墓は小高い丘の上に立てた。
世界のすべてを見通せるような、空と海の望める絶景の崖の上。
遠く地平線はまっすぐと空と海の境界のみを示し、そこには船1つ浮かんでいない。
最初は一族の墓に葬ろうかと思ったが、やめた。
彼女の会いたい人はそこにはいないし、別に純血の一族の者たちと共に眠りたいなどと欠片も思っていないだろう。
彼女の共に眠りたいと願った人は、未だに世界の破滅を願って歩み続けている。
あの遠い日と、変わることのない、永遠の命を願いながら。
彼女が最期に見た未来と嘆きがどれほどのものだったのか、今となっては誰も知らない。
漆黒の青年は墓石の前に降り立つと、ただ何も言わず墓石に花を手向けた。
面立ちはどこか中性的で、未だにその容姿は整っており美しかったが、年齢も、何を考えているかも分からぬほどに、無表情だった。
ニゲラと呼ばれる花の中心に大きすぎる緑色の雌花がある不格好な花を、生前墓石の下に埋まる女性は好んでいた。
何故かは誰にもわからない。
聞こう、聞こうと思っていて、結局忘れ、彼女は亡き人になってしまった。
花言葉は二つ、“未来”“夢で会いましょう”
きっと前者は子供達に、後者は最も愚かしく、それでも彼女の愛した愛おしい人に向けたものだったのだろう。
彼女が死んでから数十年の月日が過ぎた。
様々な人々が変わっていった。死んでいった。
分かるのは、未だに彼女がきっと微笑んでいないであろうことと、時が来たこと。それだけだ。きっと彼女は彼が来ることを求めている。
「こんにちは。」
一人の貴婦人が、男に声を掛けた。
一本の日傘を携えた女性は、くるくるとそれを優雅に回しながら柔らかに微笑んだ。
三十路を越した年頃の亜麻色の女性は、すっと青色の瞳を墓石に向けて、悲しそうに目を細めた。
ある程度の階級の人間だと分かる裾の長いスカートと、典麗な立ち居振る舞い。
男は静かに彼女の言葉を待つ。
「お手紙をくださって、嬉しかったし、悲しかったわ。」
彼女の言葉は非常に素直だった。率直で包み隠すところはどこにもない。
彼は彼女に2つの知らせを送った。
一枚の写真と、彼女の愛してやまなかった養女の死。
養女の死を数十年もたった今送るなど考えられないかも知れないが、仕方がなかったのだ。
「あの子すごく、幸せそうね。」
胸から写真を撮りだして、彼女は寂しそうに微笑んだ。
白黒の少しぼやけた写真。
そこに映るのは微笑みあう夫婦と子供達。
驚くほどハンサムな青年と、対照的に幼げで愛らしい少女が微笑みあっている。子供たちも嬉しそうな笑顔で、両親と共に笑っていた。
動くその写真は何十年も変わらず相手に笑いかける。
一番彼女が幸せだった頃の、幸せな二人の写真。
「は、いつも貴方のことを話していました。」
マグルの義母。
血のつながりはなかったけれど、はこの義母を心から敬愛していた。
マグルからの酷い仕打ちを受けたことがあるのは闇の帝王と同じであったと言うが、彼女はいつも魔法使いがマグルの紳士的な隣人であるように心から願い、子供達にそう教えた。
それはひとえに目の前の彼女への愛情だった。
だからこそ、は自分の2番目の女の子のミドルネームを、ルイーゼとしたのだ。
愛し子に、義母の名前をとった。
「私はあの子が大好きでした。あの子がどんな力を持って、どこから来たとしても。」
「存じております。」
青年は女性の言葉に目を伏せて言った。
義母は孤児院でその力を忌み嫌われたを心から愛し、大切にした。
それがどれほどに尊い遺産であったかは、彼女の子供達を見れば分かる。
だが、それは義母である彼女の慰めには決してならないだろう。
「あの子は、わたくしにとっては、何もなくてっまほうつかいだったのよ。」
ルイーゼはゆるゆると首を振って、涙で潤んだ瞳で言った。
「だってわたくしに幸せを運んできてくれたのですもの。」
涙が、白い頬からこぼれ落ちた。
朗らかな笑み、幼げな面影、今も消えずに残る日々をなんと言えば理解してもらえるだろうか。
あの子への愛情をどれほど言葉を尽くせば。
