ベンラス宮殿から数キロのところにあるベンラス市の市庁舎前広場で、処刑は行われることとなった。プロイセンとの国境近くであり、この日のみ往来を自由としたので、見物人からその人々にものを売る商売人まで多くの人々が広場に詰めかけた。

 銀山の街アガートラームからほど近いこともあり、街の人々もたくさん詰めかけている。二度の侵略を受けたベンラス市やアガートラームにとってアプブラウゼン侯爵の処刑は生活の安定の象徴となる。

 また、当時としては公開処刑は娯楽の一端を担っており、それがプロイセン王国側にとっては国王の反逆者、フォンデンブロー公国にとっては侵略者の処刑ともなれば、一大イベントのように扱われることとなっていた。

 人々が集まるのを、は複雑な気持ちで見守る。

 市庁舎の控え室では式服を着て待機しながら、小さく息を吐いた。




「気が、乗りませんかな。」



 アルトシュタイン将軍が心配そうな顔で言う。




「そりゃ、人が死ぬのはどちらにしてもあまり好ましいものではありませんね。」




 は肩をすくめて答えたが、仕方ないことももちろん理解している。

 父との別れはすでに済ませた。何か得たものがあったわけではないが、自分の中では区切りになったと思う。最後まで優しい言葉をかけてもらうことはなかった。だが、それでも良かったと思う。そう、思おうと、思う。




「でも、得たものの方が、大きいですから。」




 強がるように、はアルトシュタイン将軍を見た。

 自分を卑下していた。

 自分が死んでも何もならないのではないか、誰も自分を思ってくれてはいないと、そう幼い頃からあきらめてきた。だが、を必死で守ってくれた彼や、慕ってくれる人々、愛してくれるギルベルトは、に自分の命が大きいことを思い知らせた。

 そして、すぐに逃げたくなるの足をその場にとどめた。




「議会にいるシュベーアト将軍もよく助けてくださいましたし、今回のあなたの功は何よりも大きいものですから、」

「いえ、まさかプロイセン軍を連れて帰ってこられるとは思いませんでしたよ。」




 の賞賛にアルトシュタイン将軍は頭を下げる。

 今回彼が助けてくれたおかげでは生き残ることができた。彼がを庇い、逃がしてくれたおかげだ。年老いた彼は酷い怪我を負ったが命は助かったし、が周りに目を向ける良い機会になったと思う。




「感謝しています。それにしても、昇進したら、市民初の元帥ですね。」




 は小首を傾げて言う。

 軍事行動の功と、を命がけで助けた功績により、アルトシュタイン将軍は昇進することになっている。フォンデンブロー公国は商業で発展してきたため、元来市民の力が強い。だが、それでも市民としては初の元帥昇進となる。

 もうおじいちゃんと言った心持ちの年だが、しっかりしているのであと五年は元帥でつとめられるだろう。軍事権限を持つ公爵の地位にありながらは女だ。シュベーアト将軍も含め、軍部の協力はにとって不可欠だった。




「それにしても、・・・はいたら、どうしましょうか。最近体調が良くないのに。」




 アプブラウゼン侯爵の処刑を、フリードリヒとともに市庁舎で見ることになっている。は悲しみと不快感に眉を寄せる。




「・・長い袖とストールで顔を隠しておかれればよろしい、化粧をしておられるのですから、わかりますまい。」




 アルトシュタイン将軍はの肩にストールを掛ける。




「あら、どうなさったのですか?これ、」




 質の良さそうな毛のストールだ。大判で淡い緑色がの紫色のドレスによく合っている。




「・・・モンマス公からだそうです。」




 イギリスのアーサーとともに来た人物だ。イギリスは良質の毛織物で有名であるから、献上品の一部としてあらかじめ持ってきていたのだろう。




「後でお礼を、言わねばなりませんね。」




 おそらくイギリスから持ってきたのだろうが、が彼と会ったのは初めてのはずだ。紫色の瞳を持つには、緑がよく似合うと皆が言うので、彼が初対面であるにもかかわらずこの色合いを持ち込んだことは、なかなか幸運だ。緑はあまり好んで使われる色ではないが、は好きだった。

