神威を拾ってから早2週間。と彼は何故かそれなりにうまくやっていた。
「たかーいたかーい。」
「きゃー!!やめてあげてえええええ!!」
豪快に彼が息子を放り投げてキャッチする。その高さが数メートルという感じで、は慌てて神威に縋り付いて止めた。
「危ないなー。落としたらどうするんだよ。」
「いや、一歳児二メートルも放り投げて何してるの!!」
「でもアズマ笑ってるじゃん。」
神威は相変わらず表情のうかがえない笑顔で、に言い返す。
彼の腕の中にいる東は機嫌良くきゃっきゃと子供らしい高い笑い声を漏らしていて、次をねだるようにばしばしと神威の腕を小さな手で叩いていた。
「ほら、男の子はやんちゃが一番だよ。それに強くなってくれないと、殺しがいがない。」
「貴方って、戦闘狂かなにかなの?」
「今頃気づいたの?」
「まじでか。」
とんだものを拾ったものだと、は正直思った。
内蔵まで吹っ飛び、骨折もしていたはずの彼だったが、二週間で恐ろしい程の回復をみせ、今となっては怪我をしたのが嘘のように元気になっていた。激しい運動は避けたほうが良いだろうが、見たところはほぼ全快だ。
元々は宇宙で傭兵をやっていた戦闘に長けた種族だったらしく、回復力もさることながら、恐ろしい怪力の持ち主で、気をつけなければ様々なものを破壊するが、最近ではたまにの家事を手伝ってくれることもあった。
が今まで出会った天人と言えば、攘夷戦争で戦った敵か、もしくは幕府を影から操ろうとするろくでもない奴らのイメージばかりだったが、実際には様々な天人がいるのだろうとは彼を見て認識を改めた。
神威はすっきりした性格と言えばよいが、悪く言えば単純馬鹿で、そういう策を講じたりするタイプではない。強さとそのシンプルさを考えれば、仲間の天人に裏切られて撃たれた原因がなんだかわかる気がした。
とはいえ、はシンプルで思ったことをはっきり言う神威を好ましく思っている。怪我が治ってもまだいてくれることは、嬉しかった。
だが、ずっとこのままでいることは出来ない。
「それにしても、もうそろそろ米俵買いにいかないとないよ。」
神威は無邪気に食料の備蓄を見て言う。
「うーんそうなんだけどね。」
「行かないの?」
「もうそろそろ次の町に移ろうかなって。」
この町には長くいすぎた。
攘夷戦争時代の旧友だった利川と会ったと言うことは、彼も幕府に追われてここに逃げ込んできたと言うことになる。幕府は攘夷志士を処刑するために、傭兵や暗殺者を山のように雇っている。どちらにしても、良いことにはなるまい。
ならばこの町が見つかるのも時間の問題だ。神威がいるため移動をしていなかったが、当初はもっと早く移動する予定だった。
が捕まり、素性が知れればただではすまない。
同時にそれは他の仲間や逃げているはずの夫や幼馴染み、兄にも迷惑をかけることになるため、絶対に捕まることは出来なかった。捕まるくらいなら死んだ方がましだ。
「ふぅん。じゃあさ、も俺と来ない?」
「…?どこに?」
「宇宙。」
神威は軽い調子で、ちょっと買い物についてこないかとでも言うように尋ねた。
「え、えええ?!」
「俺さぁ、傭兵やってるんだよね。俺馬鹿だから、いろいろ苦労することが多くてね。」
「は、話が見えないんだけど。」
「だから、一緒に来なよって言ってるじゃん。強いし、賢いんでしょ?」
「宇宙、に?」
「うん。」
あまりにもあっさりした誘いに、の方が眼を丸くして言う。
確かには地球ならばある程度どこでも生きていけるだけの知識と能力がある。だが、それではあくまで地球ならだし、知り合いが全くいないところに行けば、女の能力は認めてもらうまで時間がかかる。だからこそ、今ここにいるのだ。
ましてやは幼子の東から1時間も離れられない。生活していけるほど長期で働くことは不可能だから、は地球を離れられなかった。
「いや、わたし、子供いるから。」
「見りゃわかるよ。だから、アズマも一緒に来たらいいじゃん。」
神威はから東を抱き取る。彼になれてしまった東は、嬉しそうに声を上げて彼の首に小さな手を回した。
弱い、役に立たないと言うし、無茶な遊び方はするが、神威は東に怪我をさせたことはないし、粗雑にあしらったこともない。
「おまえも宇宙に行ってみたいよネ。頷かないと殺しちゃうぞ。」
「ちょっとおおお!」
無茶苦茶を言っている神威の腕から慌てて東を取り上げ、は東を抱きしめる。
「冗談だって、」
神威は肩をすくめて手を平良比させて見せた。
当然一歳児の東になにかわかるとは、流石の神威も思っていない。ただ適当に話しかければ頷くので、冗談を言ってみただけだ。しかし、への誘いは冗談ではない。
