神威は内臓まで吹き飛ぶほどの大けがだったが、天人としての再生能力で動けるようになるのに一週間しかかからなかった。骨もつながってきているのか、松葉杖片手に時々外にも出るようになった。
「大丈夫?本当に大丈夫?」
身元を隠すために顔を包帯でぐるぐる巻きにしている神威に、は尋ねる。
彼の肩の上にあるのは巨大な米俵と、野菜だ。本来ならばけが人に荷物を持たせるなんてのポリシーに反するが、天人だという彼は常軌を逸した怪力の持ち主らしく、片手だけで軽々60キロの米俵を上げて見せた。
まさか米俵を車も押さず、手ぶらで買う日が来るとは、想像もしなかった。しかも彼は食事は米だけで良いと言って、白米の量の割には通常くらいのおかずしか求めず、むしろ沢庵とか漬け物を好んでいた。
安上がりと言えば安上がりだが、健康のためにはどうなのだろうかと少し心配だ。
「おまえさ、よく金あるね。しかも子連れで生きるなんて、簡単じゃないよ。」
神威は実に不思議そうにを見下ろしてくる。
「んー、まあ、お金は、もらったし、稼げるからね。」
女一人、男一人で生きていける大きな原因はお金だ。
神威とは裏路地をゆっくりとあるいている。表通りを見れば厳つい浪人たちがうろうろしていて、裏路地にも餓死した人間の死体や物乞いが座っていた。それでもこのあたりはまだ闇市があるため、金さえあれば何でも買うことが出来る。
金さえあれば、だ。
「ま、それだけでもないんだけどね。」
は素っ気なく言って、背中の東をあやす。
莫大なその金は松陽と、処刑されたの義父が残してくれたものだった。銀時と仲良く分けるように処刑される前に全て現金化し、知人に託していたもので、兄の銀時はそれをにくれた。女で非力なの方が、必要だからと丸々くれたのだ。
おかげではこうしてこんなならずものの町で、赤子を抱えながら生きていくことが出来ている。
「なに?聞きたいの?」
は背中に負ぶった東を軽く揺すってから薄く笑って、神威の方を見やる。
他人の過去というのは総じて気になるものだ。ましてやこんな女子供がならずものの町で生きていれば、過去に一つや二つ、悲劇性は見えている。詮索してみたくもなるだろう。
だが、神威は青色の瞳を丸くして、を映した。
「いや、まったく。」
あまりにあっさりとした答えに、の方が拍子抜けした。
「え、普通気になるもんじゃないの?」
「過去に?全く興味なんてないよ。」
「ないの!?男は普通あるもんじゃないの?!だから元彼のいない女を選ぶんじゃないの!?」
「何その微妙な例え。」
「だって、野次馬根性って普通でしょう?」
他人の不幸は蜜の味、というけれど、そういう人間は多い。波瀾万丈は酒の肴と同じだ。だが神威にはそういう感情がよくわからないらしく、首を傾げた。
「別にさぁ、目の前におまえはいる訳じゃん。過去なんて関係ないでしょ。」
「あっさりしてるね。」
「だって、はここにいるだけだろ。過去に何してても興味ないよ。」
さらっとした彼の口調に、嘘はなかったし、探る気もない。だから彼は心底そう思っているのだろう。
「過去かぁ、逃げられたら良いけどね。」
関係ないと言い切れたら良いんだろう。
だがは今、幕府から指名手配され、捕まったら間違いなく攘夷一派として処刑されるだろう。実際に仲間の一部は処刑されている。は逃げなければならない。同時に子供のために絶対に生き抜かなければならない。
の子供だとバレれば、東は無事ではすまないだろう。だからといって親がいない子供がどんな扱いを受けるのか、それを両親のいなかったは痛い程によく知っている。
だから生き抜かなければならない。過去から逃れることなんて出来ない。
「逃げる?過去はおまえに何もしない。逃げるもくそもないヨ。」
「でも実際に過去が原因で殺しに来るじゃない。」
「なに、狙われてるの?それなら追ってきてる奴らを殺しておまえを誰も知らないところに行ったら、過去なんてないも同然だろ?」
