あたりにと神威以外に生きている影はない。

 たくさんの天人と、人間の死体。緋色や緑、青色と言った色々な血が流れを作り、雨の後のようにあちこちに水たまりを作っている。もう夕方で日の光も強くないため、近くの地面に自分の傘を突き刺し、神威は軽やかなステップで水たまりをよけての隣に歩み寄る。



「もう。無理…」



 は刀を鞘に収めると、大きな息を吐いて膝をつき、血だまりに突っ込みかけた。それを神威が支える。

 神威が見る限りの状態はひどいものだった。

 後ろから数発の銃弾が体に入っているのか、着物は返り血ではなくぐっしょりと血がついているし、動く度に血が溢れている。毒などはないようだが、腹にも傷があり、左手はほとんど動かずぶらぶらしていた。これは折れているかも知れないから、検査が必要だろう。

 の薄い色合いの銀の髪にはあちこち血がついており、色が変わっていて元の色がわからない。



「満身創痍だね。」



 神威はの細い体を抱きしめて、背中に手を回す。相当痛むのか、神威の僅かな動きにもは呻いた。

 地球人は弱いし、傷もすぐには治らないと言う。

 これほどの重傷で立っていたのは、彼女の気力だろう。とはいえその気力ももうないらしく、今はぐったりしており、神威に支えられて座っているのがやっとだった。



「玉抜くよ。」

「ん、」

「俺の肩噛んで良いヨ。すぐ治るしね。」



 神威は応急処置しか知らないが、そのままやれば奥歯が砕けるだろう。の頭をぐっと自分の肩に押しつけて、神威は彼女の傷に触れた。生暖かい鮮血が神威の指を伝い落ちていく。



「っうぐっ、」



 無理矢理彼女の体に入った弾丸を取り出す。あまりの痛みには神威の肩に歯を立てたが、神威にとっては服越しだったため、それほど痛くなかった。体に入った四発の銃弾を取り出す頃には、の体からは完全に力が抜けていて、手すらもぶらんっとなってしまっている。



「本当に無茶だよね。あの人数を相手にしようだなんて、地球人なんて弱いんだからさぁ。」



 神威は片手でを抱きしめたまま、自分の手についた彼女の血を嘗める。いつもならまずいなと思うのに、何となくその血は誰よりも酷く甘い気がした。

 先ほど彼女の怪我を見た時に感じた苛立ちが、いつの間にか消えている。

 何となく彼女が怪我をしたのを見るとむかむかするが、既に彼女に傷を負わせた相手は皆殺しで、死体として地面に転がっている。彼女を裏切ったという男も、彼女の手で首と体が斬り離されていて、もう動かない。


 流石の神威も動かないものに、嫉妬も興味も苛立ちも覚えなかった。

 利川とか言った、その男を殺した時、彼女はいつもの退屈そうでも、諦めたような表情でもなく、落ち着いてどこまでも鋭い、まるで刀と同じ鋼のように目の前の敵を冷静に定め、殺して行く、美しい漆黒の瞳をしていた。


 その漆黒の瞳は、神威の心を酷く満たした。


 彼女は弱い地球人でありながら、数十人もの天人を斬り殺して生きている。地球人だとしても、大したものだし、何よりその瞳は、神威を魅了する。



「俺は強い女が好きなんだよ。」

「じゃあ、わたしはお眼鏡に適わないってことかな。」

「かなったから、俺はここにいるんだ。」



 神威はそっとの血で汚れた頬を拭う。は目を細めて、痛みに顔をしかめた。



「いつか俺の子供を産みなよ。の子供なら、強そうだ。」



 もちろん彼女の剣術の腕もすばらしいが、彼女には鋼のような意志がある。敵が全て倒れるまで、膝が震えても、どれほど撃たれても刀を取り落とさなかった。は自分のことを弱いと思っているようだが、彼女は十分に強い。

 そして神威が見ほれるほどの、強さと鋭さがある。

 日頃は穏やかですました顔をしているのに、たまに鋭さや残酷さを見せる彼女を、神威は心の底から自分のものにしたいと思う。

 あの美しくも鋭い漆黒の瞳を、傍で見ていたい。

 彼女に助けられたからと言って、神威には彼女を助けるほどの殊勝さはない。彼女を気に入ったからこそ、宇宙につれて行くために彼女を助けたのだ。



「既に子供は、いるんですけど。」

「良いよ。おまえの子供なら、東も強くなるんだろ。育ててあげるよ。いつか東が強くなって、俺があいつを殺すまでは。」

「殺すまで育てるって、馬鹿みたい。」



 は遠慮なく、荒い息を吐きながらそう言って、じっと神威をその漆黒の瞳で映して笑う。



「宇宙につれてって、」

「それがの答え?」

「うん。神威の傍は気楽そうだ。」



 単純でシンプルで、今しか見ていない神威。過去にばかり縛られて、守られてばかりで、賢いくせに何も見えなかった。お互いにあまりに違うから色々と苛々することもあるだろう。

