緊張がとけたせいか、地面につくとはドラゴンの背から下りる前に、崩れるように倒れた。
を医務室に眠らせる頃には、ダンブルドアだけでなくグリフィンドールの寮監マクシミリアン・オイゲニー、そして2年生のテオドール・オイゲニーも立っていた。
無表情ながらさすがのテオドールも困った顔をしている。
トムは真っ向から彼らを睨み付けた。
「グリンデルバルドは、逃げよった。」
ダンブルドアは大きすぎるため息をつき、そしての眠っているであろう病室の方を振り返る。
「が無事ならそれでいいぜ。」
マクシミリアンはダンブルドアの言葉にも別段落ち込んだそぶりは見せず、くしゃりと息子であるテオドールの頭を撫でた。
テオドールはいつもの無表情ながら少し不満そうな顔でちらりと父親を見た。
その後マクシミリアンはトムへと歩み寄る。
「難しい顔をするなよ。別に何かが減るわけでもないし。」
楽観的で豪快なマクシミリアン・オイゲニーは神経質なスリザリン生の気質にはいまいち合わない。
だがそれを認めつつも、何故かトムは彼の豪快さに関しては嫌いではなく美徳だと思っていた。
ダンブルドアは改めてが眠っているのを確認してから、ベッドのカーテンを閉めてトムを見た。
「トム、君に怪我はないかね。」
確認されて、トムは「はい」小さく返事をして頷いた。
怪我はない。グリンデルバルドと戦ったわけではないし、ドラゴンに助けられたおかげで事なきを得ていた。
もちろん最初に階段を下りたのがトムであれば、トムが殺されていた可能性は高いが。
マダム・ポンフリーは席を外しているのか、医務室にはマクシミリアン、テオドール、ダンブルドア、トム、そして眠っているしかいない。
「マクシミリアン、ドラゴンの方はどうしたのじゃ。」
「テオドールに命じられて禁じられた森で大人しくしてる。」
「・・・動物とは不思議なものじゃ。のみの危険を察しておったのかも知れんな。」
ダンブルドアはしみじみと言って、トムへと向き直った。
「これから話すことは、他言無用じゃ。にも。」
「、にも?」
のことなのに、に言ってはならないとは、些か不思議な話だ。
トムは意味が分からず眉を寄せる。
ダンブルドアは不満げなトムを宥めるように言った。
「まだ、時期ではないのじゃ。この子が大きく、ある程度強くなるまでは。」
悲しく、呟くような声音だった。
ダンブルドアのきらきらした目は、酷く寂しそうで、同時に哀れむようでもあった。
「わかりました。にも、誰にも言わないことを約束します。」
トムは言葉にして、誓いを立てる。
それは小さな魔法でもあった。
誓わなければ、ダンブルドアはのことを話さないであろう。ダンブルドアはもう一度マクシミリアンを振り返ってから、口を開く。
「もうかれこれ14年ほど前、オイゲニー家に長女が生まれた。」
名門のオイゲニー家当主であるマクシミリアンと、彼と一人の女性との間に待望の一人娘に恵まれた。
初めての子供だった。
元々最初は女の子を望んでいたため、一族も結婚に目立って賛成はしていなかったものの、純血の姫君の誕生に喜んだ。
赤子は、生まれながらにして特別だった。
人の感情を即座に読み取り、敵意ある人間が近づくと泣き出す。
不思議な赤子に、夫妻は普通の名前をつけた。
「・エリザベート。それがあの子の名前だった。」
・エリザベート・オイゲニー。
それはオイゲニー家の長女として生まれ、愛され、育てられるはずだった小さな娘。父親の黒髪と、母親似の青い瞳。
少し特殊な能力を持っていたが、オイゲニー家にはそう言った子供が何人もいたため、心配したりはしなかった。
「ところが、が3歳になった時、消えた。」
マクシミリアンは腕組みをして、ため息をつく。
「消えた?」
トムが聞き返すと、彼は神妙な面持ちで頷いた。
「そう。まるで神隠しのようにな。」
本当に一瞬だった。
マクシミリアンの妻が一瞬目を離したすきに、幼い娘は足跡も残さず消えた。
捜索もされたし、名門のため誘拐の線も考えられたが、そもそもマクシミリアン達が住まうグリフィンドールの虚空に入ってこれる魔法使いはいない。
お手上げ状態で、後に残されたのは自分を責め続ける妻だけだった。
幼いは結局、行方不明とされ、まったくと言って良いほど、痕跡も見つからなかった。
まさに忽然と消えたのだ。
「それから10年、何もなかった。なのに、ある日突然、身元不明の女の子が現れた。」
