は宇宙に行くとも、行かないとも答えを返さなかった。とはいえ彼女の中でもこの町を出ることは決定事項らしく、食料や身辺を片付けているのは間違いがなかった。



「潮時かな。」




 神威はぱらりと一枚の写真を胸元から取り出す。

 それは幕府に雇われたこのあたりの天人たちが探し回っている攘夷志士の手配書だった。そこには不鮮明な写真が一枚貼り付けられている。髪の色と性別くらいしかわからない不鮮明なそれでも、今の神威にはそれが誰だかわかる。

 彼女の経歴は少し調べるだけで、すぐにわかった。



 高杉



 処刑されたさる有名な攘夷志士の教え子のひとりであり、後期攘夷戦争を主導した攘夷志士の妻だった経歴を持つ。また素性が全く判明しない白夜叉の妹でもあり、他の攘夷志士の逮捕につながる可能性が高いため、幕府は躍起になって彼女を探している。

 だが、別に彼女が追われているのは、彼女の幼馴染みや夫、兄のためだけではない。

 彼女自身攘夷戦争においては攘夷派の技術開発、生体工学、要塞建築、天人の戦艦の撃墜など、技術面で数々の功績を残した、幼い天才。

 敵に掴まれれば拷問の末、間違いなく処刑されるはずだ。彼女の息子の東も、生きていることは出来ないだろう。



「ま、…良いけどね。」




 もしこれでついてこないなら、少しむかつく。まだその時どうするか、神威は考えていない。

 根本的に神威は、の過去には全く興味がないし、仮に大罪人でも、誰と結婚していたとしても、今のがここにいる限りどうでも良い。別に過去がどうあっても、彼女の強さはそこにあるのだから問題ないだろう。


 ただ、このまま行けばは死ぬことになるだろう。


 幕府は今、天人に対する面目を守るために、大量に天人の傭兵を雇い、次々に流れ者の町をつぶし、攘夷志士を捕まえ、処刑して回っている。既に他の町は多くがつぶされた。

 幼子を抱えているが逃げ切るのはそう簡単ではない。

 彼女が死ぬと聞くと何となく苛々するし、その強さを間近で見たいと思ったから、つれて行きたかったが、それを決めるのは彼女だ。神威は別に他人に強制しない。自分も強制されるのは嫌だからだ。

 でも、もやもやする。




「相変わらずすごい食べっぷりだね。」




 神威が腹いせのように桶を抱えて米をかき込んでいると、が呆れたように呟く。




「この沢庵美味しいね。」

「わたしはどんな美味しい沢庵も一切れでご飯いっぱいはむりかな。」

「そう?」




 神威は言いながら、近くにあったおかずをつまんだ。

 地球のご飯はいつも美味しいが、のご飯は絶品で、特に彼女が漬ける漬け物は、浅漬けだろうが沢庵だろうが本当に美味しい。それだけでも彼女を連れて一緒に引っ越したいくらいだ。

 なんだか考えていると、苛々してきた。

 こんなにつれて行きたいとこっちは思っているのに、彼女は答えをくれない。でも本当に自分は、彼女が拒否したとして、大人しく彼女を置いて宇宙に戻るのだろうか。



「俺、待つの嫌いなんだよネ。答えは頂戴。」



 神威は桶を隣に置いて、顔を上げる。は漆黒の瞳を一度、二度と瞬いて、僅かに小首を傾げてから、困ったような笑みを浮かべる。

 それがイエスなのか、ノーなのかわからず、神威は素直に頭を傾けた。



「神威、わたしちょっと利川の所に行ってくる。東見ていてくれない?」



 は唐突に抱いていた東を押しつけてくる。そういえば彼女が神威に東を直接渡してきたのは、初めてかも知れない。神威は漆黒の瞳で不思議そうにこちらを見てくる幼子を抱き上げてから、に改めて向き直る。

 利川はからの戦友らしく、彼女は何度か金を彼に与えていた。そういうお人好しなことをするから、素性がバレるのだ。他人など放っておけば良いのに、自分は頼らないくせに、背負い込んでしまう彼女に呆れる。



「別に良いけど、早く帰ってきてよね。」




 神威が抱いていても、基本的に東は神威に懐いており、怒ったりぐずったりしない。よく笑うが、あまり泣かない良い子で、だいたいは大人しくしている。とはいえ、食事やらのことは流石に神威もわからない。



「うん。最期のお金を渡してこようかと思って。」

「相変わらずお人好しだね。」

「また別の所に雲隠れするわけだからね。彼も大変だろうし。」



 攘夷志士が隠れるのは決して簡単ではない。お金は所詮足しくらいにしかならないが、ないよりはましだとでも思っているのだろう。



「何かあったら、そこの畳の下に、地下通路があるから。」

「なにかって危ないの?」



 神威はにちらりと鋭い目を向ける。



「ちょっとね、まぁ前からわかってはいたんだけど。」

「なら、はアズマといなよ。俺が行く。」

「神威は病み上がりなんだから、駄目だよ。それに自分でとっておかないといけないものがあってね。」



 は明るく笑って、自分の帯に刀を挟む。

 いつもは一振りだが、二振りを携え、フードのついた羽織を被った。血で刀の切れ味が落ちると嫌だし、呼びも必要なので、戦うとわかっている時は二振り携えることにしている。

