産み月が近づけば、乳母の選定が行われた。

 この時代、母親の乳が出なければ誰か別に乳をあげる人間が必要だ。代用乳と言った都合の良いものもないので、身分の高い貴族では乳母が選ばれるのが一般的だった。公国の統治者ともなる子供であればなおさらだが、は選定方法を全く知らなかった。

 というのも、は乳母がいなかった。




「母が手放さなかったんですよね。わたしを。」




 父と不仲であり、を手元から離すことに極度のおびえを感じていた母は、どうも乳母は選定されていたようだが、乳母に子供を渡すことは絶対になかったらしい。

 には気がつけば母しかいなかった。




「そうか・・・俺も選んだことねぇからわかんねぇよ。」




 ギルベルトは腕を組んだまま彼女に素っ気なく返してきた。彼の両親は早くになくなり、地位と所領だけが残ったと聞いているから、乳母も早くになくなったのかもしれない。

 は深く突っ込まず、そういうこともあるだろうと勝手に思った。




「いろいろ言われますけど、どうやって選んだらよいのですかね。」




 は乳母の候補者たちを前に、そう言うしかなかった。

 冬も少しずつ和らぎ、産み月が近づいているは大きなお腹を抱えるようにしながら椅子へと座った。もうあと1ヶ月ほどで生まれる予定だ。




「ひとまず皆さん、お座りになってください。」




 候補者たちをいつまでもたたせておくのも申し訳ないので、は近くにあったソファーに座るように言った。候補者は20代から40代までの女性で、12人いる。容姿も出身もいろいろだが、には誰を選ぶのが適任なのか、さっぱりわからなかった。




「ギル・・・」

「・・・俺に言われてもわからねぇよ。」




 頼みのギルベルトも困惑気味だ。心境としてはとさして変わらないだろう。




「後からの後ろ盾にもなりますし、2,3人子供を持っていらっしゃる、安定した女性がよろしいですわ。」




 マリアンヌがに助言する。彼女は伯爵家の出身で、何人もの子供がいるので、彼女の意見が一番当てになるだろう。




「そうだな。教養のある女性が良い。子供への影響もある。」




 フリードリヒは男性としてまっとうな意見を述べた。

 確かに乳母は後々教育係として取り入れられることが多く、教養があるに越したことはない。




「でも、わたしはできるだけ自分で育てたいのですけれど、」




 は素直にそう思った。母がべったりだっただが、それでも不満はなかったし寂しいと感じることも少なかった。つらいことがあっても必ず母がいてくれたからだと思う。

 子供たちには寂しい思いをさせたくないので、できるならば自分で育てたいし、子供も多い方がよいと考えていた。




「えぇ、もちろん、子供に実母が関わることはよろしいことですわ。問題ありません。ですが初めてで戸惑うことも多いですので、相談役だと考えたらよろしいのです。」




 マリアンヌは黒髪をゆるく掻き上げて微笑んだ。

 確かに、とは彼女の言葉に子供のいる大きな自分のお腹を撫でながら、心中で同意した。不安は大きく存在する。マリアンヌがいるとはいえ、気軽に相談できる相手はほしかった。




「それでしたら、なおさら、子供がたくさんいらっしゃる、経験豊富な方がよろしいですね。」




 はそう言って、候補者のリストを見つめる。

 ここ数ヶ月に子供を産んだ、すでに何人かの子持ちで、健康な人物は誰だろうか。は候補者のリストと候補者を見比べる。




「・・・そうですね、申し訳ないのですが、シュタイアー伯爵夫人と、アルトナイトハルト伯爵夫人、ランツフート男爵夫人、あと、イーレブルンク男爵夫人、あとフェージリアーズ伯爵夫人に残っていただければと思います。」





 はフリードリヒとマリアンヌの助言から5人の候補者を言い渡した。

 それぞれしっかりとした身分で、かつ夫はイギリス、プロイセン、フォンデンブローのいずれかに属している。オーストリア、フランスなどが好まない国は勝手に省かせてもらった。プロイセンとフォンデンブローに関してはギルベルト、の母国であるからだが、イギリスはの好みだった。

