翌週、ヴァッヘンへと戻る道すがら、狩猟が行われた。昼ご飯もかねてウサギや鳥を撃つのだ。
今日は近くにあるシューネンホイザー宮に宿泊する予定だ。小さな離宮だが、落ち着いた内装と森の中にあり狩猟に適した立地から、フォンデンブローの歴代の公爵が使用してきた。もカール公子の狩猟につれられて何度か訪れたことがある。
近くには湖があり、水鳥もたくさんいる。もうすぐ冬にさしかかるこの時期、冬越しの渡り鳥も訪れることだろう。
「狩猟に参加しないのか?」
馬を寄せてきたアーサーがに尋ねる。
「あ、えっと、わっ、」
アーサーの問いに答えようとしただが、アーサーの馬に驚いたの馬が歪な動きをした。御し方がわからず一瞬焦っただが、アーサーの手がの手綱をつかんで引いた。あっさりと馬が落ち着く。乗り手の動揺は馬に簡単に伝わるものなのだ。
「・・・おまえ、そういや馬がだめなのか。」
特徴的な眉を片方寄せて、アーサーはあきれた顔をした。
狩猟をするには林の中を馬で走りながら、かつ銃や弓が扱えなければならない。はそもそも乗馬の技術の方が危ういので見ているだけしかできないのだ。当然狩猟の得意なギルベルトについて走ることなどできようもない。
「もうちょっと上手に御せると良いのですが。」
は猟犬たちとともにすごい速度で走り抜けていく馬たちをみやる。
フリードリヒはそれほど狩猟を好まないのでたちと同じ一団にいる。先に走っていった狩猟をする気の一団を率いているのはギルベルトだ。彼は身分が高いだけでなく乗馬の技術にも、銃を操る技術にも長けている。狩猟には優れた人物だ。
今回プロイセン、フォンデンブローともに狩猟に参加しているのは軍事関係者が多い。国王や公爵などの側近となれる将校は貴族がきわめて多く、彼らは乗馬ができて当然だ。
その上軍人となったらなおのこと高い技術が求められる。基本的に戦場で騎馬を操るのは難しい。大砲の音に驚いたり、銃に牽制されて馬は驚く。それを御せなければ落馬することになるので、乗馬の技術は重要だった。
むしろ乗馬をすること自体が危ないの方が、貴族としては若干失格の気がある。なので目立たないように、また、邪魔にならないように後ろに下がっていた。
どうせ狩猟を中心としているこの集団を率いているのはの夫であるギルベルトで、狩猟をしないグループを率いているのはフリードリヒだ。彼を案内しているのはアルトシュタイン将軍で、はカール公子と来た経験があるとはいえ、よく知っているわけではない。たいしてアルトシュタイン将軍はこのあたりに住んでいたことがあるらしく、非常によく知っていた。
「カークランド卿は狩猟には参加なさらないのですか?」
はアーサーを見る。に馬を寄せて手綱を引いた手つきから、彼もかなり乗馬は得意だろう。
「カークランド卿は仰々しいから、公でないときはアーサーでかまわない。ましてや俺はおまえより下位、だからな。」
はいつも丁寧だが、アーサーとではの方が身分が高い。それにカークランド卿は常ではあまりに呼びにくい。
「・・・でしたら、ロード・アーサーでよろしいですか?」
「あぁ、別にかまわないさ。どうせうるさく言うのはギルベルトぐらいだ。」
アーサーは楽しそうに笑う。
「どうしてギルベルトがうるさく言うんですか?」
「男などそんなものさ。ヘルツォギン・バイルシュミット」
バイルシュミット公爵夫人、と呼びかけられて、は目をぱちくりさせた。突然呼び方を変えられた意味がよくわからなかったのだ。だが彼は少しも気にした様子なく笑って見せた。
「焦らなくてもどうせ昼からもやるんだろ?昼飯が終わってからで良い。」
