トムはその後、呪文学の授業にもあっさりと出席していたが、は出席する気にもなれず、仮病を使って逃げることにした。

 医務室でだらだらし、ベッドの上でごろごろして呪文学の時間は過ぎていった。

 キスまでされて、は呆然とするしかなかったし、平気な顔でトムに会えるほどはそう言ったことに慣れていなかった。




『おまえは僕のものだ。』




 トムの言った言葉の意味が分からない。

 何に苛々していたのかも分からず、その本質がどこにあるのかも分からない。ひとまず分かるのは、ミュラーと仲良くすることを、トムが面白く思っていないと言うことだけだ。




「何してんの。あんた。」




 セシリアは呆れたようにため息をついての仮病にも、仕方なくを装いながらも授業ノートを持ってやってきてくれた。

 医務室には人は常に多くはない。

 話を聞かれる危険性もなく、セシリアは仮病を使ったに呆れた目を向けることを辞めなかった。




「それでなくとも勉強遅れがちなんだから、すぐに引きこもる癖をやめなさい。」




 腰に手を当てて言われれば、その通りでも反論のしようがなかった。

 でも、呪文学の授業は三,四年生の合同授業となっているので、トムと顔を合わせることになるから、行きたくなかったのだ。




「何?ミスター・リドルと何かあったの?」

「なんで?」




 あっさりと言い当てるセシリアには眉を寄せる。




「ミスター・リドルが珍しく苛々してたから。」



 セシリアはオブラートに包んだが、“苛々してた”なんて簡単なものではなかった。彼は珍しく呪文学の授業で授業を聞いておらず、小さなガラスの瓶を粉々にする呪文の規模をはかり間違い、なんと後ろの壁まで破壊するという大失敗をやらかしたのだ。

