松陽は珍しく松下村塾に晋助、銀時、小太郎の三人を呼び出した。
「晋助、…に何かしたんじゃないですか?」
開口一番そう言った松陽に、晋助はそっぽを向く。
と晋助が先日松下村塾で盛大な怒鳴りあいを繰り広げていたことは、松陽も知っているはずだ。それをいつもの口論だとはやはり思わなかったらしい。
あの後、松下村塾に全く出てこなくなったを考えれば、そう考えるのが当然だろう。
「はぁ!?おまえ、何したんだよ!!」
銀時が立ち上がり、隣の晋助に殴りかかる。
「銀時、落ち着け!!おまえはシスコン過ぎる!」
「うるせえヅラ!世のお兄ちゃんは全部シスコンだ!!」
「ヅラじゃない!桂だ!」
慌てて小太郎が銀時を押さえるが、代わりにべしべし殴られている。
松陽の前では一応晋助と銀時は喧嘩しない。とはいえ二人は元から仲が悪い上、妹が関われば銀時といえど絶対に引かない。大事になるのは目に見えていた。
「まぁまぁ、銀時も落ち着きなさい。」
松陽はぽんぽんと銀時の頭を軽く叩く。
「だって。」
「別に晋助だってを傷つけたくてやったんじゃないでしょう。」
気持ちを分かって欲しかったからそういう行動に出たのだ。結果的にそれはの琴線に触れたのかも知れないが、目的はを傷つけるためではなかった。
「俺も悪くはないと思う。はともかく、おまえはが好きなんだろ?」
小太郎は銀時が矛先をおさめたのを確認し、座り直しながら言った。
小太郎としては、は可もなく不可もない相手だ。美人ではないが明るく、子どもっぽいが幼なじみでよく知っている相手。結婚したとしても、それなりに仲良くやっていけるだろう。今までと同じように。
だがそれが恋愛感情かと聞かれれば、全く別物だった。
対して晋助の方は本気でのことを恋愛として好きだと思っている。そのことを聡い小太郎はよく分かっていた。
幼くちっともわかっていないの気持ちはともかくとして、どうせ誰かと結婚して防波堤を作らなければならないなら、本人同士の問題を考えれば晋助が適任だろうと、小太郎も納得していた。
「ここでどちらもが引いたとしても、また縁談は間違いなく来るでしょう。あの子はよくも悪くも目立ちますからね。」
松陽は銀時、晋助、小太郎を順に見て、小さく息を吐く。
は精神的にまだ幼く何も分かっていない。出来ればもう少し放って置いてやって欲しいと言うのが本音だが、世間はそうはいかないのだ。あの才知、剣術の腕、彼女を欲しいと言う人間はいる。
ならば婚約に関しては、知っている相手と早めにしておいた方が良かった。
「こちらで話をつけて、少なくともあと二年は、婚約に留めたいと思います。」
松陽は落ち着いた声音で言う。
「あの子に結婚はまだ難しい。それは晋助、わかっているでしょう。」
は10を超している。一般的に女がそのぐらいで結婚が決まるのは、少し早いがおかしい訳ではない。ただ、はあまりに精神的に幼い。
ましてや今の状態で旧家である高杉家に嫁いでうまくいくとは思えない。
高杉家も嫡男の晋助の望みだからを娶ろうと縁談を持ち出したが、を歓迎しているわけではない。松陽が婚約に留めるように言えば、あっさりと同意するだろう。もちろん、晋助が納得すればの話だが。
「晋助、それで退いてくれないですか?」
松陽は静かにそう言った。
要するにを欲しいと思っていることは分かるし、それにも協力するが、手を出すのは待てと言っているのだ。
「…」
晋助は少し考えるそぶりを見せたが、大きなため息をつく。
「納得出来ないって顔ですね。」
「別に。縁談の件は、納得した。親父たちにもこっちから話す。」
