「どうしてそういうことをべらべらいい加減な口からでまかせみたいなこと喋るんですかー。論語の“子曰く、巧言令色には、鮮(すくな)いかな仁。”だよー。」

「誰がいつ巧言令色をおまえに述べたよ。おまえを褒めたこともねぇしな。きっちり意味くらい覚えとけよばーか。」

「晋助は大人にはいつも巧言令色使うでしょ。どっちが馬鹿なの!」





 晋助とのいがみ合いは始まれば止まらない。それはもう松下村塾では有名なもので、内容が高度なので誰もついてこないし、止まられない。

 慣れた意味のわからない言い合いに銀時と小太郎は半ば呆れる。




「せっかく夜桜祭りに来たんだ。少しは仲良くしろよ。」





 夜にもかかわらず活気に満ちた夜店。明るい提灯。田舎町であっても、祭りというのは賑やかなもので、それを害するいつも通りのぎゃんぎゃんした言い合いに、、銀時は妹と友人を諫める。





「こいつが黙ればいいんだろ?」

「何さ、こいつじゃないもんだもん。人の名前も覚えられない馬鹿に言われたくない。」

「おまえも人のこと馬鹿とか呼んでんじゃねぇか。名前はどうした、名前は。」

「そんなの知ってる。晋助だもん。」

「・・・貴様ら、よく飽きんな。そもそも…」





 小太郎が腕組みをしてため息をつく。

 この言い方をした時、次に出てくるのは長い説教だ。わかっているは咄嗟に小太郎の話を遮ろうと全然違うものを探し、ぐるりと辺りを見回した。





「ねーねー、お兄、あのりんご飴買ってー。」

「あー。兄ちゃんはあっちのカスタードクリームの回転焼きが良いんだけど。」

「甘すぎるよ。りんご飴−。」

「回転焼きにしようぜ。」





 二人の主張が明らかに食い違う。





「えー太るよ。糖分で太るよお兄。やっぱりヘルシーに林檎飴だよ。」

「何がヘルシーだ。周りに砂糖が塊でついてるんだから、一緒だ。一緒。」

「一緒じゃないよ。割合が違うじゃない。第一一緒なら林檎飴にしようよ」




 はうまく銀時を誘い込んで、今度は兄妹で口論を始める。兄妹仲はおそろしく良いと言うのに、お互いまったく譲らない。

 一方、出鼻をくじかれた小太郎は、仕方なく黙った。

 こういう小さな言葉遊びはも銀時も得意で、だからこそ二人が争い始めると収拾がつかない。特に晋助とは互いに自分の知識を競うような部分があるが、と銀時は本当にくだらないことで言い争うため、へりくつの応酬だ。

 決着などつくはずもない。





「りんご飴なんてお子ちゃまだな、女だし簪とか欲しがれねぇのか?」





 食い気ばかりのを晋助が鼻で笑う。




「愚かな人は自分の食欲の限度を知らないってやつだ。」

「天人の言葉?・・・でも朝には考え、昼には行動し、夕方には食事をし、夜には就寝せよっていうじゃない。」

「それは英吉利の言葉か?それも良いが、おまえ、朝寝坊して昼まで寝てただろうが。」

「う・・」




 今日の軍配は晋助に上がったらしい。たわいもないこの口喧嘩は7割の確率で晋助が勝利する。やはりその辺は晋助が年上なので年の功と言ったところだろう。

 知識量ではの方が多いようだが、晋助の方が突っ込みどころを心得ているため、討論になると強かった。




「それにしてもすごい人だな。みんなでそろって砂糖を求める蟻さんか?ちくしょー、みんなぞろぞろうぜぇ…」

「そんなこと言ったらわたしらも蟻さんだよ。お兄。完璧に砂糖に惹かれた蟻さんだよ。」

「いやまぁ、その通りなんだけどね。ってか俺、糖分欲しいわ。どこだろ。」




 銀時は辺りを見回すが、正直人が邪魔でなんの店があるのか中々見えない。



「おまえら、家で砂糖袋ごと食っとけよ。」




 晋助は呆れたように吐き捨てる。




「うるせぇよ。糖分は頭の回転にだって良いんだぜ。」

「いつも死んだ魚の目でろくすっぽ授業も聞いてねぇ奴がよく言うぜ。頭に糖分回らねぇでどこにまわってんだ?」

「晋助だって授業出てないじゃん。ま、お兄寝てばっかりだから、将来まるまる太ったりしてー」





 はケラケラと笑って銀時と晋助の口げんかに首を突っ込んでから、人並みを不安げに見た。隣街で行われる夜桜祭りはこのあたりでは一番大きなもので、春を告げる久々のイベントと言うこともあって人の行き来も激しい。

 神社の本道に入ると、人はますます増えた。




「きゃっ!!」





 人にぶつかられ、は思わずその拍子に銀時の手を離す。





!」





 銀時が叫んだがもう遅く、小さなは銀時たちのように踏ん張ることも出来ず、人の波に押されてどうしようもなかった。





「まぁ、もよく知っているところだ。大丈夫だろう。」





 祭りには何度も来ており、この神社も初めてではない。小太郎は言ったが、銀時は心配そうにが消えた付近を人にもまれながらも振り返る。





「仕方ねぇか。」





 大きく息を吐いて、意を決したように晋助が道から外れ、逆走する。





「ちょっ、高杉?おまえまで迷子になる気かー。」

「あのくそ餓鬼を探してくる。」




 銀時に晋助は短く返して、脇道に消えていった。

















 境内の裏手は薄暗い林になっている。喧噪から少し離れ、は息をついた。

 小柄なはいつの間にか列からはじき出されてしまっていた。人の波は相変わらず途切れることなく流れ、むしろ増えている気さえする。元々人のたくさんいるところが嫌いなは癖癖してそれを眺めた。

