の高熱は三日後やっと下がった。
食事は相変わらずスープ程度のものだったが、それでも4日目には座るようになった。子供への乳も出るようになっていたので、危うげながら授乳も乳母のルイーズに教わりながら、行っている。
「・・・それにしてもフリッツ・ユーリは元気そのものだな。」
フリードリヒはベッドに座っているに抱かれる赤子を見て、そう呟いた。
白い産着に包まれたフリードリヒ・ユリウスと名付けられた赤子は授乳を終え、ふにゃふにゃ言っている。母親のが産褥熱で悩まされている間も、彼は元気そのものだった。お腹がすけば泣くわ、喚くわ、ばたばたする。男の子はやんちゃなものだというのはわかるが、もう少しおとなしくても良いのではないかと正直たくさんの姪や甥を見てきたフリードリヒは思ってしまった。
ただ、ギルベルトにとっては初めての子供であるので、さっぱり感じるところがないらしい。
「おまえは元気だもんな!」
そう言って彼はから赤ん坊を抱き取り、子供の頬に頬ずりしている。子供がぎゃんぎゃん泣こうが気にしない。は繊細なので、間違いなくこの子供は図太い彼に似たのだろう。そうとしか思えない。
「でも、助かっているところもたくさんありますから。」
は元気に泣き叫ぶ子供にうろたえながら言った。
初めての授乳というのはやはりうまくいかないもので、飲んでくれないことが多いのだという。だがユリウスは勝手に母親の乳首を探し当てて、ごっくごっく元気に飲んだと言うから、慣れないにとってはありがたい子供だろう。
「ふむ、まぁ、強くたくましい子が一番だからな。それに彼は男の子だ。」
フリードリヒは口元を緩めてギルベルトに抱かれている子供を見つめた。
ふわふわの銀色の髪に、少し赤みを帯びた紫色の瞳。本当に宝石のように光がいっぱいの瞳に、思わず表情がゆるむ。
プロイセンであるギルベルトと、フォンデンブロー公国の統治者であるとの子供。その彼がどういう性格を持った、どんな子供であるのかは、フリードリヒでも想像ができない。ただのギルベルトとの形質を受け継いだ子供なのか、それとも国の何かを受け継いでいるのか。
小さな赤子を見ても、正直自分の甥や姪と変わった風はなかった。
ただ一瞬、赤子らしい動作の中で、たまにじっとフリードリヒの目をその紫色の瞳で捕らえることがある。それがあまりに大人びた色で、少しだけ、ほかの子供たちと違う気がした。
「大丈夫ですか?」
あまりに泣く赤子を心配してか、乳母のルイーズがやって来て、に尋ねる。
「あ、すいません、ギルが、」
ギルベルトの腕に抱かれているユリウスはぎゃんぎゃん泣いている。
「どうしたのでしょうか?」
ルイーズが小首を傾げてにきくが、は苦笑する。
ギルベルトが泣かしたとはっきり言えば良いのにとフリードリヒは思ったが、は言わなかった。ルイーズはギルベルトからユリウスを抱き取り、あやす。するとすぐに泣きやんだ。
「元気なお子様ですわ。すぐにご立派になられるでしょうね。」
ルイーズは緑色の瞳を細めてみせる。
「まだ赤子ですよ?」
「あら、すぐですわ。本当に。」
はそうですか?と首を傾げて、ギルベルトと一緒に笑う。しばらくルイーズはあやしてから、ユリウスをのベッドの上に置いて、部屋を辞した。どうやらユリウスの機嫌は直ったらしい。じっとをその赤みを帯びた銀色の瞳で見ている。ギルベルトはそれを確認してからのベッドの上布団をめくる。
は自分で身を起こしていたが、未だに歩けないのだ。長い間たっていなかったせいか、まだ足下がふらつく。誰かが支えていないとたっていられないのだ。ギルベルトがの脇に手を添えて抱き上げる。支えられるとたてるが、やはり一人ではまだ無理だった。
「うーん、感覚は、あるんですけど・・・」
「無理すんなよ。別におまえ軽いんだから、どうにかなるしな。」
ギルベルトは笑ってをそのまま抱きしめる。
確かには女公なので、別段動かなければならないこともない。イギリスのアン女王など、晩年は肥満のせいでほとんど歩けなかったと言われているのだ。動かずとも生活することはできる。