が餓鬼だと言うことを一番知っているのは晋助だ。実際の結婚はあと二年は待てという松陽の意見は最もだろう。忍耐もない餓鬼そのものの今のでは、高杉家の女中たちにいびられてどうにもならなくなるのが目に見えている。
「…は、何にも分かってないだろうけどな。」
晋助は自嘲気味に笑って、ぽつりとぼやく。
は結婚を“相手の家に一緒に住む”としか理解していない。それはある意味正解だが、認識としては少ないとはいえ恋愛結婚は増えてきたご時世、不正解だ。ましてや晋助はに思いを寄せているからこそ結婚を求めたのだ。
でもはそれが分からない。
晋助がどれほどを思っていようが、彼女はまったく意味が理解できない。歯がゆく思う気持ちすらも、にはないのだろう。
桂の家の方が良いと言われた時、正直晋助はショックだった。
確かに晋助の両親はただの町奉行の養女であるとの縁談に根本的には反対で、女中たちもおそらくを歓迎していないだろう。対して小太郎の姉たちはを歓迎するはずだ。ももともと小太郎の姉たちに懐いている。の父である右衛門も真面目な小太郎の方を望んでいる。
けれど、何よりもがただ周りの状況だけで、あっさり小太郎を選んだことがショックだった。
必死になっているのは自分だけなのだろう。が晋助に懐いているのは恋愛感情なんかではない。そんなことはとっくに分かっていたけれど、突きつけられるとやはり傷つくものがあった。
「…は何もわかってないでしょうね。」
松陽は本当に心から困ったように息を吐く。
「結婚も相手の家で住むって事以外は、なんの感情も持っていないみたいですし。」
晋助が自分の恋愛感情に任せて縁談をの家に持ち込んだのと対照的に、は結婚を相手の家で住むものとしか見ていない。それはある意味で正しいが、あまりにも幼すぎる上、晋助の思いとあまりに違い過ぎる。
「ただ、弘敏が晋助と小太郎、どっちが良いのか、聞いてみたそうです。」
松陽は苦笑して、慰めるように晋助の頭を一つぽんっと叩いた。
弘敏はの喧嘩仲間だ。年齢も晋助たちよりもに近く、だからこそ素直にの気持ちを聞き出す時がある。日頃は喧嘩ばかりしているが、仲が悪いわけではない。
「晋助の方が話すのが楽しいから、個人的には晋助の方が良いそうです。」
晋助はその言葉に目を伏せて、黙り込む。
「君たちよりはいくつも年下だから、沢山のことが分かっていない。でも晋助を大切に思っていないわけではないですよ。」
がいつわかるのか、それは松陽にも分からない。
だが、恋愛感情を理解してないからと言って、大切に思っていないわけではないのだ。晋助のことを気にいっている、懐いている。そういう気持ちは、嘘ではない。
「否が応でも、いろいろなことを知る日が来るかも知れない。でもそれまでは、はのままで良いんじゃ無いかなと、思うんです。」
松陽にはは非常に危うく映っている。
性急に変化を求めれば性格が歪んだり、後に禍根を残すことになるだろう。でもまだ、は自分の庇護下にあり、ゆっくりとした変化を望むことが出来る。
「…ちぇ」
晋助は不満そうにため息混じりで舌打ちをする。
「俺はを嫁にやるなんて認めねぇからな!何が不満なんだよ!!あぁ!?」
銀時ががっと晋助の胸ぐらを掴んで叫ぶ。彼としてみれば可愛い妹のがどっちに転んでも嫁ぐことになり、離れてしまうので良いことなしだ。
「あぁ、うっせぇよ。やんのか?」
「おまえたち、やめろ!」
虫の居所が悪い晋助が珍しく応戦するのを見て、慌てて小太郎が止めに入る。それを見ながら全く幼い頃から変わりない三人に、松陽は思わず笑みを零した。
変化を求めつつ変わらない心を求める