「この間、言わなかったっけ?東がいるから、簡単に働けないって。」
「うん。別に俺は傭兵やってるし、金には困ってないから、しばらくパラサイトしてれば良いよ。」
「ぱ、ぱらさいとって、」
簡単に養ってやる発言をした神威に、は目をまん丸にして彼を見つめることしか出来なかった。
「太っ腹…だね。」
「それはだろ?俺みたいなの助けて。」
「恩返しってこと?」
「そんな大層なものじゃないよ。」
「そんな大層なことしてくれなくて良いよ。」
ただ単に、道ばたに転がっている若い彼を見捨てられなかった。それだけだ。見返りを求めて助けたわけではない。
なにかを求めることは、あの戦争以来やめた。誰にも頼らないと決めた。
はただ一緒にいたいという気持ちだけで、攘夷戦争に参加し、たくさんの天人を、そして仲間を殺してきた。自分の発明品を含めれば、恐らく数万人の人間を殺している。戦艦を落としたことも一度や二度ではない。
それに気づかなかったのは、いつも、兄に、夫に、そして幼馴染みたちに守られていたからだ。
が傷つかないように、大切にしてくれた。そうして育てられたは、いつの間にか他人を大量に殺せるほどの立派な牙と、事実を知れば壊れてしまう弱い心しか持ち合わせていなかった。
死んでしまいたかった。自分のやったことの意味を目の当たりにして、心配しなくて良いと笑いながら仲間たちが死んでいくのを見て、そして亡くなった仲間たちのためにと、また生きている仲間が死に向かうために、に策を求めるのを見て、首に刃を当ててしまいたくなった。
ただ、みんなと一緒にいたいだけだったのに。誰もいなくなる、そのことが怖くてたまらなかった。一人になるくらいなら、みんなのいるうちに、死んでしまいたかった。
でもそれが出来なかったのは、お腹に子供がいたからだ。
誰にも頼らず、ひとり戦争に背を向けた。幼い頃から兄と育ってきたにとって、孤独はとても恐ろしいもので、寂しくてたまらなかったけれど、頼ってはいけないとひとり生きてきた。
「駄目だよ。なにかを背負ったら。」
つぶれちゃうよ、とは笑う。
仲間たちは皆言っていた。は何も心配しなくても良い、大丈夫だって。でもみんな死んでしまった。人は誰かの命を背負えるほど強くない。
神威は背負うものもなく、過去も捨ててここにいる。彼はどこまでも自由だ。だからこそ、あまりにも重たい過去を背負うを、そしてその子供を彼が助ける必要はない。それは自由な彼の足かせになるだろう。
「いやだな。しけた面さげた女と、ガキひとり背負うくらい、小さなことだよ。それには怖いだけだろ?」
神威は酷く挑戦的に笑って、すっと青い瞳を開きそれでを映す。その澄んだ瞳は心の奥まで見透かしそうなほど研ぎ澄まされていて、は心を見抜かれるような気がして目を伏せた。
「俺は馬鹿だから、の言っていたことはよくわからないよ。だから俺は俺らしく、おまえの無様にこだわっているものを壊してみようかなって。」
「…」
「現実、直視したほうが良いんじゃない?」
道はそこにある。手はさしのべられた。これで、その道を選ぶかどうかは、子供でも過去でもなく、の強さにかかっている。翼は神威が与えた。
「貴方に、何のメリットがあるの?わたしといて。」
は彼の顔を見ることも出来ず、小さく息を吐く。
「別に?俺はね。女子供は殺さない主義なんだ。女は強い子供を産むかもしれないし、子供は強くなるかも知れないからね。」
「とんだ戦闘狂だね。」
「そ。だから俺は強い女は好きなんだ。が死ぬのはもったいない。」
「わたしはそんなに強くないよ。」
「どうでも良いよ。だから、おいで。」
神威はにこにこ笑って、の体を東ごと抱き寄せる。
それは愛情からではない。ただ単に強い興味と“強さ”という価値をが持っているからだ。そしてそれこそが、神威なりのの“強さ”に対する敬意なのだろう。
――――――――――――きっと、君は時鳥だ。願う限り、どこまでも飛べるはずですよ。
は自分より少し大きな彼に抱きしめられながら、ふと師の言葉を思い出した。
は結局、空を飛べなかった。ひな鳥のように皆に守られて、彼らが死んでいくのすら気づかず、ただ餌だけもらっていた。でも初めて自分より幼い、弱いなにかが見えて、無理矢理強くなろうと覚悟を決めて、虚勢を張っただけ。
それだけでここまで来たはきっと未だに、過去という巣の中にいる。
飛べる空はまだある。重荷も既に抱えてくれると手をさしのべられた。ならばここからは本当にの力だ。
温もりは少しだけ、に勇気を与えてくれた。
それぞれがそれぞれのやり方で求め逝く強さ