は子供を産んだ後ずいぶん眠っていたらしい。皆がが起きないと気をもんでいたらしいのだが、知らないは目が覚めて、ギルベルトが泣き出しそうな顔をしていることに驚いた。




「ギル?」

「・・・良かった・・・」





 安堵の声に、は小首を傾げる。

 ゆっくりと腕を上げて自分のお腹を撫でてみると、昨日まであれほど重かった感触はないが、お腹と足の間、腰が酷く痛んでたまらなかった。どうして今まで眠れていたのか不思議なほどの痛みだ。




「おまえ、二日も眠っていたんだぜ。」




 ギルベルトがをそっと抱きしめる。

 二日も、とは少し驚いた。少し会話を交わすと、産婆が心配そうな顔でギルベルトを部屋の外に出してから、検診を始めた。




「すごく、お腹が痛いのですが、」

「そりゃ、子供が出てきたんですから、しばらくは痛みますぞ。」




 産婆はなれた調子でに答えた。しばらく、という言葉に眉を寄せる。痛みは本当につらい。





「・・・子供は?」





 は不安になって顔を上げた。

 まだ痛みで立ち上がることはできないため、自分で見に行くことはできない。二日も眠っていたと聞いて、子供は大丈夫かと不安になる。




「大丈夫ですぞ。元気そのものです。様の熱が下がればくるように乳母に言いましょう。」




 子供には乳母のルイーズがついているのか、そう思えば自分が必要ない気がして、は瞼を閉じた。

 なんだか子供が生まれて安心できるはずなのに、ふっと空虚感に苛まれる。




「しばらくは安静になさってください。酷い熱もあるのですから。」





 産婆はの額に手を当てる。

 熱があるというのがぼやけた頭ではよくわからないが、体がだるいし、お腹が痛いし、動けそうではなかった。下半身の感覚も痛みしかない。ただ、酷く心許なくて不安だった。





「食事は少しなされた方がよろしいですよ。」





 産婆はの額を冷たい布で拭いた。

 食事、といわれても、体を起こすことができそうにないし、お腹も酷く痛む。到底そんな気分ではない。その旨を途切れ途切れの言葉で伝えると、産婆は酷く困った顔をした。2日も食事をしていないからだろう。

 口から食べる以外に栄養をとる方法はない。食べなければそれだけ衰弱する。回復も遅いのだが、今までなにぶん健康で生きてきたし、目立って怪我をしたこともないはどうもめっきり痛みに弱いらしい。





「水は?」

「・・・」




 唾を飲み込むだけでつらいとなれば、水も一緒だろう。

 は自分の弱さがあまりにも情けないと天井を見上げて思っていると、産婆がギルベルトを部屋に入れたらしく、ひょこっと彼が顔を出した。




「大丈夫か?意識はっきりしてるか?」




 見下ろしてくるギルベルトはやっぱり酷く心配そうだった。





「・・・はい、」




 お世辞にも大丈夫とは言えないほど痛いが、ひとまずぐったりとしたまま頷いておいた。




「全然大丈夫じゃねぇだろ。」




 ギルベルトが困ったような顔をして、そっと優しくの髪を梳いていく。は紫色の瞳をうっすら開いて、その動作をじっと見つめていた。





「・・・くま、」

「は?」




 小さく呟いた言葉は、彼の耳には届かなかったようだ。

 ギルベルトの目の下にはくっきりと隈が見えた。が起きた時彼はそばにいたが、もしかするとが眠っている二日間ずっといたのかもしれない。眠れなかったのだろうか、心配で思わずじっと見ていると、ギルベルトは枕元にあった水差しを持っていた。




「水、飲めるか?」





 ギルベルトが産婆がしたのと同じ質問をしてくる。は軽く横に振った。唾を飲み込むのですら痛みで勇気がいる。到底無理だ。お腹の痛みと彼の悲しそうな顔が見たくなくて、は目を閉じた。

 すると、唇に冷たい感触が触れる。





「んっ、」





 いつも彼が口づけてくれる時のように、軽くふれあってから、いつもより温度が低い舌とともに、水が口の中に入ってくる。口の中が乾いていたから、冷たい水が心地よい。怖いが彼が口を離してくれないので、ほんの少しだけ水を飲み込む。やはり痛くて体がはねて目尻に涙がたまったが、何とか飲み込むことができた。





「よし、」





 ギルベルトは水滴をたどるようにの唇の端をぺろりとなめてから、安心するようにに笑った。





「なんか、食いたいもんあるか?」

「・・・ない、です。」




 は小さな声で答えた。ギルベルトはまた困った顔をして、の頭を撫でる。





「果物とかも、無理そうか?」

「・・・」




 言外に食べろと言われている気がして、は眉を寄せる。ふるりと首を振ると、涙が目尻からこぼれた。

 わかっている。食べなくちゃ元気になれないことは。でも痛みが邪魔をするのだ。本当に苦しい。ままならない体と、義務をよく理解する理性が対立する。ギルベルトはの目尻をぬぐって、優しく慰める。





「別に怒ってるんじゃない。無理もしなくて良いけどな、ジュースとかスープの具の入っていないのなら、飲めそうか?」





 彼の言葉には頷かなかったが否定もしなかった。

 飲み込むのはつらいが、先ほど水を飲めたのならば、固形でなければ飲めるかもしれない。飲み物でも何でも、ひとまず口から栄養をとることが重要だろう。




「ん。」 




 ギルベルトは短く答えて、の手をぎゅっと握ってから、そのあたりにいた侍女に命じて食事の用意をさせる。食事と言っても多分、砕いて固形物をなくしたジャガイモのスープとか、ジュースくらいのものだろうが。




「まだ熱が高いな。」






 ギルベルトの手が額を撫でる。温かく大きな彼の手は、本当に優しい。





「フリッツも、すっげぇ心配してるんだぜ。まだベルリンに帰れねぇくらい。」





 フリードリヒは冬が過ぎればすぐに国に戻る予定だった。だが、の出産が早まり春にすぐ出産してしまい、そのまま体調を崩して産褥熱に今悩まされているため、彼も気になってベルリンに帰る気になれないのだ。




「あんな、男の子だったんだ。フリッツの名前をもらって、フリードリヒ・ユリウスって名前を決めたんだ。」




 ギルベルトは返事のないに告げる。が眠っている間に、彼とフリードリヒと二人で名前を考えたのだろう。






「フリッツ・・・」

「そうだ。だから、おまえも早く元気になれよ。すっげぇかわいいんだぞ。」





 が名前を口にすると、ギルベルトは頷いて、目を開けたを優しく抱きしめる。温もりに目を閉じようとすると、彼の腕が震えていることに気づいた。

 そういえば、彼は子供を作ることに慎重だった。その理由の中にはがまだ若いというのもあったようだが、それ以上に子供を作ることでが伴う危険を恐れているようだった。確かに苦しかったし、痛かったため、彼が心配するのもよくわかる。

 でも、





「はい。そうですね。三人で一緒に、」





 は熱い体のまま、ギルベルトの腕に自分の手を添える。

 ギルベルトは父親になり、は母親になった。お互いに子供のために強くあらなければならない。病に負けている訳にはいかないのだ。はギルベルトの服をぎゅっと握る。
 大丈夫、大丈夫と、心に懸命に言い聞かせた。







  終わりのない証