は次の日から松下村塾の授業をすべてさぼり、書庫から一歩も外に出なくなった。





、おまえ落ち込んでんのか?」





 銀時は妹の頭をくしゃくしゃと撫でる。三角座りで部屋の端で小さくなっているはいつもなら手を振り払って殴り飛ばすのに、今日は大人しく頭を撫でられていた。

 小太郎との縁談の話が出ていた時、は小太郎の姉が好きなので縁談に乗り気だった。しかし晋助の実家である高杉家が縁談に名乗りを上げてから、は少し不安そうだ。そしてこの間松下村塾に行った際晋助と一悶着あったらしく、絶対に結婚しないと言い出したのだ。

 この発言には義父の右衛門も困り果てている。





「お兄、わたし、結婚したくないよ。」




 はしょんぼりとした顔で、銀時に言う。





「なんだよ。こないだまでヅラの姉貴たちは優しいって言ってたじゃねぇか。」




 銀時はの心境の変化が良く理解できなかった。この間まで小太郎の家だったら嫁いでも良いと言っていたはずだ。自体結婚に対して嫌な感情もなかったはずで、意見が突然変わったのはどうしてなのか、銀時はよく分からず首を傾げる。むしろ、彼女は小太郎よりも晋助と仲が良いから、晋助の家からの申し出は嬉しいものだと思っていたのだ。なのに、実際は違うらしい。





「…だって、」





 は恥ずかしさのあまり晋助にされたことを言葉に出来ず、黙り込む。

 まだ子どものには、誰かと接吻をしたり、太ももを触られたりと言ったことを誰かとするのは嫌だった。それが仲の良い幼なじみの小太郎や晋助であっても同じだ。

 抱きしめられるのは好きだけれど、あんなスキンシップは知らない。






 ――――――――――結婚したら、お互いにそういう関係になる。俺たちの関係だって、変わるんだよ





 晋助はそう言っていた。結婚したら、自分たちの関係だって変わると。

 当たり前のように晋助とだらだらして、小太郎のつまらない話を聞いて、兄の銀時と笑って、そんな日々が当然のように続くものだとは思っていた。でもそれは勘違いでしかないようだ。





「変わるなら、結婚したくない。」





 結婚しなければ、きっとこのままでいられるんだろう。今まで通り、笑っていられるんだろう。

 義父の右衛門が旧家である高杉家からの縁談では断れないと困っているのを、は知っている。でもこうやって嫌だと示して閉じこもっていれば、少なくとも右衛門はと話し合うという理由の元、縁談を延期できるはずだ。




「わたしは今のままが良いんよ。」





 声を震わせて訴えると、銀時は仕方ないなぁとでも言うように困ったように笑って見せて、を抱きしめた。




「あったりめぇだ。俺はずっとの兄貴だ。誰が変わっても、俺は変わらねぇよ。」





 赤子のを背中に抱いて、必死で戦場を生きた日を、銀時は今でも覚えている。

 両親の顔は忘れたけれど、赤子だった妹を必死で守らなければならないというその思いは、いつも銀時を強くした。





「それに俺はおまえが結婚しないなら嬉しいしな。ずっと俺の嫁。」

「お兄きもい。」

「ひっでぇ言い方だな。でもな、ずっと俺の妹だ。忘れんなよ。」






 銀時は笑っての頭を撫でる。

 一人の時、戦場の死体の中で生きることすら放棄しそうになる悲しみと孤独の中、いつも銀時を支え続けたのはの体は重くて、温かくて、いつでも一人じゃないと銀時に勇気をくれた。一人では生きていけないほどに幼かったが、銀時にいつも生きる意味をくれた。





「世界が敵に回ったって、お兄はいつだっての味方だ。な。」

「うん。知ってる。」




 は小さく頷く。

 いつも憎まれ口を叩いて喧嘩をしていたとしても、にとって銀時はいつも守ってくれる、頼れる兄だ。





「馬鹿だけど、わたしだってお兄のこと大好きだもん。」

「だよなぁ。俺とは相思相愛だもんな。やっぱ嫁に出したくねー、嫁にしてー」





 銀時はを抱きしめて真剣な目で言う。





「お兄ってシスコンだよね。」

「世界のお兄は全部シスコンだ。」

「ふぅん。…そっか。」





 は涙をごしごしと拭き、銀時に抱きつく。やっぱり兄の胸の中が一番安心するなと、胸にぐりぐり頭を押しつけていると、書庫の扉が開いた。





「あれ、銀時もいたんですね。」

「松陽先生?」




 銀時は驚いて目を丸くする。松陽が坂田家に来ることは珍しくないが、わざわざ書庫に来るとは思わなかった。




「やっぱり二人とも仲良しですね。」




 抱き合っている兄妹を見て松陽は小首を傾げて目を細める。




「…」




 は恥ずかしかったが、やはり兄から離れるのが嫌で、ぎゅっと兄に抱きついたまま頬を埋めた。今松陽の顔を見るのは恥ずかしいけれど、兄から離れるのも嫌だった。





「別に怒ろうって言うんじゃないんですよ。理由が聞きたいんです。」





 松下村塾の講義に毎日出てきていたが休めば松陽だって流石に心配する。それに晋助との言い合いを松陽は聞いていた。気になるのは当然だろう。

 ましてや結婚に関して、養子としてを坂田家に紹介した手前、松陽はの義父となった右衛門に相談を受けていた。

 銀時との義父である右衛門はを守るために桂家との縁談を進めていたと言うのに、結果的に高杉家の介入を招き、断れぬ高杉家との縁談が出てきてしまった。高杉家は名家で、ただの奉行所の役人である坂田家には拒みようがない。