 しばらく待つと言っても、この人波が耐えるのは夜中になるだろう。

 馬があるところまで帰りたいがそのためにはこの人波を突っ切っていくことになり、小柄なには難しい。とはいえ、馬がなければ町まで帰れない。兄たちが一人を置いていくとは思わないが、お金は兄が持っているのでは夜桜祭りを眺めることしか出来なかった。





「お兄がきちんと手を握っていてくれれば良かったのに。」





 一人で悪態をつくが、兄のせいではない。人にぶつかられて手を離したのは自分で、仕方のないことだ。

 薄暗い林から、動物の鳴く声が聞こえる。気味の悪い声に後ろを振り向いたが、当然誰もいない。

 は急に一人になったことに不安を感じた。よく考えれば、はあまり一人でいたことがない。いつも銀時や、彼の友人がついていて、寂しいと感じるほど、不安に思うほど人と離れたことはなかった。

 両親のことは覚えていない。松陽に兄の銀時が拾われた時、はまだ赤ん坊で、兄の背に背負われていた。だから、両親の記憶は全くなく、今の養父が実質的な親と言って間違いない。親がいない代わりに、いつも兄がどこに行くにも一緒だった。だから、孤独は嫌いだ。




「お兄が見つけてくれるかなぁ。」





 不安に駆られて小さく呟く。すると突然、後ろで物音がして、重たいものがの背後からのしかかってきた。





「きゃぁあ!」





 びっくりしたは、高い声を上げて硬直する。





「ほぉ?かわいい声出せるじゃねぇか。」





 恐ろしくて声を上げることも出来ずにいると、耳元で聞こえた低い声は聞き慣れたもの。晋助がの背後から抱きついて、耳元でくつくつと笑っていた。





「晋助!?」

「なんかしょぼくれてやがるから、驚かせてやろうと思ってな。」





 意地悪い声に反して温かい体温に、は体から力が抜けるのを感じた。の体に覆い被さるように抱きついている晋助の重みがほっとする。





「なんだ、怖かったのか?」

「・・・」





 答えられない。黙り込んでしまったに、馬鹿にすることなく晋助は抱きしめる腕の力を強くした。





「迎えに来てくれたの?」

「ま、なんだかんだ言ってもお子ちゃまだしな。おまえ、」





 学識があり、偉そうな口を利きながらももろい子供。そのことを、晋助は誰よりもよく知っている。

 の両親は早くに亡くなっているが、と兄の銀時を引き取った養父には子供がなく、特に女のを養父は蝶よ花よと育てたため、有事に対する免疫力も低い。

 銀時がを抱えて実父母が亡くなった時の戦乱を逃げるように人を殺しながら駆け抜けた頃、はまだ赤ん坊だった。だから銀時ほどのハングリー精神は全くない。気が強く、どんなに男勝りで知識を頭にため込んでいても、やはりその幼さを補うことは出来ていないのだ。




「さぁ、馬のところまで戻るぞ。」





 晋助はの小さな手をつかんで人波へ入ろうとする。




「うん。」





 日頃は悪態をつくも、おとなしく頷いて従った。

 人が多い。小柄なは人波にもまれて倒れそうになったが、その度に晋助がの肩を自分の体の方に寄せて支えた。

 本道を抜ければ、人もまばらになる。出店も少ないところで、ふと晋助が立ち止まった。






「どうしたの?」





 が尋ねると、晋助は目の前の簪屋を見ていた。

 漆や金など、たくさんの簪が並ぶ。中にはガラス玉がついていたり、こった編み目の髪紐なども置かれていた。





「赤の漆だ。」




 様々な種類があって目移りしてしまう。自分は銀髪なので、黒の漆塗りの簪でも案外目立つかもしれない。は大抵髪を一つに束ねているが、今も編まれてもないただの紐でくくっており、色も紺色で質素だった。





「これ、綺麗だな。」





 晋助が手に取ったのは漆黒に金や螺鈿で蒔絵の描かれた簪だった。

 蝶や花の描かれた模様は昔風だが、金や螺鈿であでやかに装飾されており、小さな金の鎖で硝子玉がつながれている。

 品が良い中に華やかさがあった。彼はの髪をそっとあげて、簪をさしてみる。よくの銀色の髪に深みのある漆黒が映え、模様も美しく見える。

 淡い蒼の文様の入った硝子玉がカチリとあたって小さな音をたてた。





「すまない、これを一つ。」






 露店の店主に、晋助は簪を見せる。白髪で髭面の店主はにやりと笑って値段を言った。妥当とは思えるが、それなりに高い。しかし、晋助は迷いなく金を支払った。

 は不思議そうに彼の横顔を眺める。

 誰かにあげるのだろうか、

 考えていると、彼はの後ろに回ってその簪をの髪に挿した。





「?」

「やるよ。」





 低い声が素っ気なく告げる。

 は目をぱちくりさせて晋助を見上げた。





「え、でも・・・」

「少しは女らしくしろってこった。」





 ぽんぽんと二度の頭を軽く叩いて、晋助は笑う。





「うん。」




 その笑顔をぼんやり見ていたが、はにっこり笑って頷く。意地悪で、横柄なその笑顔は晋助独特のもので怖いという人もいるけれど本当は優しいと言うことをよく知っていた。



貴方の優しさを知る