は自分の刀を支えに何とか立ち上がる。

 体中の痛みは酷いが、まだ動かなければならない。袴の裾だけでなく、着物にも緑やら赤やらといった天人の血でぐっしょり濡れて、重たくなっていた。




「あー、体重いわ。」




 もっと自分の体は軽かったはずだが、痛みすらも麻痺するほどに傷だらけの体は、血を吸った衣だけでは説明できないほどに重たい。それでもは崩れそうになる膝を無理矢理叱咤して、刀を構える。



「もう諦めろ!おまえのような小娘一匹!」




 天人はもうぼろぼろのに降参するよう求める。

 おそらくを生きたまま捕らえ、他の攘夷志士の居場所を吐かせた後に公開処刑にするというのが、彼らの目的なのだろう。だが生憎、は綺麗に死にたいとか、そういった神経は持ち合わせていないし、一分一秒でも長く生きたいとも思わない。

 死ねないと思ったのは、子供がいたからだ。とはいえこの状況になればもう、目的を果たせないなら生きていた方がやっかいなくらいだ。



「はっ、笑わせるわ。」




 諦めたところで、自分の行く道など知れている。ならば最期まであがくのが、野の花であったの定めだ。

 生きて虜囚の辱めを受けずというが、そんなことどうでも良い。

 は元々親もない孤児だ。養子にとられても、剣術を習い、学をつけたところで、所詮は田舎侍の端くれで、首を取られて困るとか、そんな大層な理想も武士道も生憎持ち合わせていない。




「最期まであがくさ。」



 は血に滑る両手で柄を握りしめる。

 息が荒くなっていて、神経を研ぎ澄ますために、は深呼吸をする。息絶えるまで、刀を落とすことなど合ってはならない。そして刀さえ落とさなければまだ戦えるはずだ。刀の血を払い、目の前にいた灰色の肌をした天人の首を切り捨て、体を蹴り倒すと同時に、次へと斬りかかる。

 その好きに後ろから銃撃を受けたが、今殺した天人の体を盾にして、走り出す。



「…っ、」



 焼きが回ったなとは目を伏せる。

 出血で目が霞んできているのか、視界にノイズが混じる。先ほど打たれた腹の傷がきいているらしい。紅梅色の淡い着物は、真っ赤に染まっていた。荒い呼吸と整えるように深呼吸を下が、代わりに出てきたのは咳と血だ。

 ぺっとはき出して、ふーっと喉が詰まらないように細い息を吐く。



「焼きが回ってるな。」



 袖で自分の口元を拭って、は呟く。

 ここまでだとわかっているが、それでも死ぬまで諦めたりしないし、刀を取り落としたりはしない。それが最期に残ったのプライドであり、孤児の矜持だ。

 天人がなにかを大声で叫び、次の瞬間、の体に鋭い痛みが走る。後ろから襲った衝撃には思わず膝をついた。もうには銃弾をたたき落としたり、よけたりするだけの体力はない。それでも、撃たれた痛みに耐えながら、刀を支えに立ち上がろうとする。

 死がどういうものであるか、にはよくわからない。でもこの瞬間になって、少しだけわかる気がした。


 足が震えて、立ち上がれず、膝をつく。

 膝立ちのまま周りの天人に向けて刀を振る。だがそろそろ限界で、死は目前にまで見えていて、は思わず小さく自分を笑ってしまった。



「本当に、」



 結局色々な人に助けてもらって生きてきて、一人に出来るのはこの程度らしい。



「悔しい、なぁ…」



 大切な、大切だった松陽をはめた男ひとり、自分で片付けることの出来ない自分の弱さが、情けない。天人が、利川の前にいるため、の刀は届かない。は利川を睨み付けるが、もう立ち上がれず、悔しさに眉間に皺を寄せる。

