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 高杉晋助は藩士の息子として生まれた。禄高200石のお坊ちゃんで、家柄もそれなりによい。幼い頃から手に入れたいものは全て手に入れてきた。

 だから、今回は予想外だった。

 松下村塾の室内では、二人の男が険しい表情で話し合っている。晋助は中の二人にばれないように、そっと戸口の近くに耳を寄せた。






は、・・・・・桂殿のところに嫁がせようかと思います。」






 穏やかな表情で町奉行の坂田右衛門が座っている。

 右衛門は、銀時と養父であり、松陽の頼みで天涯孤独の身となった兄妹を引き取った人物だった。町奉行として非常に真摯な仕事ぶりで、よそ者ながらも地域の人間に密着し、町の人々にも評価されている。

 その彼の言葉に、晋助は驚く。を小太郎に、嫁がせる。それは驚くべき話だった。





「また、どうしてですか?」





 松陽が小首を傾げ、おやおやと言う顔で尋ねる。





「色々な話を頂いておりますが、は、子供ですから。おそらく慣れ親しんだ桂殿でしたら、問題はないと思いまして。」




 右衛門とて、義理の娘のことを何も考えていないわけではない。右衛門には子供がいない。そのため、出来ることならば、銀時に家を継いで欲しいと考えている。

 当然、後ろ盾のない銀時のためにも妹のには、それなりのところに嫁いで欲しいと思っている。だが、無理難題を押しつけ、養子たちを不幸にする気などない。

 彼は特筆した先進的な考えは持っていないが、それでも引き取った恵まれない境遇で育った養子達のことを心から愛おしんでいた。の望むところに、出来る限り彼女の理想に近い者に嫁がせたいと思っている。


 同じ松下村塾で学ぶ桂を選んだのは、右衛門の愛情そのものだ。


 縁談の申し出はどんどん来ており、いずれこのまま放置すれば彼女の意に沿わない、断り切れないものも来るだろう。それくらいならば、早めに気心の知れた男に嫁がせてやりたい。

 だからこそ、松陽に相談に来たのも、松下村塾での様子を一番知っているであろう松陽の意見を聞きたかったからだ。




「ですが、他の子供でも良いわけではないですか?」

「歴史ある旧家はすべて外しました。それに比べて桂家は失礼なお話、小太郎殿も養子ですし、ご兄弟も義理の姉上だけだと聞いております。他にも確かに仲の良い子はいるでしょうが、はがさつとはもうしませんが、我の強い子です。」






 要するにの性格から、しがらみや躾けを厳しくするであろう旧家は彼女の気質的に厳しいと右衛門は考えているのだ。 

 男並みの才知と剣術を持つの性格を考えると、色々と規制のある旧家に嫁がせることは得策ではないし、旧家はそういったことを結婚後も続けることを望まない。今までやってきたことの全てを奪われることは、彼女のためにもならないだろう。勝ち気ながらも案外もろいの性格を養父の右衛門も承知している。は決して忍耐強い方ではない。

 小太郎の家は両親が早くに亡くなっており、うるさい姑もおらず、しがらみもない。姉はいるが、彼女に無理矢理なにかを課すこともないだろう。

 の性格を考えて結婚相手を選択するのならば、当然のことだった。その上、坂田の娘とは言ってもは養子だ。旧家や両親健在では、どこの馬の骨ともしれない養女を受け入れると思えなかったし、仮に受け入れたとしても、への風当たりは強くなるだろう。不憫な思いはさせたくない。





「そう、ですか。本決まりなんですか?」

「えぇ。あちら様からの申し出もあり、問題はないようで。」





 すでに先方には話をつけてあるのだろう。右衛門は松陽が表だって反対しないのを見て明らかに安堵し、大きく頷く。

 小太郎が兄妹と仲が良いという話は聞いているが、塾でのを、右衛門は知らない。そのため、桂家からの申し出を聞いていても、どの程度が彼を認識しているのかを尋ねに来たのだ。

 兄の銀時と仲の良い人間に嫁がせることが、右衛門は彼女の幸せだと考えていた。兄の近しい人に嫁げば、彼女は兄に会うことに気兼ねせずにすむ。

 晋助は呆然と大きく目を見開いてふたりの会話に聞き入る。



 結婚。




 無邪気なの笑顔が思い浮かぶ。

 話が出ていたことは知っていたが、本気でそんなことを考えたことがなかった。の笑顔がまだまだ子供過ぎたこともあるのかもしれない。ぐっと拳を握りしめれば、握力のせいか、ツメが掌に食い込む。

