「あぁ、城のドアはですね、ドアノブに行き先を言わないとランダムに外に出ますよ。」




 トムに事情を説明されるとテオドールは訝しそうに眉を寄せて、説明した。

 扉はドアノブに行き先を言うことによって城の中ならどこへでも簡単にいくことが出来るという魔法がかけられているらしい。





「ドアノブに行き先を言うのが常識ですので、」

「・・・それは魔法界でも常識じゃないと思うよ。」





 トムは眉間に皺を寄せて反論したが、相変わらず無表情のテオドールは納得出来なかったのか、少し困った顔をしていた。

 テオドールはこの城で幼い頃から育っており、その特殊性が全く理解できないようだ。





「要するにドアノブの向こうが君の部屋というわけじゃないんだね。」

「違いますよ。本来私の部屋は廊下の奥、あなた方のいる客室は廊下の手前です。」

「・・・」





 ドアノブに行き先を言えば連れて行ってくれるという魔法は確かに移動の手間を省くもので素敵だったが、言わないとランダムに人の部屋に出るというのは困りものだ。ましてやそう言った説明を一番最初にしないオイゲニー家の面々の方が問題だった。

 トムはそう思ったけれど、テオドールは全くそう考えていないようだ。





「・・・ここ、テオドールの部屋なの?」






 は周りを見渡す。

 ベッドが部屋の端に一つあるが、そびえ立つ本棚の間からそれが見える程度で、まるで書庫の中にベッドを持ってきたような不釣り合いな部屋だった。

 一般的に売られているような新しい本ではなく古文書と思しき大量の本が並ぶ本棚には、が見たこともないような装飾の入ったものや、鍵のかけられたもの、紙切れなども積んであった。

 机も本に埋もれているような状態で、古文書には埃や砂が混ざっているのか、机の横に小さな埃の山が作られていた。

 積まれた本の中の一つに、は目をとめる。




「秩序の日記・・・?」




 Tagebuch der Ordnungと題された本には目をとめる。酷く分厚いそれを取り出せば、女性らしい流れるような字でびっしりと、日付ごとに文章が書かれていた。文章自体はドイツ語らしい。

 トムはの手元を見つめる。


 中は本当にただの日記で、日付が飛び飛びになっているところから、筆者はおそらく几帳面な人物ではない上、これはプライベートなものだったのだろう。




「それはある女性の日記ですよ。」 




 テオドールは静かに言って、の手から日記をとる。





「女性?オイゲニー家にゆかりの?」





 トムが興味を持って尋ねると、彼は僅かに目を細めた。





「少し違います、私の母の物、ヴァヴァリア家のです。」

の?」

「はい、まぁ。」





 トムの問いかけにテオドールは別段感情を見せることなく淡々と言う。

 トムには話していないことだが、テオドールは実際にはマクシミリアンの息子ではなく、の父であるマクシミリアンの弟・アーダベルトとの母の三つ子の妹エウノミアの間に生まれた。

 要するに血筋の上では非常に姉弟に近い従姉弟同士ということになる。


 ヴァヴァリア家と言えばユースティティア・ヴァヴァリアを輩出した、南ドイツの魔法族の名門だ。事実を知らないとはいえ、の母親の素性にトムは軽く目を見張ったが、オイゲニー家の嫁なのだから、やはりそれぐらいは普通なのだろうと納得する

 戸籍上テオドールは現在はマクシミリアンの子どもと言うことで登録されているが、実質的に彼の子どもではなく、甥である。とも両親が兄弟という、非常に血の近い従弟でしかない。





「とはいえ、母はヴァヴァリア家の嫡男が駆け落ちして作った子供だったらしくて、父も母も、どうやら駆け落ちだったらしいですね。」





 テオドールにとって、この日記は要するに本当の母の形見と言うことだ。いつもは無表情な顔に哀愁がにじみ出ていた。ぼろぼろに端っこの書けた古い日記帳は彼にとって大切な物なのだろう。