 呪文学の教授はいつも優等生のトムの失敗に目くじらを立てることはしなかったが、トムは自分でも驚いていたし、呆然としていた。

 少し落ち込んでいたようにも思う。




「・・・っていうかさ。ミスター・リドルって、あんたのこと好きなんじゃないの?」

「え?」




 考えたこともない話に、は青色の瞳を瞬かせる。




「少なくとも好きかどうかはともかく、気に入ってると思うわよ。あの人、結構クールだし。」

「クール?」

「そ。表面上だけしか普通はつきあわないしね。」





 周りの人間はトムにあこがれを抱き、は常にトムのペースに振り回されているが、セシリアはどちらかというと冷静にトム・リドルという人間を見ていた。




「彼は非常に、極めて賢い人だわ。」



 セシリアは自分がある程度賢い人間だと、自負していた。

 やはり純血の名門・アークライト家の一人娘だけあって、礼儀作法から魔法の能力まで幼い頃から求められるものは大きかった。

 だが、ホグワーツという場所に来て、才能ある子供が何人もいる中、トム・リドルという人間にセシリアは驚いた。




「私はテオドール・オイゲニーについては驚きを覚えないわ。彼はオイゲニー家の嫡男として教育を受けてきてる。要するに既にスタートラインが人よりも早い。」




 魔法というものに幼い頃から触れてきている。

 ましてやここ数千年、オイゲニー家は自分たちの城に住んでおり、千年以上前の魔法に囲まれて暮らしているため、魔法の力を自然と行使するのが普通だ。

 マグルが小学校に行く頃から、家で魔法の勉強をしている。





「でもミスター・リドルは違うらしいじゃない。それってすごい努力だと思うわ。」




 トム・リドルはマグルの中で暮らしていたと言うし、入学時にホグワーツの存在を知ったという話だ。

 要するにスタートラインは遙かに魔法族の子供達より遅かったであろうが、彼は現在ダンブルドアに「ホグワーツ始まって以来の秀才」と言われるほどの優等生だ。

 その努力は並々ならぬものだろう。そして、努力で真面目だと言うだけではなく、容量もかなりよいはずだ。

 要するに真面目や努力だけではなく、ずるがしこさという点も余すことなく持っている。

 でなければスタートラインの差を補うことは出来ない。




「で、私が言いたいのは、彼は驚くほどに賢いと言うことと、だからあんたも少しは考えなくちゃいけないってことよ。」




 セシリアはの人を読む力をある程度知っている。

 その能力を有益だと思う魔法使いは掃いて捨てる程いるだろうし、狙っている人もいる。トムはがオイゲニー家の娘であることも、心を読む能力があることも承知だ。

 それ故にを手に入れたいと思っていてもおかしくはないかと邪推することも出来る。

 ただ、彼の今日の呪文学での失敗を見れば、それだけではないのかも知れないとも思う。




「・・・それってさ。わたしとつきあうとその人も危ないってこと?」

「あ。そっちの心配?多少危ないかもね。実際に狙われたことがあるわけだし?」





 実際にを狙った闇の魔法使いがこの間襲撃しに来たぐらいだ。可能性は十分にあるだろう。





「わ、わたしミスター・ミュラーの告白、断るよ。」




 他人を自分のせいで危険に陥れるというのは、流石に避けたい。

 セシリアは話が自分の言いたかった方面からそれて言っているのを感じたが、の青ざめた表情に、ため息をついた。

 他人のことばかりで、自分の身に降りかかることを、あまり考えていない。

 だからいつも彼女は危ない。




「せ、セシリアも、離れた方が良いのか、も?」




 は少し悲しそうな顔でおずおずとセシリアを見てくるので、セシリアは吹き出してしまった。




「ダンブルドアは有名な闇払いだから、そうそう簡単にはホグワーツに入ってこれないわ。」




 この間は確かに闇の魔法使いが入ってきてしまったが、警備は厳しくなったし、何より本気で教授達が気をつけ出せば、そう簡単にホグワーツの魔法を破れるとは思えない。

 少なくともセシリアは、ホグワーツにいる間は何も心配していなかった。




「それに、私は優秀だし?」




 一つ上の学年に秀才トム・リドル、一つ下の学年に天才テオドール・オイゲニーがいるため、どうしても目立たないが、セシリアも学年主席だ。 

 成績は常に良く、名門の出身でもある。




「本当にセシリアって頼りになるよね・・・・。」




 はふにゃっと崩れたような笑顔を浮かべて、青い瞳でセシリアを映す。




「で、ね、私思うんだけど、ミスター・リドルはあんたのことが好きじゃないかと思うのよね。ってか、なんかあったんじゃないの?」

「・・・わかんないけど、怒ってて、それ、で」



 何であんなことをされたのか、にもよく分からない。分かるのはにトムが怒っていたことだけだ。




「ひとまず、しっかりしてよね。来週はクィディッチなのよ。」




 はグリフィンドール寮のシーカーだ。スリザリン対グリフィンドール戦は常に皆が興奮する試合で、グリフィンドールの威信がかかっている。




「セシリアもでしょ。」

「そうよー。私はビーターだから、ストレス解消だけどね。」




 セシリアもまた、今年からはクィディッチチームの選手となり、ビーターの予定だ。

 女性では珍しいのだが、バッドを持ってブラッジャーを相手の顔に打ち返すのが楽しいらしい。本人曰く、合法的な他人をサンドバックにするストレス解消だと公言してはばからないため、敵からは恐れられていた。




「ミスター・リドルも去年からチームのチェイサーに入ってなかったかしら。」

「えー、そうなの?わたしすぐ負けそうだよ。」

「別にあんたを襲うわけじゃないんだから良いじゃない。」





 セシリアはあっさりと言って、医務室のカーテンを引っ張って開ける。と、その隙間からトムの姿が見えて、は目を丸くした。




「せ、セシリア、し、しめて、」

「え、あ?はぁ?あぁ、ミスター・リドル。」 




 医務室の入り口からすたすたとやってきたトムに、セシリアはをちらりとうかがったが、は今にも逃げたいとでも言うような、蛇を前にした蛙のような表情をしていた。




「あからさまに避けてくるね、。」




 腰に手を当てて仁王立ちしたトムの目は怒りと言うよりは、呆れているようだった。セシリアは興味と心配の入り交じった目で二人を見ている。




「ねぇ、を賭けをしようよ。」




 トムはさも当たり前のようにのベッドに座って、いつも通りさわやかな笑みを浮かべる。前にに見せたような熱っぽい瞳はない。

 あるのはいつもの狡猾さだ。




「来週の試合、スリザリンが勝ったら、つきあってよ。」

「え。」

「グリフィンドールが勝ったら、諦めてあげるよ。」




 横柄な言い方だったが、非常に妥当な賭だった。

 は元々優柔不断で、物事が決められない。右か左かを決定するのに、賭はなかなか良い案だと言えるだろう。




「一つ聞いても良い?」



 は不安そうにトムを見上げる。




「つきあうって、どこに?」

「この子の頭を一発叩いても良い?」




 トムが作られた彫像のように微笑むのを見て、話を聞いていたセシリアの方が吹き出しそうになった。
small bet or big bet.