ベンラス宮殿からほど近い城塞の牢に、アプブラウゼン侯爵ルドルフはつながれていた。

 息子のヨーゼフも一緒だ。彼らは二人とも、国王への反逆罪で死刑が決定しており、一週間後にはプロイセンとフォンデンブローとの国境線上で、処刑される。




 が彼らにこっそりと会いに行ったのは、ギルベルトに頼んだからだった。もちろんが処刑に異を唱えることはもうできない。国の主であるが、自国を傷つけたものに恩赦を与えることはできないのだ。

 それがわかりきっているからこそ、最後に一目会いたいと思った。

 ただ、さようならを告げるためだけに。





「不衛生、ですね。」





 牢は決して衛生的ではなく、大きなネズミが這っているような状態だった。中には戦争捕虜なのか何人もの人間が牢にとらわれていて、を不思議そうな顔で見ている。






「こっちだ。」





 ギルベルトは松明を持ったまま、の手を引いた。






「ここは逃亡兵やら政治犯とかまぁ、凶悪なのが多いからな。」






 不衛生も目がつぶられていると言ったところだろう。

 ましてや本来こういう場所に貴族やのような高位の人間が来ることなど予想していない。戦場に近い場所では管理が行き届かず、不衛生は仕方がないことだと言えた。

 地下へおりていくとますます光りすらもない牢へとたどり着く。






「足下に気をつけろよ。」






 ギルベルトは慎重にを先導した。松明の明かりがあるとはいえ足下は全く見えない。

 彼の手を強く握りながら、は全く見えない足場を前に進むしかなかった。途中何か蹴飛ばしたりもしたが、気にしないことにした。こういうときに細かいことは気にしてはいけないということは、戦場の近くにあった修道院で覚えた。







「・・・このへんらしい、」





 ギルベルトもきたことがないらしく、正確な場所は知らないらしい。

 の手を握りながら牢を松明で照らしていく。すると鉄の牢に体当たりしてくる陰があった。





「げっ!」





 松明で揺れる人影にギルベルトは驚くが、もっと驚いたのはだ。思わず彼の手を引っ張って明らかに逃げ腰になった。






「戻るか?」

「いえ、」





 は首を振る。すでに刺激が強すぎて泣きそうだが、それでもいかないわけにはいかなかった。

 牢を順番に見ていくと、ひとつ、ましな身なりをした人物が座っていた。





「父、さま?」






 は小さく声をかける。

 するとその人物は顔を上げた。少しやつれてはいたがアプブラウゼン侯爵ルドルフだった。間違いはない。かなりやせており、髪もざんばらで、かつての面影はほとんどなかった。

 はすっと目を細める。

 かつて、は父を酷く恐れていたと同時に、世界のすべてのように思っていた。だが、今見ればそれほど背が高いわけでも屈強な人物でもない。とても小さな体をしているように見えた。

 それでも、幼いは彼に愛されたいと願っていた。






「こんばんは。お父さま」





 は目を伏せたまま、彼に小さな挨拶をした。いつもそうだ。は怖くて彼に面と向かって挨拶ができたことがない。





「・・・おまえは私をあざけりにでも、来たのか。」





 久方ぶりに会う父は、やはり冷たい声をに向けた。

 温もりを向けられたことは、一度もない。はいつも母やカール・ヴィルヘルム公子の陰に隠れて彼を見ていた。どうして母や母親の違う兄や姉が愛されるのに、自分は愛してもらえないのだろう。暗いせいだろうかと、あきらめにも似た気持ちでいつも彼を見ていた。

 ピアノやいくつか、が人より上手にできたものがある。

 けれど、それを一生懸命やったところで彼に目にとまることはなかったし、いつもこれでもかというほど疎まれていた。








「いえ、でも、最後に会いたいと思いました。」

「私からすべてを奪ったのにか。」

「・・・はい。」





 父の言葉には肯定しか返すことができない。

 は彼からすべてを奪った。そしてそのすべてを得た。が生まれてこなければ、フォンデンブロー公国の継承権は彼のものだった。がいなければアプブラウゼン侯爵の地位を奪われることもなかっただろう。

 はフォンデンブロー公国と、ギルベルトを通じてアプブラウゼン侯爵位を得た。彼から、すべてを取り上げた。





「こんなふうに、したくなかった。」





 それは、いいわけととられても仕方がないが、の正直な本心だった。






「何を今更、」

「わたしは、あなたと血が繋がってないって知らなかったんですよ。」






 は小さく笑って、父に向かう。





「私は、何を言われても、あなたを慕っていました。」





 幼い頃、冷たくあしらわれても、自分がいけないからだといつも思っていた。自分がもっといろいろなことをできれば、きっと父だって自分をほめてくれると信じていた。





「いつそれを?」

「カール・ヴィルヘルム公子が、わたしを引き取った時に、教えてくださいました。」





 多分血の繋がらない父に愛されたいと願うがあまりにも不憫だったのだろうと思う。

 カール公子は無表情な人ではあったが、情が薄かったのではなく、が母を失ったときは黙ってそばにいてくれたし、が泣けば抱きしめてくれた。不義の子とすら知らず、父の愛をどうしたら得られるかを考えるが哀れだったのだろう。

 それを聞かされても、はあきらめられなかったのだが。





「・・・わたしは、一つでも良い。貴方に、ほめられたかった。」




 ピアノでも、何でも良かった。よく頑張ったねと優しい言葉をかけられたかった。

 愛していると、言われたかった。信じていたかった。裏切られてばかりだったけれど、いつもそれを望んでいた。馬鹿みたいに、信じていた。

 いつか、いつかと、ずっと待ち続けていた。





「でも、でも、もう、だめなんです。」






 ぽたぽたと、涙が勝手にあふれる。

 フォンデンブロー公国を攻められてもまだなお、父を信じていたからこそ会談に臨んだ。きっと自分にこれ以上酷いことをしないと、何の確証もない考えで、はそれと気づかぬうちに公国軍を犠牲にした。が父を信じた代償がたくさんの兵士やあのアガートラームの街の大人だ。

 ずっと信じていたかった。いつか認めてもらえる日が来ると。はどれほどに酷いことをされても、待てただろう。でも、は一人ではなくなってしまった。

 のうかつな行動はを大切に思うギルベルトを傷つける。の判断ミスは、国を守りたいと願っている国民を傷つける。は慎重であらなければならないし、同時に勇敢であらなければならない。何かを恐れてもいけないのだ。





「わたしは国主として、最善の策をとらなくちゃいけない。だから。」





 父を、信じて待ち続けることはもうできない。

 父のために何でもできると思っていた日々は、多分ギルベルト暗殺を父から命じられ、それを拒否したときに終わっていたのだ。





「・・・ごめん、なさい。」





 自分は彼を国のために見捨てたのだ。だから、謝罪以外の何も必要ない。国主として生きていくために、彼を捨てると決断した。そうしなければ、国が食われてしまうと思えば、たくさんの子供たちや、自分を慕ってくれるすべての人たちが犠牲になるのならば、自分一人の悲しみなどしれていると思った。 

 守りたいものの、ために。





「さようなら、お父様、」





 は静かに頭を下げて、そう告げた。それ以外に言う言葉も、言い訳もなかった。

















  傷を飲み込んだ或の日