小太郎との縁談が本決まりになり始めた頃、突然流れが変わった。それに晋助の実家の高杉家が異を唱えたからだ。高杉家はこの辺りの名門で、を嫡男の晋助の嫁として貰いたいと言い出したことで、話はまったく変わった。





「…よぅわからん。」





 は正直まったく意味が分からなかった。というか、小太郎との縁談ですら分かっていなかったので、それが晋助に変わったと言われても、どこ吹く風だ。

 松下村塾では横恋慕だとか、いろいろなことを言われていたが、縁談の取り決めは親と親の間で行われていることで、にはあずかり知らぬもののように思えた。わかるのはせいぜい晋助の方が小太郎よりも面白いなと言った程度だ。

 兄の銀時はなんだか怒っていたし、晋助は何やらよそよそしい。

 だが当のにはそれも理解できず、何が悪いのか、何が気になるのか、何が自分と関係があるのかさっぱり分からなかった。




「どっちもやだやだやだやだやだ、




 銀時はぶすっとした顔で、に言う。






「俺はを嫁になんてやりたくないんだーーーーーーー!!」

「何、お兄。」

ちゅわーん!お兄ちゃんが一番良いよね。お兄ちゃんが大好きだよね。」

「…うざいなぁ。全体的に面倒くさいんだけど、」




 兄としては妹が嫁に行くというのが寂しいのだろう。嫁入りの話題が出るたびにそう豪語してから離れないため、皆噂話をしても遠巻きだ。兄はべたべたしてくるし、松下村塾の門下生たちは皆遠巻きにしてくる。





「うざい。」



 正直兄も、門下生たちの視線も、全てがうざい。

 疲れたというのが正直なところで、彼らの視線から逃げるために結局は授業も何もか、松下村塾の屋根の上でさぼることにした。



























「何やってんだよ。」





 屋根の上で本を読む気もおこらず、空を見上げて寝そべっていると、弘敏がやってくる。

 彼は松陽のやっている剣道道場の門下生であると同時に、松下村塾の生徒でもある。銀時たちよりもかなり年下でどちらかというとと年齢が近く、けんかっ早く、いやみったらしいのでよくと大げんかを繰り広げていた。

 とはいえ喧嘩仲間みたいなもので、別に仲が悪いわけではない。





「別に。」





 虫の居所の悪かったは、素っ気なく答える。




「なんだよ。おまえ、機嫌悪ぃな。」

「悪いよ。関係ないことでぐたぐた噂されてるんだから。」

「関係ないって、おまえの縁談だろ?」

「そうだけど、関係ないね。勝手に親とかが決めてるものだし。」





 それによっては住む場所が変わるのかも知れないが、根本的にが変わるのではない。まだ幼いにとって、正直結婚して自分の何が変わるのか、誰との関係性が変わるのかさっぱり分かっていなかった。

 だが、同い年の弘敏は違うらしく、少し訝しむような表情でを見た。





「おまえどっちが良いんだよ」

「え?」





 は弘敏に言われて、顔を上げる。





「どっちって、何が?」

「いや、だって普通、そういうもんだろ。晋助さんと小太郎さん、どっちが良いんだよ。」






 弘敏は興味があるのか、寝そべっているの隣に腰を落ち着け、聞く体勢だ。





「どっちって、話すのが楽しいのは晋助だね。」





 改めてどっちが良いと聞かれれば、どちらかというとは晋助と話す方が楽しい。彼は賢いし、博識で、話も上手だ。感情の機微を把握するのもうまく、面白くないとすぐ退屈するをうまく話に巻き込んでくれる。

 つまらない掛け合いにも俳句や短歌を混ぜてきたりと高尚なこともくだらないこともどちらも理解してくれる彼が一番一緒にいると楽しかった。




「じゃあ、晋助さんが名乗り上げてくれて良かったじゃん。」

「でも晋助の家はうるさいから嫌い。小太郎のお姉ちゃんの方が優しい。」




 祝言を挙げれば相手の家で暮らすものだ。そのくらいはだってきちんと知っているし、どういった儀式を行うのかも知っている。

 相手の家で暮らすことを考えれば、晋助の家は旧家で口うるさいが、桂の家は姉だけしかおらず、いつも優しくを迎えてくれていた。だから、相手の家で暮らすことを考えれば絶対に桂の家の方がよい。