 ぽたりと落ちた悲しみに、誰も気付かなかった。




















 珍しく義父の右衛門に神妙な顔つきで呼び出されたと銀時は、二人彼の前に座って首を傾げる。





、おまえを桂に嫁がせようかと思う。」

「…ヅラんとこ?」





 は義父が言っている意味を飲み込みきれず、漆黒の瞳をぱちぱちさせる。




「えーーー!が嫁!?」





 銀時はいち早く反応して、かぱぁっと口を開けたまま硬直する。妹が嫁ぐというのは兄としてショックなのだろう。






「あぁ、おまえももう年頃だ。こんなご時世とはいえ、年頃だ。嫁入り先は決めておかねばならん。」





 右衛門は驚く二人を宥めるようにことさらゆっくりと言った。

 天人の台頭でいろいろ複雑な時代だが、それでも結婚は変わりない。女であればある程度の年になれば結婚する。早ければそれはそれで良い。

 特にの場合はこれからも学問や剣術で有名になるだろう。変な家に目をつけられる前に、さっさと知り合いの所に嫁に出しておいた方が、得策だ。一度結婚してしまえば無理難題もふっかけられないだろうし、桂の家ならば、の剣術や学問も認めてくれる。





「桂の家は両親も既にない。姉君だけだ。まぁこういう言い方はなんだが、おまえの勝手も許してくれるだろう」





 桂家との話し合いで、右衛門もそのことは既に確認してある。

 桂の家の姉たちは随分と大らかな人物で、との結婚もある程度の年齢になって結婚は必要だし、ただ好きな相手もいないようなので幼なじみのが小太郎にとっては気楽だろうというそれだけだった。正直右衛門も同じ心持ちだったのでそれを聞いて安心したのだ。

 に恋愛感情など分かるはずもない。だからこそ、仲の良い相手と、互いを尊重し合えるような関係を望んでいた。




「でも、結婚したら、おうちが変わるよね。」

「祝言を挙げて、向こうの家で暮らすことになる。」

「それは知ってるよ。小太郎のおうちで暮らすのか…お姉ちゃん優しそうだよね。」






 はあまりにも気楽に言ってみせる。それを見て、反対したかったであろう銀時も呆れと驚きの入り交じった顔をして言葉をなくした。

 知識として、祝言を挙げ、向こうの家で暮らすと言うことは分かっているのだろう。だが、本当にそれだけしか分かっていない。は賢いが恋愛ものの小説などは嫌いで、まだ子ども過ぎて感情の機微にも疎く、男の子よりもへたをするとストレートだ。

 本当に知識としてだけしか、結婚を知らない。自分にそれがどういう意味を持つのか分かっていない。繋がらない。





「でもヅラは話しても面白くないし、話長いからなぁ。一緒に暮らすと退屈?」

「小太郎君はよくおまえの話を聞いてくれるだろう?」

「まぁね。でもヅラの話って役に立つけどちっとも面白くなーい。話だけなら晋助が一番面白いよ。むかつくけど。」

「…そ、そうか。」





 右衛門ものあまりに幼い物言いに、不安を抱く。

 本当なら、この幼いを嫁に出したいわけではない。学問の成長と感情の成長がかみ合っていない彼女がゆっくり大人になるのを見守るために、手元に置いて育ててやりたい。

 だが今の時代娘が10代で嫁に行くのは普通だ。ましては松下村塾でもあまりに目立ちすぎている。

 の才知に目をつけた厄介な家が嫁にほしいと言い出す前に、幼なじみに嫁がせておいた方がよい。おそらく小太郎ならば可もなく不可もない。が嫌がることもしないだろう。それで良いのだ。





「儂はな。おまえが幸せなら、それで良いんだ。」






 右衛門はそっとの頭を優しく撫でる。

 赤子の頃から育てた義理の娘は、子供のいない右衛門にとっては実の娘と同じだけの価値がある。少しでも幸せになって欲しい。幸せに生きてくれることを願っている。



「えーは幸せだよ−。ね、お兄!」

「俺はおまえが嫁ぐと不幸だ!!どこにも行くなよー。」

「嫌だなぁ。ヅラの家だったらいつでも帰ってこれるじゃない。いつでも会えるし。」





 は明るく笑って銀時を宥める。銀時も不満そうながらも妹の笑みに曇りがないのを見て、納得したのか頷く。

 その姿を見て、右衛門は目を細め、大きく頷く。





「おまえらは二人、何があっても仲良く、手を離すんじゃないぞ。」





 銀時と。辛い時も悲しい時も、そして幸せな時も、ずっと共に歩んできたはずだ。だから、これからもずっとその手を離すことなく、歩んで欲しい。

 右衛門の小さな願いは、彼が死ぬまで変わることがなかった。


兄妹