「…シンプルな答えだね。」
「シンプルオブザベストだよ。」
「そんなものかなぁ、」
「そんなもんだよ。」
なんだかあまりに軽く言われてしまっては、自分が直面している問題を、真面目に悩んでいるのが馬鹿みたいだ。は背中にいる子供を軽く揺さぶりながら、片手で松葉杖をつき、片手で米俵を肩に担ぎ上げている彼の背中を見やる。
背こそ彼の方が少し高いが、年齢は多分の方が年上だ。にもかかわらず、彼はよりもずっと単純に、まっすぐ生きている。
年をとると物事を複雑に考えるようになるんだろうか。
「なんか、神威といると悩んでる自分がばからしくなるね。」
「悩んで時間を使うなんてナンセンスだよ。それくらいなら、目の前の敵を皆殺しにした方が建設的だよ。」
「そりゃそうなんだけどね。」
は全く自分の悩みを理解する気もない彼に呆れながらも、なんだか考えすぎだと言われたことに、安堵する。本当は考えなければならないことや、置いてきた人への悲しみや心配はあるけれど、気にしても仕方がないことだ。
「さん!」
が目を伏せていると、ふと名前を呼ばれた。そこには見覚えのある、男の姿がある。
「利川?」
「知り合いなの?」
「うん。昔の戦友。」
は神威の質問に短く答えて、向こうから走ってくる男を振り返った。
薄茶色の髪の、若い男だ。年の頃はより少し上くらいの20代前半で、前は騎兵隊の一員であったが、攘夷戦争が終わる少し前に逃亡していたはずだ。当時は幕府側において、攘夷派の処刑が始まっており、彼を逃亡兵として憎むことは出来なかった。
「やっぱりさんだ。お久しぶりです。高杉様はお元気ですか?」
「知らない。死んでるんじゃないかな。」
「え、えっと、ご存じないんですか?」
「ないね。」
はあっさりと答えた。
夫であった彼がどうなったかを、は知らない。知る気もないし、知ったとしてどうこうできる問題でもないだろう。
「え、あ、えっと、お子さんいらっしゃるんですね。というか、その方は誰ですか?」
利川は戸惑ったようにの背中に抱えられている子供を見つめる。その複雑そうな表情は、と高杉が結婚していたことを知っており、今神威と一緒にいることを邪推してのことだろう。
ただわざわざ何らか答えてやる必要性もない。
「違う違う、彼は拾ったの。」
「え、また、やばい奴だったらどうするんですか?」
「またって、そんなことしたことあったっけ?」
「いや、さん、攘夷志士だった頃から変なもの拾ってくるの趣味だったじゃないですか。金魚とか。」
「あれは違うよ。ペットだよ。」
他になにか拾ったかなとは首を傾げてみるが、覚えていない。そういえば人間はよく拾ってきたかも知れないが、趣味ではない。それに身辺には気をつけていた。夫や兄が。
「貴方こそ何やってるの?こんなところで。」
「逃げて来たんっすわ。俺たちの居場所なんてどこにもないから。」
利川は肩をすくめて、大通りにつながる町並みを振り返る。
戦争によって出来た廃村に、人が流れ込んだだけの、町。戦争帰りの手足を失った兵士、難民、孤児。誰も彼もが暗い顔で、子供は親を、親は子供を、女は恋人をなくし、ふらふらしながら生きている。既に攘夷戦争は彼らから故郷と、大切な人を根こそぎ奪っていった。
たちも、もう故郷に戻ることは出来ない。戻ったとしても大切な人はもういないし、迷惑がかかるだけだ。
「仕方ないね。」
は目尻を下げて、利川に笑った。
この町にあるのはたくさんの悲しみと、苦しみだけ。過去を捨てたくても捨てられない、どうしようもない人々が集まっている。もきっと、東がいなかったら首に刃を当てて、自害していたかも知れない。それくらいの絶望の中で希望を胸に抱いていられるはきっと、幸せなんだろう。
ぽんっと背中にいる東を一つ手で叩くと、ぐいっと髪の毛を引っ張られた。
大切な人を思うが故に亡くすだけだったろくでもない過去を引きずる