攘夷戦争の終結と同時に、敗走兵や難民、孤児が集まってならず者の町が、戦場の近くにいくつも出来た。過去に一癖も二癖もある、悲しみばかりを抱えた者たちが集まる町。その片隅に人が落ちているのは、珍しいことではなかった。

 ただそれに目をとめたのは、除く顔があまりにも若そうだったからだ。



「…大丈夫?」



 は近くにしゃがみ込み、ぺちぺちと軽く彼の頬を叩く。

 うつぶせに倒れている彼の柔らかで、ふわふわした頬の感触から、この町でよくある餓死寸前で倒れているというわけではなさそうだ。ついでに多分、まだ年齢は10代半ばくらいだろう。随分と若そうだ。

 彼の体をひっくり返そうとすると、うわごとのように彼はなにかを呟いて、ぴくりと手を動かした。どうやら生きているらしい。彼はそれほど体が大きくないし、何とか運べるだろう。家も近い。ここは裏路地だから、他の人間に見つかることもないだろう。

 は彼を抱えようとして、腕をとる。だが下に差し込んだ手に生ぬるい感触を感じ、は眼を丸くして自分の手を見た。

 したたるほどの、緋色がべったりとついていた。



「これは…」



 は少し眉を寄せたが、自分の着物の袖にも血がついているのを見て、仕方がないかとため息をつき、彼の腕を自分の肩に引っかけた。












 まさにかぱぱぱっぱぱぱぱという効果音がぴったりくる程、米を入れた桶を抱えてご飯をかき込んでいる少年に、は驚きの言葉も出なかった。既に炊かれた米を一升食べ尽くす勢いで、たまに彼は米桶から顔を上げ、沢庵をつまむ。彼のために作ったおかずは既に彼のお腹の中だ。

 先ほど起きたばかり、しかも大けがをしているというのに、随分元気なことだ。点滴をと考えていたはぼんやりと彼の姿を眺めた。



「おかず、いる?」

「いらない。ちゃらついたおかずには興味ないヨ」

「そ、そう?」



 流石には白米と沢庵だけでご飯を1杯食べるのも嫌だが、彼にとってはそれでご飯一升いけるらしい。変わった嗜好をお持ちだ。

 は食べ終わった彼の皿を集めながら、口を開く。



「貴方、名前は?天人でしょう?」

「うん。俺、神威。」



 彼はにこっと笑っているのに笑っているように見えない笑顔を作って見せた。

 顔に巻かれていた包帯を全て外してみると、中身はくるりとした青色の瞳の可愛い、お下げの少年だった。年の頃はどう見ても10代半ば。鼻筋は整っていて精悍だが、大きな青い瞳と明るいオレンジ色の髪のせいで、何やら可愛く見える。ひこひこ揺れるアホ毛もそれを手伝っていた。

 だがその可愛らしい容姿と作った笑顔が、何となくの本能に警鐘を鳴らしている。それでも助けてしまったのだから仕方がないだろう。



「手当はしたけど、一ヶ月は安静にした方が良いと思うよ。」



 彼は臓器が吹っ飛ぶほどの怪我をしていたのだ。

 攘夷戦争時代に医者としての役割も果たしていたが、彼の怪我はどうやら大砲かなにかを打ち込まれたようで、見た時は死ぬんじゃないかと思った。地球人なら死んでいるだろう。ただし、彼は天人だった。

 外見は人間と差異がないが、天人だけあって血が止まるのが早かったのだ。しかも大砲の破片を抜く途中にある程度回復したため、これは助かるかも知れないとは判断した。それは正解で、次の日には潔く意識を取り戻して今になる。

 天人だったら、も助けなかったかも知れない。だが、もう助けてしまった限りは仕方がないだろう。



「あと、迂闊に外には出ない方が良いよ。攘夷派ばかりだから。」

「じょーい?」



 神威は言葉自体がわからないのか、桶を抱えたまま首を傾げる。



「うん。地球で天人を追い出そうとする人たちのことだよ。過激派の中には天人を殺そうとする人もいるから、危ないし、天人がいるって周りにバレたらわたしも困るから、ね。」




 攘夷戦争が終わり、幕府は攘夷派の人間を処刑するために、各地で残党狩りをしている。そのためあちこちに逃げ込んだ敗走兵や難民、孤児などばかり集まった流れ者の町が各地で作られており、そこにはやくざなども流れ込んでいて、治安は元々良くない。

 当然、逃げてきた攘夷志士も多いので、彼があのまま路上で倒れ、天人とバレていれば殺されていただろう。



「怪我がある程度治るまでここにいて良いから、大人しくしていてね。」



 助けてしまった限りはもう仕方がない。は彼が食べたものを片付け、振り返って笑った。



「ふぅん。お人好しだね。おまえの話が本当なら、天人はおまえらにとって敵じゃないの?」



 馬鹿にした薄笑いを浮かべて、彼はに言う。



「かもしれないね。」

「なにそれ。」

「ま、もう助けたものは仕方がない。わたしはなんとしても殺されるわけにはいかないから、全力で抵抗するよ。」



 は自分の腰にある刀の柄を左手で撫でた。

 彼が悪い天人だった場合、かなりやっかいな事態になるだろうし、殺したとしても、天人を匿ったと言うだけで、この町では殺される可能性もあった。だが、もうやってししまったことは仕方がない。