 それでも、右衛門は義理の娘であるの幸せを思えば、旧家に嫁がせるのは得策ではなく、迷いに迷い、結局松陽にまた相談に来ていた。

 だからこそ、松陽はに話を聞くためにここに来たのだ。




は、晋助と結婚するのが嫌なんですか?」




 松陽は少し困ったように、銀時に抱きついて離れないに穏やかにただ問いかける。

 は小太郎との結婚には乗り気だったはずだ。にもかかわらず、晋助との縁談が出た途端に結婚自体を拒みだした。

 それは違う疑問や不安が出てきたからだろう。

 は松陽の問いに、困ったように目を伏せてから、不安そうに、おずおずと松陽を見上げて自分の不安を口にした。





「…、変わるの?」

「ん?」

「結婚したら、相手のおうちで暮らすだけじゃないの?」





 結婚とはこの時代、まだ相手の家に入ることになる。それをは物語や本の知識から知っていて、だからこそ、本人たちの恋愛感情よりもそこを重視したのだ。





「変わっちゃうの?今までと違うことをするの?」





 はまだ子どもで、みんなとはしゃいだり、話したり笑いあうのが一番楽しい。結婚してしまえば、晋助は関係性が変わると言っていた。

 でも、は変化を望んではいない。




「よくわかんないけど、やだ、今までと一緒が良い。みんなと、一緒が良い。」




 松陽を前にして、は改めて銀時から離れて、彼に向き直って言う。堪えきれなくてはぼろぼろと涙をこぼす。




「変わるなら、結婚したくない。」




 それがの本音だった。声を震わせる幼いに、松陽は酷く困った顔で笑って見せる。





、変わるのは悪いことじゃないんですよ」

「なんで?」






 は涙声で不思議そうに、本当に分からないと言った様子で尋ねる。

 そういう所では素直だ。賢いくせに、分からないことは知ったかぶりをせずに本当に心から素直に尋ねる。松陽はうーんと少し考えてから、柔らかくに笑いかけた。





に銀時は少し過保護ですね。」

「うん。うざい。」

「それ、酷いぞ。兄ちゃん泣くぞ。」

「本当の事じゃん。」

「酷い。」





 銀時は涙ながらに嘆いてみせる。だがそれをと松陽も無視して話を進めていく。




「もしかしたら、離れてみたら、の方が寂しくなって銀時の過保護が受け入れられるようになるかも知れないですよ」

「…本当?」

「うん。人間孤独に弱いものですからね。」





 は一度も銀時から離れて生活したことがないのだ。だからこそ、おそらく離れれば寂しくなって兄の元に戻りたいと思うだろう。

 実際なんだかんだ悪態つきながらも、は結構なブラコンだった。





は義父上が好きですか?」

「大好き。」

「でも、もしが銀時と変わらず路上で暮らしていたいってずっと思っていたら、会うことは出来なかったんですよ。」






 変化はが思うように悪い物ばかりでは無い。銀時が変かを求めたからこそ、今こうして養子としてのと銀時の安定的な生活があるのだ。




「変わるって事は悪いことばかりではない。よい事もたくさんあるです。」

「…本当?」

「結婚したらまたいろいろ分かって楽しいこともあるでしょう。良い出会いもあると思いますよ。」





 変化があればまた新たな出会いがあり、新たな関係性が生まれる。それは決して不幸な物ばかりでは無い。よい事もある。

 だがは不安なのか、目じりを下げて松陽を見上げる。





「変わらなくちゃ駄目?」

「人はね、勝手に変わっていくものです。が変わらないと思っていても、変わってるんですよ。」

「…変わりたくないよ。」

「そう言ってもの背は伸びるでしょう?それと一緒です。」





 自然に緩やかに変わっていくのが普通なのだ。それをが拒もうとしても、緩やかに人間は気づかぬうちに変わっている。





が言いたいのは、今みたいな仲良しな晋助や小太郎がいなくなってしまうのが嫌だと言うことでしょう?」

「…うん。このままが良い。」




 別には変わりたくないのではない。変化によって仲の良い晋助や小太郎、兄の銀時との関係性が変わることを怖がっているのだ。

 だからこそ、縁談自体の整合性に目が向かない。周りの状況に目がいって、自分がどうしたいか、自分が晋助と小太郎のどちらが好きなのかと言うことが、決定の重要な問題だと、気づいていない。幼いくせに状況把握能力だけが高いとこうなるわけだ。

 松陽はの幼さも、それに不釣り合いな賢さも、理解しているつもりだ。





「だったら、大切にしなさい。」





 そっとの頭を撫でて、彼は微笑む。





「相手に伝えなさい。今持っているその気持ちを大切にしなさい。」




 まだ幼いには恋愛感情の好きなんて言うことは全く分かっていない。わからない。それでもは小太郎と晋助自身を横並びにすれば、晋助にいつも歩み寄っていく。それはまがいもない事実で、もきちんと自覚があるはずだ。

 それを言葉にすることがない。だからこそ誤解を生むのだ。そしてそれが伝われば変わるものもある。




「大切にしたいっていう気持ち、のその気持ちが変わらなければ、皆一緒です。」





 松陽はを宥める。そしてまだ幼すぎる、賢すぎるを危惧する。

 本当ならば精神的にもに早く成長して欲しい。この子状況把握能力と才知は、いつか誰かを引きつけ、必要とされるようになる。いつか大人たちが、その欲望での頭脳を使おうとする日が来る。振り回す日が来る。

 だからその前に、はもっと大人になる必要があった。






未成年の主張