 刀を二振りさすのは、久々だ。一振りは師から託され、でもどうしても使うことが出来なかったもの。もう一振りはいつも持っていた、いつも使っている、師を取り戻そうと誓い合った時も持っていた、義父の刀。着物も昔、義父に買ってもらった紅梅の色合いの着物に、濃蘇芳の襟をつけた。つぼみ梅と呼ばれる色あわせだ。姿勢を正し、は後ろを振り返る。



「何を取りに行くの?」

「おとしものかな。」



 は結局の所、何の覚悟もしたことはなかった。兄たちの元を離れたのも、子供がいたからだ。子供がいなかったらは間違いなく、自分でその命を絶っていただろう。それをしなかったことも、すべて子供がいたからだ。



「おとしもの?」

「うん。大事な、けじめだよ。」

「そう。」



 神威は素っ気なく返して、目だけでを追う。はフードを深く被って、外へと続く扉の取手を掴む。

 外は少し寒い。地球にはもうすぐ、冬がやってくるだろう。




「じゃあ、いってきます。」

「いってらっしゃい。早く帰ってくるんだよ。」




 神威は東の背中をぽんぽんと軽く叩いてから、軽く手を振って見送る。がそれを見たかはわからないが、彼女は振り向きもせず、手を振って見せた。



「たーま。」



 東は珍しくを追うように小さな手をその背中に伸ばす。だがすぐに木の扉は音を立ててしまってしまった。

 残されたのは、幼い東と神威の二人。



「おまえのママンは強いねぇ。」



 神威は腕の中にいる小さな子供を見下ろす。

 僅かに波打った漆黒の髪に、大きなくるりとした漆黒の瞳。肌は神威ほど白くはなく、銀髪天パのとは似ても似つかない。は多分、この小さな命を守るために、自分の全てをかけて逃げた過去に縋り付き、ここにいた。

 でも多分、はこの子がいなければ、死んでしまうだろう。理由はわからないけれど何となく、神威はがこの子にこだわって、こだわらなければ生きていけないのを知っていた。

 彼女は強いけれど、心が弱い。それを補っているのが、この子だ。



「つーな。」



 違うとでもいうように、東は首を横に振る。それはきっと意図した行為ではなかっただろうが、小さな手で神威の腕を叩く。



「強くないの?」

「ん?う?」

「そ。なら、は帰ってこないかもね。」



 神威は小さく笑って、自分の腕の中にいる東を抱きしめて背中を強く撫でてやる。ところが珍しくひくっと声を上げて、東がぐずり始めた。

 不穏な空気を感じているからだろう。

 神威は足で器用に畳を上げる。そこには鉄の扉があった。どうやら通路があるようで、きっと反対側は別のどこかにつながっているんだろう。道理でそれほどが焦らないわけだ。神威は一つ頷いた。

 彼女は家にいさえすれば、ここから逃げられるとわかっていたからだ。

 神威は鉄の扉を開ける。中にはちゃんと電気をつける設備があり、向こう側には光が見えた。とはいえ、一歳児の東には何もわからないだろうし、戦っている最中に泣かれて子供がここにいるとわかっては困る。だからといって、子供がいても困る。



「アズマ、しーね。」



 人差し指を唇の前に出して、神威は言う。がいつも、そう言って彼に言い聞かせていることを、神威は知っている。



「ん。」




 東はこくんと大人しく頷く。神威は大きな兎のぬいぐるみをわたし、ついでに小さな体を毛布に包んだ。コンクリートに覆われたこの地下通路は寒いだろう。風邪を引いては困る。





「ねー、たたま、」

「うん。おまえが寝ている間に、俺がおまえのママンを連れて帰ってくるヨ。」

 大きなぬいぐるみを抱きしめている東の頭を撫でて、神威は立ち上がる。







 東はじっと神威の青い瞳を窺うように見つめていたが、大きく頷いて、毛布にくるまるように目を閉じた。神威は東が目を閉じたのを確認して、階段を上がろうとする。その時、神威が入ってきたのとは反対側の扉が開いた音がした。どうやら地下通路の反対側の、の協力者が業を煮やしらしい。

 東はぱちっと目を開いて、反対側を見ている。



「ま、俺は俺のすることがあるからね。」



 会談を上がり、鉄の扉を閉めて畳をちゃんと元に戻してから、部屋の襖を開けると、土間の所には浪人やら、天人がたくさんいた。恐らくを殺すために雇われたのだろう。




「あははは、こりゃ病み上がりにはきついね。」



 心にもないことを呟いて、神威は肩をすくめたが、自分の傘を構えて一歩踏み出した。本能が自分のやるべきことを告げていた。


己だけを強く信じるが故に