「…ふぅん。ま、傷痛むし、しばらくお世話になるヨ。借りもあるわけだしネ。」



 神威はの腰にある刀を見て不思議そうに首を傾げたが、うんとひとつ頷きながら、米を租借していた。



「ふぅん。存外殊勝なんだね。」

「殊勝なことなんてしたことないけど。それにおまえみたいなお人好しに会ったこともないから、おまえが初めてだよ」

「うわー、安っぽい殺し文句だね。」




 は気のない返事をして、皿を洗い場に置き、彼の腹に巻いてある包帯を確認する。

 まだ血がにじんでいる。この傷は本来地球人であれば死んでいたほどの傷だ。まだ安心は出来ないが、彼なら回復できるものなのかも知れない。



「何やったら大砲みたいなの打ち込まれて内臓吹っ飛ぶのかね。」

「後ろから撃たれたんだよ。」

「仲間に?」

「仲間なんていないよ。」



 あはは、と乾いた笑い声が響く。どうやら彼は裏切られたらしい。大砲の傷は背中から入ったようだったので、は納得する。




「天人同士も大変なんだね。まあ、そんなものかもね。わたしたちも後ろから撃たれたようなものだし。」




 攘夷戦争は、幕府が天人に従ったことによって、終結した。今まで国のためにと戦ってきた人々は、侍は、幕府の手によって処刑された。幕府の侍たちは、天人の力に恐れをなして、同じ侍を売るという方法で生き残った。

 本当の敵は天人ではない。同じ人間の心の弱さそのものだった。



「たたさま、」



 よたよたと頼りない足取りで、向こうの部屋から歩み出てきたのは、息子だった。



「こらこら東、落ちる落ちる。」



 典型的な日本家屋であるこの家はぼろいし、段差がたくさんある。まだ歩き出したばかりでふらふらの子供が一人で歩いていては、こけて怪我をするだろう。慌てては東に歩み寄り、息子を抱き上げた。



「あり、子持ち?」



 神威は眼を丸くしてを見る。神威とはそれほど年が変わらないだろうから、驚いたのだろう。



「うん。」

「旦那は?」



 きょろきょろと神威は辺りを見回す。だが人の気配がないことはわかっていたらしく、すぐにに青い瞳を向けてきた。



「死んだ、いや、死んでないかも知れないけど、死んだと思ってるよ。」

「何それ。」

「もう会うこともないだろうしね。」




 は息子の体をあやすように揺らしながら、小さく笑う。

 東(あずま)と名付けたの息子は、銀髪天然パーマのとは違う、少し柔らかそうな黒髪の目鼻立ちの整った子供だった。歩き始めたばかりで、まだまだ手がかかる。とはいえ病気もせず、元気なありがたい子だ。

 の、今となっては唯一の宝物。



「女子供でよくこんなところで生きていけるね。あんた、俺と年齢なんてそんな変わらないでしょ?」



 ここは流れ者の町で、女一人で生きていくのも難しい場所だ。それを幼子と一緒に生きるなんて、本当なら出来ないはずだ。そして過去に興味を持つのは当然だろう。



「いろいろあるんだよ。」



 は息子を抱えたまま神威の座っている布団の横に腰を下ろす。



「あんた、名前は?」

って呼ぶ人もいるけどね。この子は東。」

「ふぅん。と、アズマね。」



 神威はゆっくりと体を布団に横たえて、を見上げてきた。そしてふいに東へと目を向ける。



「ちっこくて、弱そうだね。」

「一歳児に強さを求められてもね。ってか貴方もきっとこんなだったはずだよ。」

「あーばー?」



 二人のやりとりのわからない東は初めての人が面白いのか、じっと神威を見つめていた。その視線が釘付けにしているのは、神威の明るい髪の色だ。

 この流れ者の町は食料以外はほとんど何もなく、鮮やかな色のものなどほとんどありはしない。

 それにの仮住まいで、だいたいすぐに移動しているため、子供の好むような遊び道具はなく、必需品ばかり。子供用の折り紙などもなく、外に出ることも出来ない。東は生まれたときからずっとを見て育った。

 多分珍しいから、東は神威のオレンジ色の髪に手を伸ばすのだ。



「ふぅん。ちっこいネ」



 神威はまだ立ち上がれるようになったばかりの東に手を伸ばし、その白い頬をちょんちょんっと人差し指でつつく。その手を、小さな手ががしっと掴む。

 は僅かに漆黒の瞳を目を細めて笑った。











兎と時鳥