白い大理石の墓石に、ただぽたぽたと落ちていく水滴を、青年は目で追う。
海から吹く風がまるで彼女を優しく慰めるように過ぎ去っていったが、彼女が本当に望む少女は既にここにはいない。
無表情ながらもその青い瞳に憂いを滲ませた。
どうして愛おしいものはここにいないのに、待っていてはくれないのに、戦い続けなければならないのか。
彼女も彼も置いて逝かれたのだ。
一番愛しいものに。
それはきっと、闇を望む帝王も同じだったのだろう。
「貴方はこれからどうなさるの?」
静かにルイーゼは男に尋ねた。
「戦いに出向きます。とても悲しい戦いに。」
時は来た。
もうすぐ最期の戦いが始まる。
自分は今がなき少女との約束と、自分の子供達のために戦う。
少女が最も愛した男を殺すために。
かつては義兄としてその実力を認め、慕った男を、殺すために。
自分が世界に背を向けたその間に、あの男は少女が愛していた沢山のものを殺した。
それでも彼が手出しをしなかったのは、少女と約束したからだ。
光を持つ少年が戦いに挑むまでは時を待ち、その時に助けてやると。
「そう。」
ルイーゼは涙を拭いて、顔を上げ、小首を傾げた。
その姿は死んだによく似ていた。
血のつながりはないが、共に過ごした時間には大きな価値がある。
例え二度と会うことが出来なくとも。
彼の後ろに突然人が現れる。
ルイーゼは初めて目の当たりにする魔法に驚いたようだったが、青年の迎えである“少年”に柔らかく微笑んだ。
髪はくしゃくしゃで、瞳の色は明るい新緑の色。
細身だが背はひょろりと高い。
「カール・テオドール・オイゲニーさんですか?」
開口一番に少年はそう尋ねた。
テオドールと呼ばれた彼は、無表情に少し寂しそうな色を浮かべて肯定の意を示した。
「そうですよ。ハリー・ポッターでしね。ダンブルドア先生は亡くなられましたか。」
少年は何も説明していないのにそう言ったテオドールに目を見開いたが、すぐに神妙な顔で頷いた。
その瞳には強い意志の色合いがある。
「はい。」
力強いが嘆きの含まれた声に、テオドールは青い瞳を細める。
「そうですか、とうとう。」
「貴方の力が必要なのです。ヴォルデモートに匹敵する魔法使いはもう既に貴方以外いらっしゃらないと、お聞きしました。力をお貸しください。」
少年は必死の形相で言いつのる。
少年達を守ってくれていたダンブルドアは既に亡くなった。
ヴォルデモートに対抗できる魔法使いは正当法では存在しないだろう。
少年は、ヴォルデモートのターゲットだが、彼の目には死の恐怖ではなく、戦おうとする真摯な強い意志が感じられた。
その姿が最期に見た少女に重なる。
どこまでも優しく、強く、穏やか強さ。
それは最期の彼女の願いだ。
「えぇ、約束ですから。」
テオドールは青い空と海を望む。
彼女とここで約束したのはもう随分と前のはずなのに、この場所はこんなにも変わらないのに、彼女はここにはいない。
悲しいほどに、あの日のまま。なのに彼女は隣にいない。
テオドールは後ろを振り返る。
そこにはルイーゼと白い墓石が光っている。
「いってらっしゃい、気をつけて。出来るだけ早く、帰っていらしてね。」
ルイーゼが日傘を持つ手を片方外して、手を振るその動作。
―――――――――いってらっしゃい、出来るだけ早く、帰ってきてね。
今はなきと、同じものだった。
漆黒の柔らかに波打つ黒髪と、大きな瞳、幼い面立ち。
彼女が白い手を振って、微笑んで見送ってくれていた遠い日を、あの男は未だに覚えているのだろうか。
テオドールはきっと、死ぬまで忘れることが出来ないだろう。
温かさの象徴。優しい家族。
確かにあった幸せの日を、あの男もまだ。
「、もうすぐトムに会えますよ。」
テオドールは小さく墓石に告げる。
少年が目を丸くしてその墓石に刻まれている名前を凝視する。
・エリザベート・ダーレイン・オイゲニー=リドル
その名前の下にはI have all love for youと刻まれていた。
I have all love for you