 それでもは、神威の手を取ると決めた。



「気楽にやろうよ。道は長いんだ。」



 神威はを自分の背中に背負う。は痛みに震えながらも、神威の首に手を回してきた。ただ歩くその振動すらも傷に響くのか、小さなうめき声を上げる。

 神威が想像していたより、彼女の手は細くて、体ずっと軽かった。

 先ほどまで男顔負けの剣術で、天人を惨殺していたとは思えない。そういうギャップも、神威がを気に入る一因だ。



「なつかしいな、最後におんぶしてもらったの、お兄かな。誰だろ。」

「くだらないこと言ってないで、とっとと帰るヨ。東は多分保護されてるだろうしね。」



 神威はを負ぶったまま、地面に差していた傘を引っこ抜き、それをさして、同時に彼女の体に響かないようにできる限りゆっくり歩き出す。夕日があたりを緋色に染めていてまぶしく、夜兎の神威にとっては目が焼かれて少し辛かったのだ。

 地下室に東を寝かせた時、反対側の扉が開く音がしていた。間違いなく相手はの協力者だろうから、確認はせず、神威は東を毛布とぬいぐるみとともに置いて、を迎えに来た。

 だが、知らない人ばかりでは不安だろう。早く帰ってやらなければならない。



「放ってきたのかと思った、」

「流石に俺も一歳児のアズマから目を離すほど馬鹿じゃないよ。迷ったけどね。おかげでは生きてるんだし、良いじゃないか。」

「そう、だね。神威と話してると、結果良ければ全て良しな気がしてくるよ。」



 は小さく笑い声を漏らした。どうやら流血で段々、意識がもうろうとしてきて、痛みを感じられなくなっているらしい。



「わたしさぁ、大切な先生が助けたくて、戦争に参加したんだ。ま、でも、半分はそうだけど、半分はみんな行くから行ったのかも。」



 国のため、天人を排するのだと意気込んでいる仲間も多かったし、松陽を助けるためだという仲間もいた。は松陽にまた会いたかったし、みんなといたかった。寺子屋にいた、一緒に育った仲間たちのほとんどが戦争に参加したからだ。

 には、戦争に行かないという選択肢は、なかった。

 彼らのために策を練り、兵器を作ってきた。戦略を立て、一体いくつの戦艦を空から引きずり落としたのか、わからない。



「一四で結婚してさ、そのまま戦争まっしぐら。自分は賢いって思ってた。なーんにもわかってなかったのに、誰よりも賢いって思って、大量に人殺してた。」



 旧知の喧嘩友達が死ぬまで、は自分のもたらした戦略が人に何をもたらすのか、考えたこともなかった。戦艦を空から落とせば、どれほどの天人が死ぬのか、仲間が死ぬのか、そして自分が作った兵器がどんな意味を持っていたのか、は知ろうとしなかった。

 大切なものがぼろぼろと手からこぼれ落ちる。

 誰かを助けるために、誰かが犠牲になっていく。はその手助けをするために戦い、そしてまた誰かが死んでいく。



「で、気づいて何もかもに嫌気がさしてね。東が出来たのを良いことに、逃亡したっていう…、ろくでもない話でしょ。」



 先生にまた会いたかった、みんなといたかった。結果、皆死んでしまった。それに気づいた時にはもう遅かった。はその事実を直視する強さもなく、子供が出来たことを言い訳に、逃げ出した。



「ふぅん。じゃあ今度は、俺と一緒にろくでもない人生にランデブーだね。」



 神威がふざけたように笑う。



「あ、またろくでもない感じなんだ。」

「なに?不満なの?ただ今度はひとりでランデブーじゃないさ。」

「ほんとに?」



 は恐る恐るという不安そうな声音で尋ねる。

 神威は彼女を背負っているため、彼女の表情を窺うことは出来なかったが、冗談のように彼女を揺らした。すると途端に高い悲鳴が上がる。



「つっっ!」

「本当だよ。二人の方が面白いだろ。それにおちょくって遊べるしね。」

「こんちくしょう!痛いぃいい、」

「無茶するからだよ。しかも首欲しいとか言ってたのに、首放ってくるし。」

「むさい男の首を飾る趣味はないの。」

「確かに、部屋に置かれたら俺、間違えて燃えるゴミに出しちゃいそうだよ。」

「いや、生ゴミは燃えないゴミじゃないの。間違えてるのは分別だから。」



 は小さくぼやいて、神威の肩に頭を預ける。首を支えるのすらも疲れてきたらしい。失血も酷いから、人間の彼女には相当きついのだろう。



「死ぬんじゃないよ。アズマと約束してるんだから。」

「うぅ、わかってるよ。」

「気失ったら、遠慮なく傷えぐるからね。」



 あまりに酷い言葉を心とは裏腹に吐きながらも、が背中で死んでいても困るので、本当に意識を失ったら心を鬼にして傷をえぐろうと決めた。






生き逝く先が地獄でもふたりなら良いかと思った