「あのプログラムのおかげで、何とか助かりました。」




 もう老人とも言える年頃の男が、畳に頭をこすりつけるようにして、に礼を言う。それを隣の部屋から眺めて、神威は息を吐いた。

 週に1,2度、の家には来客がある。

 彼女はどうやら相当頭が良いらしい。その内容はちらりと確認したが、神威のわかるような代物ではなかった。戦艦を動かすプログラム、要塞の破壊計画、多岐にもわたるそれらは題名でしか、神威にはよくわからない。

 だが、その意味は彼らが置いていくお金の額から、よほど価値のあるものだろうと推測できた。

 そのお金はもちろん彼女も使っているだろうが、流れてくる昔の戦友に会えば、彼女はそのお金をいくらか与えて逃がしてやっていた。

 他にも彼女は薬師としての知識もあるようで、村の流れ者がに薬ほしさに来ることもよくあった。それをは金も取らずにあっさり教えてやる。



「馬鹿だよね。」




 彼女は誰かに頼ろうとはしない。縋ろうとはしない。何人かが逃げ場所を用意してやると言っても、自分の思うとおりにしか動かない。なのに、他人を助けて生きている。それが面倒ごとを引き込むであろうことをわかっているだろうに、そうするのだ。

 捨てられない過去は彼女の弱さそのものの気がして、神威は心が萎えるのを感じるから、彼女のそういう所が嫌いだった。

 神威としては目の前の彼女に興味があるだけで、彼女の過去に何ら興味がない。

 ただすました顔で、穏やかな顔で取り繕っている、弱いはずの地球人の女が、驚くほどの強さを持って、他者をねじ伏せる。あの無駄のなく、冷たく、無機質で、合理的で、美しいあの、人殺しの才能が、間近で見たいのだ。



「まったく、」




 は疲れたのか、片手で肩を叩きながら、中へと入ってくる。白銀の一つにまとめた天然パーマが重たそうにゆらゆらと揺れていた。



「たたまー、」



 東がよちよちと彼女の方へと歩いて行く。

 まだ歩き始めたばかりの幼子は、なんだかんだ言っても当然母親にべったりだ。とはいえ大人の話につれて行くわけにも行かないし、人質にされても困る。隣の部屋に置いて行かれることが多い。そういうときは何となくわかっているのか、東も大人しかった。

 まぁ、最近は神威と一緒に待っているわけだが。



「はいはい。」



 は東をその細い手で抱き上げ、神威の隣に座る。

 神威の怪我はもうほぼ治っていて、足の骨もつながったようだった。腹の傷の方も内臓が吹っ飛ぶほどだったらしいが、戦えないほどではない。要するにもう、十分に宇宙に帰って傭兵業をしていても大丈夫な程度には回復していた。

 とはいえ、に興味があるので、神威はまだしばらくはここに居座るつもりだった。



「アズマ、おいでよ。」



 神威が呼べば、まだ危なっかしい足取りで、東は神威に小さな手を伸ばして歩いてくる。まだ体型が丸々していて、大きな漆黒の瞳がくるくるで小動物的なかわいさがある。体も丈夫らしくて、また、むやみやたらに泣くことも、わめくこともない。

 神威の明るい色合いの髪を触るのが好きなのか、神威に抱きつくと小さな手でお下げを引っ張った。子供の力なのでちっとも痛くない。



「そういえばってさ、なんで腕っ節がそんなに強いわけ?」

「あれ、素朴な疑問だね。」

「不思議に思うだろ。あれ、どう考えてもプロだろ。」



 一瞬しか見ていないが、が浪人を切り捨てたときの剣術はどう見ても素人のものではなかった。どこかできちんと剣術をおさめるか、しているはずだ。



「まあ兄がいてさ、それにくっついて本格的にやってたんだよね。」

「地球の女って、武術やるんだっけ?」

「ま、やる人もいるけど、あんまり本格的にやる人は少ないかな。わたし、女では初の師範代だったし。」



 はなんてことはないように言って、神威が読めないような難しい本を開く。

 天人の技術に関する本だ。彼女は年齢こそ神威より少し上くらいだろうが、いつも本を読んでいて、離していても博識だ。学のない神威にはよくわからないが、相当賢いんだろう。それは頼ってきている男たちが示すところだ。

 彼女の価値はその腕っ節の強さだけではない。頭脳もまた、強さだ。



って、結構なんでも出来るんだネ。」

「そうね。そのせいで、戦略とか、生体兵器とか作る立場になって、まぁ、戦争は負けたんだけど。」



 はその丸くて黒い瞳を揺らして、目尻を下げる。

 この間まで地球に大きな戦争があり、それが天人の勝利で終結したという話は、政治関係に疎い神威でも聞いたことがあった。何を隠そう、神威は幕府と天人に雇われて、その戦争の残党狩りを命じられた傭兵の一人だったのだ。



「ふぅん、じゃあおまえは戦争の親玉の一人ってこと?面白いね。」



 難しいことはわからない神威にも、彼女が一兵卒だとは考えられない。それなりに重要な立ち位置を与えられていたはずだ。でなければ彼女はこんなところで金にも食べ物にも困らず、子供と二人で生きていない。



