛下はどうなさるおつもりですか?」
「そうだな。処刑が終われば、もう冬か。困ったな・・・」
フリードリヒは腕を組んで息を吐く。
一ヶ月後に国境あたりで行われる処刑に立ち会う予定になっているが、それが終わってすぐにベルリンに帰るにしても、雪があたりを覆い、かなり厳しい旅路となるだろう。ベルリンは元来雪がよく降るのだ。
そうなればプロイセンの近場の宮殿で春を待つしかなくなる。近場と言っても手近に宮殿がないことを考えれば、用意も十分ではないだろう。リウマチなど持病を持つフリードリヒにとってはなかなかつらい。
「えぇ、ですから、ヴァッヘンの方に参られませんかと、思いまして、」
フォンデンブロー公国の首都ヴァッヘンはベルリンより遙かに南にあるため、温暖で雪が降る時期も遅いため、十分に帰る時間がある。もちろんベルリンのように便利にと言う訳にはいかないが、医師も豊富にいる。
「それに今回はイギリスの代表団であられたモンマス公とカークランド卿も滞在するとのことです。にぎやかですよ。」
イギリスに戻るには海に出ないといけない。今から帰って馬車で急いでも雪に見舞われるので、ロンドンに着く前にヨーロッパ大陸で越冬することになるだろう。どうせなら暖かいところにいたいということで、アーサーはあっさりとフォンデンブロー公国に滞在することを決定した。
「カークランド卿も滞在するのか?」
「はい。なんだか、フォンデンブローのご飯がおいしいと気に入ったらしくて。」
「・・・彼にとってどこの食事もおいしいだろう。」
フリードリヒはあきれた様子を隠そうともしなかったが、一つ頷いてをみた。
「お願いしようか。」
「プロイセンの国王陛下をお招きできるとあれば、光栄です。」
は軽くドレスを引いて頭を下げた。
アルトシュタイン将軍はフリードリヒの答えを受けて、首都へと連絡するべく退出したが、はそのまま隣の応接間へと入った。フリードリヒ、ギルベルトも一緒だ。
侍女がお茶と軽食持ってくる。会談が長引いていたおかげで3時を過ぎているのに昼食を食べられていない。彼女が出て行ってから、外の衛兵にはしばらく誰も入れにないように命じておいた。
そしてやっとは脱力した。
「疲れた・・・・・・・・・」
思い切り息を吐き出してカウチの肘掛けにもたれかかる。
「もうその格好が威厳もへったくれもねぇな。」
ギルベルトは言って、のそばに来て労るように背中をぽんぽんと叩いた。
会談では終始、きちんとした答弁を心がけていた。今までの会談ではは座っているだけで、大抵ものを言うのは隣のアルトシュタイン将軍や武官たちで、は本当に座っているだけだった。
それは常にお飾りのフォンデンブロー女公という印象を与えていたし、うつむきがちで気弱に見えて、若いこともあって侮られる原因だった。実際に気弱だったとしても強く見せておくのが王者の風格であり、それがには完全にかけていたし、努力してもいかにもわざとらしかった。
今回の会談はが公爵として指揮を執っているという印象を嘘であってもプロイセン王国に植え付けたし、フォンデンブロー公国側も心強かったことだろう。ちょっとした成長だ。
だが、無理をしているのを、常を知っているギルベルトやフリードリヒは知っていた。
「いや、なかなかの演技だったさ。」
フリードリヒは侍女が持ってきた紅茶を祝いのように軽く掲げた。
「・・・偉そうにするの、苦手です・・・」
「ぶっは!おまえが公国のトップだなんて信じられねぇよ。」
ギルベルトはに遠慮なく笑って、の座るカウチに腰掛けて、チーズを食べ始めた。
「それ、遠ざけてください・・・。」
は呻くように言う。
「おまえ、ブルーチーズ嫌いだっけ?」
「好きなんですけど。最近においのきついものだめなんです。」
「はぁ?まぁ大人になりゃ味覚変わるって言うからな。果物は?」
「リンゴがほしいです。」
「はいはい。」
ギルベルトは近くの高坏においてあった林檎をナイフで切り分けてかけらをの口元に持って行く。
疲れた様子のは、迷いなく林檎に口をつけた。
縋って 生きる