ホグワーツに何度目かの新学期が来た時、見知らぬ少女がグリフィンドール寮の前で困っていた。
明らかに見覚えのない少女だったが、振り返ったその青い瞳は、マクシミリアンの妻と同じだった。
事情をよく聞くと、ホグワーツに通っており、制服も同じ。
魔法省に問い合わせても戸籍などありはしないし、マグル界でも戸籍が存在しない。だがホグワーツに通っていないと知り得ない情報を知っている。
彼女の話を聞いた結論は、彼女は未来、もしくは別の世界から来たと言うことだった。
そんなこと到底信じることは出来ないが、マクシミリアンにとって亡くした娘が戻ってきたというそれだけで十分だった。
だが、はそれを望んでいなかった。
「は、元の世界に帰りたがってるんだ。義母が、いるから。」
いつも快活なマクシミリアンとは思えないほどに、悲しそうに笑う。
「知っています。マグルですが、とても良い義母だと聞いたことがありますから。」
トムのマクシミリアンの言葉に十分賛同できた。
と知り合ったのは本当にここ一、二ヶ月ほどだが、彼女は義母の手料理やしてもらったことの話をトムにしていた。
未亡人であるという話も聞いているから、彼女の義母自身も独り身なのだろう。
だが、マクシミリアンもダンブルドアも、一番残酷な答えを知っていた。知っていて、に教えなかった。
「彼女がもしも、未来にいたとしても、別の世界にいたとしても、彼女はこの世界の人間だ。」
マクシミリアンはその後の言葉をはっきりとは言わなかったが、トムもその先を理解できた。
要するに彼女は元々この世界の人間であり、たまたまあちら側の世界に迷い込んでいただけで、そう簡単に戻れるとは思えないのだ。
おそらく、彼女の未来での役目は終わっているのだ。
戻れないと言うこと、そしてこの世界でこの世界の家で突然生きて行けと言うのは、義母との再会を切望するにはあまりに酷すぎる。
「・・・心が読めること、未来を知る可能性があること、だから、人は彼女が希少だと思う。」
ダンブルドアは悲しそうに目をぱちぱちとさせた。
彼女は将来どうなるかを知る可能性のある人物であり、また他人の心を簡単に読めるその両方が他人からは“価値”だ。
だがは本当にただ普通で、そんなことを欠片も知る少女ではなかった。
そして、一番彼女が重要としていることも違う。
「・・・は、義母の元になんとしても帰りたいでしょうけど、無理だと、いうことですよね。」
トムですらも、同情を禁じ得なかった。
いつかきっと、会えるかも知れないなんて希望を持って、彼女は今もいじめに耐えながら懸命にホグワーツに居続けている。
傷つくからと言って、彼女に本当のことを言わない方が、残酷なのではないだろうか。
絶対叶わない希望を持って、歩み続けている方が、辛いのではないかと、トムはがいるカーテンの閉じられたベッドを振り返る。
マグルの孤児院にいた。
いつの時代もどこでも、多分マグルの孤児院のひどさや、辛さは同じだと思う。
きっとはトムと違って力の使い方も上手ではないし、人の心が読めるのならばなおさら、今のいじめと同じようにどんなことをされても黙っていただろう。
酷い環境で、手をさしのべてくれた最初の人を敬愛するのは仕方のないことだ。
そしてその人にもう会うことが、できないなんて。
「どういう、こと?」
震える声が、カーテンの中から響く。か細い、感情を押し殺したような声だった。
カーテンを細い手が掴む気配がして、一気に開かれる。そこにはが青い瞳を悲しみで潤ませて、呆然と立っていた。
トムは目を丸くしてを凝視する。
それはダンブルドアやマクシミリアン、テオドールも一緒だ。
「みんな、知ってたの?帰れないって、魔法省の、人も、みんな、知ってて、」
は可愛らしい面立ちを歪める。
魔法省の人々も、帰る方法を探してあげるからと嘘をついて、彼女の能力を利用していたのだ。彼女も無邪気にその言葉を信じていた。
信じていたから、心を読もうとしなかった。
「みんなで、だましてたの?帰れるよって・・・」
が目を伏せれば、ぽろぽろと涙が滑り落ちる。
嘘だよと言ってほしい。帰れるよと笑って欲しい。
けれど誰もが口を噤んだまま、呆然とした、寂しそうな面持ちでを見つめている。それが、答えだ。
「なん、で」
無知が幸せか、知ることが幸せなのか。
にはわからないけれど、皆からだまされ、利用されていただけだったことは、よく理解できることだった。
I dont know who I am.