 とはいえ、おそらく駆け落ちしたのはの両親、テオドールの両親共に同じだ。




「…そう。」




 トムは別段感情を表に見せることはなかったが、僅かに感慨を持ったことには気づいた。

 彼が孤児院出身であることをは既に聞いている。対して後から親族が見つかった彼に、トムとしても何か思うところがあったのかも知れない。




「この本、借りても良いかな。」




 トムは本棚の端にあった、魔法使いの家系図を指で示して尋ねる。





「滞在中勝手に入っても構いません。本も興味があれば借りていってください。」






 テオドールはあっさりと言って、自分の手元にあった本を開いた。




「それは、なんの本なの?」




 がのぞき込むと、そこには訳の分からない象形文字が描かれていた。何語かすら、には分からない本だ。




「えぇ、これはエジプトのものだそうで、数代前のオイゲニー家当主の趣味、です。他にもトイレのコレクションなんて物もあります。」



 役に立たない本がオイゲニー家には沢山ある。変人が多いことで有名なオイゲニー家の歴代の当主が集めた物品は現在でも貴重な物が多い。中には昔のマグルの弓矢のコレクションや服のコレクション、トイレのコレクションなんて物もあった。




「オイゲニー家には歴代収集癖があるのか?」




 戸惑うと言うよりは僅かな皮肉を込めたように、トムは少し眉を寄せて問う。




「その通りです。歴代何らか収集癖があることが多いですね。」




 テオドールは何の気もなしにあっさりと認めた。

 確かにの父で今の当主であるマクシミリアンも魔法史の教師であり、そのコレクションは研究者が感動するほどの物だ。もちろん彼は研究者の一人でもあり、魔法史に関係あるものは欠片でも購入する。




「テディは、なんの収集をしてるの?」

「日記と、箱です。」




 テオドールは近くにあった少し大きめの箱を取り出してくると、それを机の上に置いた。

 それは机程度の大きさの木造の箱で、継ぎ目を綺麗な金で装飾されていた。見た目は重そうだが、テオドールの動きからそれ程重いものではないのだろう。




「箱…。」




 確かに、ただの箱である。がじっと金の装飾を眺めていると、彼はその箱を鍵で開けた。

 その箱の中から彼が出してきたのは、小さな装飾の美しい箱達だった。




「箱から、箱?」

「触るな。」






 がその小さな箱に手を伸ばそうとすると、トムが慌てた様子でその動作を止めた。




「これは魔法のかかった特別な箱、だよ。」




 トムは一目で気づいたのか、興味深そうに外側から眺める。どんな効果の魔法がかかっているのか分からない以上、触るのは危険だ。

 もこわごわと出した手を引っ込めた。




「これは人に幻覚を見せるオルゴールなんですよ。」




 テオドールは沢山ある箱の中でも緑色の箱を指さした。





「やったことが、あるの?」

「まぁ、私は耳栓をしていましたけど。」





 耳栓をしなければオルゴールの奏でる音楽で幻覚を見ることになる。だが、綺麗な装飾の箱を見ながら、この綺麗なオルゴールの音を聞けないのは、少し残念の気がした。もちろん幻覚にかかるのは嫌なのだが。




「この箱は、何?」




 出された箱の中でも一際目を引く、螺鈿と漆の装飾がなされた箱を指さしてトムが尋ねる。

 黒一色に装飾であるため、確かに他のきらびやかな物とともにあると目立たない。質素と言えば質素だが明らかに舶来物で、ヨーロッパで作られた物ではなさそうだ。




「グリフィンドールの玉手箱、1000年ほど前の極東の物で、非常に貴重なものだそうです。」




 テオドールはそっと箱に触れ、それを開く。だが中には何も入っていないが、丸い物が貼り付けられていた。




「何、これ。」





 何が貼り付けられているか気になって、それが裏返せるものなのか確認しようとして、の手をテオドールが止めた。





「裏返しては駄目ですよ。これは鏡なんです。」




 丸い物は鏡だと言うが、裏返されて裏を向けられていれば、鏡としての効能は全くない。何故なんだろうとが見ていると、トムが笑った。



「要するにそれが、仕掛け、なんだろ?」




 鏡を表に向けて自分を映せば魔法がかかる、そういう代物だと言うことだ。




「ふぅん。」




 触るのは怖いのではじっと裏を向いた鏡を眺める。その箱をいつか自分が持つことになるなどと、この時は考えもしなかった。


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