首都のヴァッヘンは、驚くべき賑わいだった。

 アプブラウゼン侯爵への勝利、豊作、女公の妊娠と祝い事続きでヴァッヘンの街はお祭りムード一色で、あちこちに綺麗な垂れ幕や花が飾られていた。もうすぐ冬支度をしなければならない時期ながらも、あちこちで酒盛りや祝いが行われた。

 また、ヴァッヘン宮殿でもプロイセン王フリードリヒやイギリス代表のカークランド卿に対する歓迎の祝典と宴が行われた。




「すっごいね、きらきらだ。」




 アガートラームの片田舎から初めてヴァッヘンに出てきたクラウスは、賑やかなパーティーの様 子に快活な青色の瞳を輝かせる。





「あんまちょろちょろして迷子になんじゃねぇぞ。」




 ギルベルトが声をかけるとクラウスは元気に「はーい!」と声を上げたが完全に目は違う方向を向いていた。





「ここ数年で一番華やかですから、」




 あきれて眉を寄せていると、が柔らかにほほえんで言った。

 確かに5年ほど前にフォンデンブロー公国の跡取りであったカール公子が亡くなってから、公国の宮殿は火が消えたように静かになった。フォンデンブロー公はすでに老齢で、付き人たちもすでに年老いていた。

 しかし、の即位はある意味で若い風を宮廷に取り入れた。若い侍女が増え、ギルベルトがつれる若い将校や貴族の子息が闊達に歩き回るようになった。それは変化の風でもある。

 また、は外交にも非常に熱心であるため、宮廷には海外の人間も増えていた。

 今回は主催者とはいえ妊娠中で無理はしてはいけないので、奥の大きな椅子に邪魔にならない程度に座っている。

 に変わって接待に当たるのは議会の議長であるシュベーアト将軍と昇進した老齢のアルトシュタイン元帥、そしてギルベルトだ。とはいえ、シュベーアト将軍もアルトシュタイン元帥もしっかりしているので、ギルベルトが出る幕はほとんどなかったし、フォンデンブロー公国の臣下の多くがギルベルトを見るとの傍にいてくれと頼んだ。

 側近たちは比較的が気弱であることを知っている。

 妊娠ともあれば不安に思っているだろうと、を気遣ってのことだった。




「体調は、大丈夫か?」




 ギルベルトはの頬に手の甲を押し当てて体温を確認する。




「はい、大丈夫ですよ。」





 の答えは代わり映えがないが、別に熱もなさそうだった。

 幸いつわりが終わると、は食欲が戻った。だが、元々健康である上、妊娠でお腹がすくらしく、は自分の食欲が異常であることに逆に怯えていた。医師に相談したところ、そんなものらしいのだが、彼女にとっては今までと変わったと言うことが怖かったらしく、通常通りの食事しかしたがらず、説得に大変だった。

 初めての妊娠は体だけでなく、精神的についていくのも大変だと、あらかじめ医師が言っていた意味がわかった気がした。

 なんだかんだ言ってもは17歳の少女なのだ。大人びていても、不安は変わらない。




「少し、早かったかもな。」




 タイミングは良かったと思う。冬場であればギルベルトも傍にいてやれるし、不安も軽減されるだろう。だが、彼女のつたなさを目の当たりにすると嬉しく思う反面少し早かったような気もする。

 結婚三年目なのでそれほど早くないという意見もあるが、年齢的には早い。

 最初は大きかった喜びに、徐々に自分の体が変わっていくという戸惑いがプラスされているようだ。どうしようもないことだが、不安そうにしている彼女は酷くかわいそうだった。





「ほんとに体調悪かったら言えよ。」





 ギルベルトは座るの肩を叩く。





「大丈夫ですよ。ギルベルトは心配性です。」





 は少し口をとがらせて返した。





「仕方ねぇだろ。俺にだって初めての子供なんだから。」





 生を受けて千年以上だが、妻を持ったこともなければ、子供を産ませたこともない。初めての経験なのはギルベルトも一緒だ。そこら辺の年上の男たちよりずっと頼りないだろう。まったく経験がないことに関しては戸惑いは当然だった。