「今年はそれほど情勢も悪そうではないし、大丈夫だろう。」
フリードリヒもに休養を求める。
アプブラウゼン侯爵領でのもめ事も終わったため、しばらくは安定的な情勢が続くだろう。オーストリア継承戦争も終わってからそれほどたっていないので、オーストリアといえど、金銭的なものが難しいだろう。お金も大切な戦争の要因であるため、それが足りなければ攻撃はできない。
「そうだな。しばらく寝たきりだったわけだし、無理しねぇ程度にがんばれ。」
ギルベルトはの体を支えながら、ゆっくりと後ろに一歩下がる。は一歩足を前に踏み出したが、やはりまったく力が入っておらず、ふりだけのような状態で、結局ギルベルトが支えていた。
初産だったので仕方がないだろう。
「それにしても、王太后様などは何人も子供を産んでらして、わたしは一人で大変だというのに、見習わなくてはなりませんね。」
はギルベルトにもたれかかりながら少し目尻を下げた。
確かにフリードリヒの母である王太后はフリードリヒ意外にも何人もの子供がいる。一人の子供ですらかなり苦しんだ彼女なのでなおさら尊敬の面持ちと、自分のふがいなさが見えたようだった。
「これからまだまだ子供を産むこともあるだろうし、気にしなくても良いのではないか?」
フリードリヒは真面目な彼女に笑ってしまった。
統治者であることは、同時に子供を残す必要にもかられる。だがそれを言ってしまえば王妃と不仲で子供のいないフリードリヒは大きな問題だとも言える。彼女は健康な子供を産み、またこれからもそのチャンスに恵まれるだろう。ならばこれから王太后のようになることだって考えられるのだから、それほど気にすることではないように思えた。
「そうですか?・・・でもすぐに私の体調が良くなったら、ベルリンに行かなければなりませんね。」
は穏やかにほほえんで、ユリウスを見やる。
「そんなに焦らなくても良い。」
フリードリヒは彼女の体調をおもんぱかって、そう返した。情勢が難しくなければ、が急いでベルリンに戻る必要はない。
ましてやはフォンデンブロー公国の統治者だ。議会が統治している限り、かつてのイギリス国王のように、議会に統治を任せっぱなしと言うことも可能だが、は自分で統治している。
「いえ、ベルリンはとても綺麗ですので、たくさん綺麗なものを見せてあげたいのです。」
ユリウスはに似た紫色の柔らかい目をしている。願わくば彼女と同じように綺麗なものを見て、優しく育ってほしい。
「いっぱい綺麗なものを見て、でも、強くて優しい人に育ってほしいんです。」
はそっとユリウスの頭を撫でる。すると赤子は目を細めて見せた。どうやら少し眠たいようだ。先ほど乳をもらったばかりであるため、お腹もいっぱいなのだ。
「統治者になる子供なので、弱くて優しいでは、だめですから、」
優しいだけで、統治者はできない。
はそれを痛いほど知った。でも優しさを捨ててほしくはない、だから優しくて強い子供に育ってほしい。
多分、統治者となれば苦労もするだろう。悩むことだってたくさんあるはずだ。
けれど、それでも優しい子供にと願う自身、きっととても優しい。
「まぁ、大丈夫だろう。嬢の優しさと、ギルベルトの強さを受け継いだ子供であろう。」
フリードリヒはの傍にいるユリウスをそっと抱き上げる。しばらく肩を叩いて揺らすと、赤子はうとうとと目を閉じ、眠ってしまう。
「そして、陛下のように優れた統治者となることを、願います。」
は先ほどのフリードリヒの言葉に付け足すように言葉を紡いだ。
まだ未来が定まらぬ赤子は、いったいどんな人生を歩むのだろうか。今は想像もできない。だがそれでも、親が子に注ぐ愛情は必ず同じだ。それと同じくらい、自分もこの子に愛情を注いでやりたいと、フリードリヒはそう思った。
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