 はフォンデンブロー公国をのぞけば、即位するまでのほとんどをイングランドかイギリスと同君連合に当たるハノーファーで過ごしており、そのためこれ以降も比較的イングランド贔屓だった。この後ドイツで流行るイギリス愛好のはしりとも言える。




「後は語学も子供の数も似たり寄ったり・・・んー、」




 英仏独ラテン語は皆それぞれ話すことができる。教養という点ではチェンバロなど音楽の才能も皆が持っている。誰もが差異などないように思えた。少なくともスキルの範囲内では。




「そうですね。えっと・・・あとは性格等も見たいので、食事などご一緒してから決めたいと思います。五人の方はよろしくお願いします。」




 はそう結論づけて、五人に退出を命じた。彼らが退出したのを見計らって、はちらりとギルベルトを見た。




「んー、そうだな。」




 ギルベルトはリストをの手からとって眺める。





「フェージリアーズ伯爵夫人ルイーズはイギリス出身で、未亡人か。」

「はい。もともとはフォンデンブロー公国のアルトシュタイン元帥の遠縁に当たるのですが、イギリスに嫁いでらっしゃったそうです。」





 アルトシュタイン元帥は市民出身であり、今はフォンデンブロー公国の元帥として、また一番古参の将軍として最高の地位にある。元帥になるに当たって、この間市民から貴族の地位を与えられた。ただ遠縁なので血筋的にはかなり薄いし、繋がりは乏しい。

 まだ宗教的な事項が障壁になることが多い時代だ。プロテスタントとカトリックという違う宗派であるためプロイセンとオーストリアが表立って結婚政策をとったことはないが、フォンデンブロー公国は宗教にも寛容であり、フランスがプロテスタントを追放したこともあって、公国には追放されたプロテスタントが商業のために集まった。そのためもギルベルトと結婚するに当たりカトリックからプロテスタントに改宗したが、そういった例は珍しくなかった。

 また、イングランドもプロテスタント国であるため、プロイセン、フォンデンブロー、イングランドの結婚は貴族レベルでも盛んだった。




「ナイトハルト伯爵夫人の夫はプロイセン軍のアウグスト・フォン・ナイトハルト少佐だ。元はフォンデンブロー公国の北の端っこに領地を持つ家柄だ。」




 フリードリヒがアルトナイトハルト伯爵夫人の素性を話す。




「あぁ、アルトナイトハルト少佐か、あんま好きじゃねぇな。」




 ギルベルトは軍人であるため、知っていたのだろう。納得したように頷いて、息を吐いた。

 は彼の知人の方が良いだろうかと考える。するとギルベルトがの頬に手を当てて、小さく笑った。




「確かにアルトナイトハルト伯爵夫人はプロイセンにとっては近しい人間だけど、おまえに一番あいそうな奴を選んだらいい。」




 子供を産むのはだ。不満になるのもだ。だから権利はにある。

 自分を心配してくれる彼の心は嬉しかったが、全面的に丸投げの台詞には正直困った。よくわからないし、決めてもらうにも女性の知り合いも少ない。




「明日様子を見て、それからお決めになったらよろしいですわ。」




 マリアンヌが肩を竦めた。




様は真面目ですが気におい過ぎないことです。いざとなったら陛下やバイルシュミット将軍とお話し合いをして決めますから、様はお体とお子様のことを一番に考えるべきです。」




 ストレスは禁物。と医者に最初に言われた。

 どうしても真面目で、元来決めることも苦手だが決定をたくさん下さなければならない立場で、人がたくさんいると気を使いすぎてしまったりしがちなはストレスを感じることも多かった。

 今軍事に関する決定のすべてはギルベルトが担い、イギリスの代表者やプロイセンの国王などがいるフォンデンブロー宮廷に関することはフリードリヒとシュベーアト将軍、アルトシュタイン元帥が請け負ってくれているため、の決定すべき事項は大幅に減らされた。またの身辺に関することはすべてマリアンヌが取り仕切っている。そのため報告は入ってくるが、楽なものだ。

 たまに良いのだろうかと不安になるが、皆は休んでいて良いと言ってくれる。





「ありがとうございます。」





 皆の協力あってこそだと言うことを、はよく知っていた。









  命を願う者