「違うよ。親玉なんて、いないし。わたしは、子供だったから。」

「ふうん。若気の至りで子供まで作っちゃった訳か。馬鹿だネ。」

「そういう言い方は微妙なんだけど。」

「事実でしょ。」

「そう、なんだけどね。言い回しって大切じゃない?」

「言い回しは違っても、一緒だろ。ここにがいて、子供がいる、それだけだろ。」



 神威は他人の過去に興味はないし、の過去にとやかく言う気もない。借りに彼女が過去に酷いことをしていようが、一万人の人を殺していようが、関係ない。むしろ過去のどうにもならないことをぐずぐず言われることの方が嫌いだった。

 せっかく彼女は強いのだ。過去で弱くなる必要なんてない。



「そうだね。」



 は酷く弱々しい、泣きそうな顔で頷いて、笑う。

 過去を捨てたくてたまらない、過去を悲しみごと背負う覚悟はなくて、でも捨てることは出来ない。それを知っていて、捨てられる誰かに憧れている。自分の葛藤にも納得して、変わりたいのにその場に留まり続ける、全てを諦めきった人間の顔だ。



「その顔、嫌いだヨ」

「え?」



 神威はの肩を掴み、自分の布団の上に引きずり倒す。思っていたより簡単に、彼女の体は神威の思い通りに転がった。軽い。彼女は丸い漆黒の瞳で神威をただ、ぼんやりと見返していた。大きな漆黒の瞳には、鋭い瞳でを見ている自分が切り取られて映っていた。



「もっと無様に抗ってみなよ。」



 聞き分けの良い女なんて、面白くない。

 そのすました顔よりも、ずっとあの時、浪人たちを斬り殺したの顔の方が人間じみていて、強そうで、鋭くて、後悔と悲しみと、怒りと、ありとあらゆる感情を内包しながら、それを超えた鋭さを持っていた。

 こんなつまらない、泣きそうな生き物ではなかった。

 どれだけ嘆こうとも、起きてしまった過去は変わらない。だが、だからといって、今の自分を諦める必要などないのだ。



「もしも、過去を捨てたいなら、全力で過去のおまえも、誰も知らないところに行きなよ。今の生活も全部捨てて。」




 は過去を捨てたがりながらも、過去を捨てられない。過去に積み上げたものがあるからこそ、彼らの金銭的な援助を与えてもらえる。逃げれば後ろ盾がいなくなるとわかっている。だからこそ、そう言った思い切った行動に出ることが出来ない。

 もしも本気で望むのならば、全部を捨てて宇宙にでも行けば良いのだ。



「それが出来ないなら、それはおまえの弱さだよ。」



 神威はの白い頬をさらりと撫でる。

 夜兎ほどではないが、の肌は白い。髪の色が銀と薄いせいか、肌の色も白く、ただ漆黒の瞳だけが色を宿して丸く、神威を映している。

 本気で抗わず、納得したふりをして、諦めたふりをして、弱さを隠す。結局現状を打ち破るだけのリスクを負う強さもない。仕方がないと潔く開き直ることすらも出来ない。弱虫。それを色々な言い訳で隠しているだけの、弱い存在だ。それに価値などない。



「…」



 しかし、一瞬にして漆黒の瞳に赤い光が宿る。



「ふ…ざけんな!!」



 突然は神威がのしかかっているというのに上半身を起こした。彼女の頭がこちらめがけて迫ってくる。流石の神威も避けることが出来ずに、まともに彼女の額と自分のそれをぶつけることになった。ただし、当然負けたのはだ。



「いっ、なんて石頭!!!」




 は自分の額を押さえて転げる。



「こっちだって結構痛かったヨ。一体何するのさ。」



 神威は思わず自分の額を押さえて撫でた。

 たいしたことはなかったが、本気の頭突きが痛くないわけではない。むっとして不機嫌そのままの表情で彼女を見ると、彼女はぐっと神威の胸ぐらを掴んで、真っ向から神威を睨み付けていた。



「わたしだって、好きこのんで、こんな所にいないわ!こんなしけたとこ!!」

「は?だったら。」



 出て行けば良いじゃないか、と神威は口にしようとして、口を噤む。漆黒の瞳は、怒りに染まっていて、心底神威を軽蔑しているようだった。




「東がある程度大きくなるまでは働けないんだから仕方ないでしょ!!宇宙でもどこでもわたしだって行きたいわ!!」




 まだの息子の東は一歳になったばかり、1時間も一人で残していけない。

 自分のことで手一杯な今のご時世、金を渡したところで他人の子供を育ててくれる人などいるはずもない。自分の身一つ守るだけならば、いくらでも自分の過去を誰も知らない場所に飛び出していける。その責任は自分だけだからだ。

 しかし、子供を抱えた状態では、それはままならない。

 だからこそは、お金の入りやすい、過去を捨てることの出来ない過去とつながった場所で、悲しみを抱えたまま、生きていくしかない。



「背負うものもないくせに、好き勝手言うな!!」



 怒鳴りつけられて、神威は今まで大人しかった彼女の変貌に、青い瞳を瞬く。漆黒の瞳には強い力と、覚悟がある。

 確かに神威に背負うものはない。自分を証だてるものはこの身一つで、それ以上でもそれ以下でもなかった。だからどこでも行けるし、過去の自分を誰も知らない場所に走って行くことも出来る。だがは違う。

 は一人じゃない。子供の命も背負って立たなければいけない。



「それがわたしの強さだ!!」



 背負うからこそ、捨てることが出来ないものがある。どんなに弱くても、悲しくても、逃げたい過去がそこにあったとしても、泣きながら留まり続ける強さを持たなければならない。

 それは弱さではなく強さだと突きつけられても、神威にはよくわからなかった。






強さの定義とはなんぞや