アーサーはそういって一つ欠伸をする。どうやらまだ朝なので眠たいようだ。
「よく眠れなかったのですか?」
「いや、よく寝た。寝過ぎて眠い。」
「あら、」
客人の旅路が快適であることにも気を遣う必要があるので心配したが、彼は大丈夫なようだ。は少し安堵して、湖の方を見やる。柔らかな曲線を描く湖畔は、秋の色づきを見せ、のどかで美しい。
「別に魚でも悪くなさそうだがな。」
狩猟などせずとも、魚が釣れそうだとアーサーは笑う。
確かに狩猟よりは簡単だろう。網を張って魚を捕るだけだ。地元民はしているかもしれないし、この時期の魚はおいしい。
「そうですね、このあたりはマスがいると聞いたことがあります。魚釣りはしたことはないんですけど・・・ただ、最近においの強いものがだめなので、食べられないかもしれません。」
は自分の体調が悪いのがわかっているため、無理は極力しないようにしていた。自分の体調が悪くなれば、それだけ旅路をゆるめなければならない。今回はフォンデンブロー公国内であり主催者はのようなもので、大所帯でもあるので、個人的な理由での遅れは憚られた。
「まだ体調が悪いのか?」
「えぇ、少しだるかったり程度なのですが、」
熱が上がってくれればはっきりもするのだが、そういった様子もない。だから正直の方も困っていた。ただ、時期を考えればありがたいのだが。
「気をつけろよ。」
アーサーが心配そうに緑色の瞳を揺らす。
「大丈夫ですよ。」
は肩をすくめて答えを返した。
遠くから銃声とざわめきが聞こえる。狩猟がうまくいけば、料理人がそれを捌いて昼ご飯となるだろう。
「ウサギですかね、」
「鹿じゃねぇのか?さっきちらっと見たぞ。よく食べるんだろ?」
「食べますね。」
ドイツと言われるあたりでは、基本的に鹿をよく食べる。それは事実だ。
鹿の肉はおいしい。もよくそれは知っていた。そういえば昔カール公子と狩猟にきた時も、彼が鹿をとっていたかもしれない。だが、この季節渡り鳥を撃つのも楽なので、そちらかもしれない。鴨は肉厚でおいしいのでも好きだった。
「何のお肉が一番好きですか?」
「肉か・・・牛かな・・・」
「あら、牛は狩猟ではとれませんね。」
が肩をすくめるとアーサーはちらりとを伺って、にやりと笑った。
「その辺りの適当な農家からとってこれる。一番楽だろ?」
この辺りの農村は豊かで、牛を育てているところもたくさんあるだろう。
はアーサーの言葉にクスクスと笑う。だが、次の瞬間、ふわりと体が浮くような感覚がして、首筋が酷く痛んだ。
「・・・どうした?」
こちらを気遣うアーサーの低い声音が酷く遠い。
は頭を軽く押さえる。左手は未だ手綱をつかんでいたが、次の瞬間、はふらりと前のめりに倒れた。手から手綱がこぼれ落ちる。すでにその時に意識はなかった。
「おい!」
アーサーが慌てて馬を寄せ、落馬しそうになったの体を支える。
「しっかりしろ!」
なんとかの落馬を防いだが、今度は突然近寄ってきた違う馬にの馬の方が多々良を踏んで驚いた様子を見せた。アーサーはの馬の手綱を握ったが、を支えたままで自分の馬も動かないようにせねばならず、その上の馬までとなればうまく御すことができないし、馬から下りることもできない。
ヘタに動けばが落馬する。そうなれば馬に蹴られるなど彼女が怪我をする可能性が高まる。落馬の危険はアーサーもよく知っていた。
「誰か!!」
アーサーが鋭い声で叫ぶと、フリードリヒを始め、御者や随行していた将軍たちも振り返る。
そして慌てて気を失っているを馬から下ろした。
恋情は何を生み出すか