 だから、は総じて義父が出した桂の家に嫁ぐというのに賛成だった。





「…そういや、晋助さんが親に言って無理矢理縁談ねじ込んだって話だったけど、やっぱおまえのこと好きだったんじゃねえの?」

「はぁ?」




 は弘敏の言葉に思わず顔を歪める。





「だからこんな面倒臭いことになってんの?」





 もし仮に晋助が口を差し挟まなければ、こんな大きな噂になったりしなかったはずだ。いつもは意地悪ばっかり言ってくる晋助だが、基本的にに不利益になるようなことをしたことはない。ただ、今回はどうやら彼が引っ張り込んだ面倒ごとらしい。




「面倒臭いって。ってか、おまえも晋助さんが好きなんじゃねぇのかよ。」




 弘敏はの物言いに驚いたように目を丸くする。

 縁談はまだ親が決めるという時代だ。それでも相手に対する好き嫌いはあって当然のもので、どちらが良いか、親の思惑はともかく、好みくらいあるものだろう。そう思っていたが、の答えはあまりに意外なものだった。





「そりゃ好きだよ。幼なじみだもん。そんなこと言ったら、小太郎だって好きだよ。」

「なんだよそれ。」

「何って?好きだから一緒にいるんでしょ?」





 幼い頃から一緒にいて、悪い感情がないからこそ今でも一緒にいるのだ。好きに決まっている。だが、弘敏の質問はそういう意味ではなかったのだろう。





「おいおい、おまえ、それってどうなんだよ。博愛主義って奴か?」

「安心しなよ。あんたは嫌いだし。」

「そういう話じゃねぇだろ。報われねぇな。」





 弘敏は心底同情するように目じりを下げてみせる。

 彼女は町奉行の娘だが養女で、家柄が特別良い訳でも、特別美人でもなく、どちらかというと旧家である高杉家が望むような嫁ではない。だが、小太郎との結婚話が本決まりになるかというところで口を差し挟んだと言うことは、晋助にはそれなりに彼女に向ける感情があると言うことだ。


 なのに、は全くそのことに思い当たらないらしい。

 一応結婚について一通りの知識を持っているから、相手の家に入らねばならないことは分かっているらしいが、根本的なところが何か違う。

 弘敏は心底を嫁にする男に同情を覚えたが、は彼が誰に同情しているのかさっぱり分からないらしく、不思議そうに首を傾げていた。




「それってさ、本人同士の問題ってのもあるんじゃねぇの?」




 時代は少しずつ変わりつつある。

 昔は結婚を絶対に親同士が決めていたが、現在では男の方は特に融通が利くようになっている。女が選ぶのはまだ難しいが、それでもごねれば通る時代になりつつあった。

 だから弘敏は尋ねてみたが、は「親が決めるでしょ。」の一言のもとに斬り捨てた。





「それに結婚したら、相手の家で暮らすんでしょ。わたしヅラのお姉ちゃん大好き。」





 知識というか、常識としてはそうだが、彼女は知識が豊富なくせにどうにも少し常識から外れていることがあった。賢いからこそ、勝手に自分で納得しているのかも知れない。





「…最近暗い噂しかなかったんだから良いんじゃねぇの?」





 弘敏はどうとも言えない結論を出した。

 最近は天人が奉行所に来たとか、攻めてくるとか攘夷戦争がもっと激化するとか、どうしようもない話ばかりが流れてくる。それに比べて、他人の結婚の善し悪しは、どうでも良い、平穏そのものの噂だ。

 そういう点で、この噂はには迷惑で鬱陶しいものかも知れないが、退屈しのぎにはありがたい話題だった。





「わたしは、このままで良いんだけどな。」





 松陽の松下村塾で沢山の本を読み、皆でだらだら過ごす。それで良いのだ。

 何も特別なことなんて望んでいない。幼いにとって世界はここだけだ。そしてそれ以上を全く望んでいない。

 だからこそ、晋助が何を求めているのかも、さっぱり分からなかった。






幼い子どもの心情模様