 も困っているが、ギルベルトだって心配している。

 彼女が不安定だから極力見せないようにしているが、ギルベルトだってどうやって接するのが一番良いかわからないし、生まれてきたらどうやって育てたらよいのかも実はよく知らない。だから、年上の男たちに笑われながらも聞いているのだ。




「そうですね、新米ですものね。わたしたち、」




 アルトシュタイン元帥には子供がいないが、シュベーアト将軍にはすでに孫がいる。士官や将校の多くが子供を持っているので話を聞くのは簡単だ。





「プロイセンのゾフィー王太后からもご助言と祝いの品をちょうだいしました。」

「あぁ、まぁ子供たくさんいるからな、」




 ゾフィー王太后は、フリードリヒを始めたくさんの子供を作った。それを考えれば彼女の助言は一番役立つものかもしれない。




「あと、マリアンヌさんがあと数日でおつきになるそうです。王太子妃さまからの格別のお計らいで。」




 女官のマリアンヌは、今王太子妃で王妃の妹でもあるルイーゼ・アマーリエに仕えているはずだ。ギルベルトとも旧知の仲の彼女は、出産も経験しており、夫との間に3児を持っている。の初めての出産への配慮だろう。

 はあまり女官を必要としないし、基本統治者というのは男社会だ。の周りには男性が多いが、そうなると細やかな配慮に欠ける。女性で女官、出産経験もあるマリアンヌはの不安を癒す存在としてはベストだろう。




様、楽しんでいらっしゃいますか?」




 シュベーアト将軍が目を細めながらやってきた。




「はい。穏やかな宴で、」




 道化師なども呼んではいるが、遠いせいかのところまで喧噪は届かない。だが、音楽などはの近くで演奏されるのでのんびりと聞くことができた。





「音楽はお子様によろしいと言います。」

「そうなんですか?」




 はきょとんとしてシュベーアト将軍を見上げる。

 冗談なのか本気なのかよくわからないが、そんなものなのかとは自分の腹をそっと撫でていた。とはいえ、まだ3ヶ月半ばでは胎動が感じられる訳ではない。





「だったら今から行進曲でも聴かせといたら、強くなるかな。」





 ギルベルトは唇の端をつり上げる。




「あら、男の子がよろしいんですか?」

「なんでだ?」

「でしたら、女の子だったらどうしますの?強い女の子?」




 が楽しそうに返してくる。確かに、強い女の子は微妙だ。




「そうだな・・・戦場を馬で走られたら、俺、心臓がいくつあってもたらねぇかも。」





 ギルベルトが素直に言うと、シュベーアト将軍も吹き出した。





「そうですな。女は女らしく、男は男らしくなければ。それはそれで心配ですからな。ですが、男でも女でも、戦場をかられるのは、心配なものです。」





 彼の子供の幾人かは軍人として従軍し、なくなっている。

 子供が戦場に行くというのはつらいことだ。もしかすると死んでしまうかもしれない。そうであっても、男であればたくましくあれ、勇敢であれと送り出すことになる。




「それは生まれてからの話です。お体を大事にせねば、我らの後継者です。」




 男であれ女であれ、の腹から生まれる子供は、フォンデンブロー公国の跡取りとしての地位を持つ。今、後継者は不在の状態だ。後継者の不在は不安定をもたらす要因となる。




「プレッシャーに思う必要はありません。ですが、あなたが生き、血が連なることが、我らの願いなのです。」





 シュベーアト将軍は議会の議長として、また公国の重臣として、と公国の安寧を何よりも願っている。





「わからぬことがあったら何でも聞いてください。」




 彼も子を持つ父親だ。シュベーアト将軍の言葉は、少なくともやギルベルトの不安を払拭する良い助言となるだろう。





「教わることが多いな。シュベーアト将軍のほうが父親としては先輩だからな。」





 ギルベルトが目を細めて笑えば、彼も楽しそうに笑った。






  倖せの国の在処