 アーサーとともに彼も冬の間フォンデンブロー公国の首都に滞在する予定なので、おそらく礼を言う機会はたくさんあるだろう。




「用意はできたか?」




 式服を着たギルベルトが軽いノックとともに入ってくる。後ろにはフリードリヒの姿も見えた。




「お互い堅苦しいな。」

「そうですね。」




 国民の前に出る限りはしっかりした式服を着なければならない。は紫と白を主流とした鮮やかなドレスだし、肩には豹の毛皮をかけている。フリードリヒは緋色の毛皮のマントを着ており、下は式典ようの青と赤の軍服だった。

 ギルベルトは大きな帽子と長い濃紺のコート、胸元はなんだかきちんとおさまっていないのか、ふわふわのレースが見えた。




「いがんでますよ?」




 はそのレースの部分を整えて、上着の中へときちんと入れていく。




「そうか?」




 気にならなかったギルベルトは不思議そうな顔をした。

 きちんと服の中にレースの襟元をおさめてから、はテラスへと向き直る。窓のカーテンは今閉まっているが、あければ向こうが処刑場だ。とはいえ、日頃はただの市庁舎広場だが、




「大丈夫か?」

「・・・はい。」





 ギルベルトがの手をぎゅっと握る。も白い手袋をつけているし、彼も革の手袋をつけているが、布越しでも温もりは十分に伝わった気がした。




「よろしいですか?」





 カーテンに将校たちが手をかけ、とフリードリヒに確認する。頷けば、カーテンは開かれた。

 テラスに出ると、広場を人が埋め尽くしているのがわかった。見渡す限りの人の中に中央だけぽっかりと穴が空いている。それが処刑場だった。

 はごくりと唾を飲み込んだ。





「いくぞ、」




 ちらりとフリードリヒがを確認するような目で見て、ともにテラスへと出る。

 処刑場に集まった人々は熱狂的で、口々にプロイセン国王の名前やフォンデンブロー女公のを賞賛するような叫びを上げた。歓声に戸惑いながらも手を振ると、熱気がこちらに来るほどわき上がった。

 体が震えて、その場で倒れそうだった。

 は即位して以来国民のたくさん集まる場所にでたことがなく、これが初めてだった。あまりの熱狂に戸惑うが、フリードリヒはまっすぐ姿勢を正している。ギルベルトを盗み見ると、彼も変わらず国民の熱狂を受け入れていた。

 らはテラスのぎりぎりまで進み出る。

 しばらくすると歓声を上げていた人々が一瞬静まりかえり、次は罵声を浴びせた。アプブラウゼン侯爵が引き立てられてきたからだ。処刑場の中央へと引きずり出された彼は、罵声の中を歩き、中央の処刑台へと足を進めた。

 はぐっと自分の唇をかむ。それでも目をそらすことはしなかった。
 裁判官がつらつらと罪状を読み上げていく。それが終われば静かに彼は座らされ、首を突き出すような形になる。誰かが、息をのむ音が聞こえた気がした。処刑人が確認するように彼の首に刃を押し当て、それから剣を振り上げた。

 父と、慕った人だ。血のつながりはなかった。いつもに冷たかった。


 けれど、


 は静かに目を閉じる。鈍い音が、響き渡る。こみ上げるものを、は唇をかんで耐えた。ここで、泣き叫ぶことは許されない。

 一歩、前へと歩を進める。




「この血が、我が国で流れる最後の血となることを!」




 は声を張り上げて、人々に聞こえるように言う。


 処刑台には血だまりと倒れた体がある。父と慕った人の体だ。自分にとって一番大きな存在であり、常に自分を疎み続けた。最後までわかり合うことのできなかった彼。

 父の血が自分が愛し、自分を愛してくれるこの地の最後の血であることを。と。

 それだけがの今の願いだった。







  傷が名を持つ