 だが突然、腕がぐっと引っ張られた。



「何が悔しいの?」



 男にしては高い声音が上から響いて、腕に支えられる。

 驚いて隣を見ると、そこにはオレンジ色おさげの、アホ毛をひこひこ揺らした、ここ数週間で見慣れた男が立っていた。



「か、神威、なんで、」

「帰りが遅いからさー。」




 迎えに来た、と何でもないことのように笑う彼もまた、に負けず劣らず血まみれだった。傘を持っている、服をまくり上げた手も、真っ赤に染まっている。



「…て、東は!?」

「今地下室でおねんね中。ねんねしてる間にママン取り返してくるって言っちゃったし。」

「一人で?!」

「うん。」



 あっさりと神威は頷く。



「階段から落ちたりしたらどうするの?!あの子、まだ一歳なんだよ!!!?」

「大丈夫だよ。寝てるって約束したし。」

「そんなの一歳児にわかる?!」



 は神威に子供を任したのは間違いだったと頭を抱える。どうやら彼は地下の通路に東を置いてきたらしい。あまりの暴挙には声を荒げるが、それすらも自分の腹に響いて蹲った。傷は相当深いらしい。神威はの前に立つとくるりと傘を回し、地面に突き立てる。

 どすりと音がするのは傘が重いからなのか、それとも彼の怪力によって地面に突き立てられたせいなのか、動きの悪い頭はすぐに考えることをやめた。



「心配なら、早く終わらせて早く帰ろうよ。」



 神威はあっさりと笑って、血にまみれたその手での腕を掴み、そのまま無理矢理引きずり起こす。の足はもう限界でふらついていたが、何とか刀を持ったまま立ち上がった。それを確認して、神威は自分の傘を地面から引き抜く。



「な、おまえ、神威――――?!」



 天人の一人が神威を指さして、ぽかんと口を開ける。



「なんで死んでないんだ?!」

「痛かったヨ。夜兎の俺も毒矢受けて、後ろから大砲じゃ、流石に死にかけたよ。」



 神威は狼狽える天人たちに全くといって良いほど慌てることなく、肩をすくめて手をひらひら振って見せた。




「や、やと…?そうか。」




 は神威の言葉に思わず納得する。

 抜けるような白い肌に、太陽光に弱いため手放せない、遮光の傘。内臓を吹っ飛ばされても回復できるほどの治癒能力。そして60キロもの米俵を片手で持ち上げるほどの怪力。彼は傭兵だと聞いており、なんで自身も実際に見たことはなかったが、本で読んだことはある。

 宇宙最強と呼ばれる、傭兵部族。夜兎。




「まさか、神威が裏切られたっていう、天人って。」

「そいつらだよ。挙げ句、そこの人間もさ。俺の獲物のふりして、そいつと組んでたんだよ。」




 は利川に裏切られたが、どうやら神威も同じらしい。 

 天人も神威がただでやられるとは思っていなかったため、人間の利川を神威の獲物だと言い、神威が利川を殺そうとした瞬間を襲ったのだ。獲物を狙っている時が一番好きが出来るというセオリーに乗っ取り、神威はやられたと言うことになる。



「…いろいろやってるんだね。でも神威、そいつの首はわたしが欲しいんだよ。」



 は膝に力を込め、刀の切っ先を後ろに向けて腰をかがめる。ぼろぼろだが、神威の前で無様に横たわっているわけにはいかないし、なんとしても利川の首が欲しい。




「ふうん。じゃ、そいつはにあげる。でもそれ以外は俺のネ。」

「え、この人数?」

「簡単だよ。」




 神威はにこにこと今までよりも驚くほど不気味な笑顔を浮かべて、傘を振ってみせる。



「しっかりしろよ。やるんだろ。」

「うん。」




 利川だけは松陽の件もあるため、自分の手で決着をつけたい。それだけは神威にとられたくなかった。神威はまじまじとのぼろぼろの格好を上から下までじっくりと眺め、にこっと笑って首を傾げる。だがその目が殺意にまみれていて、は背筋に悪寒が走っていった。




「なんか、むかつく。」

「え?」

「おまえなんでぼろぼろになってるの?」

「いや、仕方ないじゃん。今まで戦ってたんだから。」

「ま、いいや。」



 神威は顔こそ笑っていたが、声だけは酷く不機嫌そうだ。彼が何を怒っているかわからなかったが、いまはそんなことをとやかく言っている時ではない。 

 はまっすぐ、敵だけを見据えて歯を食いしばり、痛みに耐えて刀を構えた。


鮮烈たる鋭さ