神威が春雨という宇宙海賊の第七師団で働くようになったのは、の助言があったからだ。




「案外自由に出来るもんなんだネ。」




 今まで神威が特定の機関に属さなかったのは、自由に人殺しが出来なくなると思った。だがのすすめで試しに入ってみたところ、存外自由に出来ることに気づいたのだ。殺しは一緒だし、やることもだいたい一緒なのだが、給料と仕事の入り具合はあっさりとかわった。

 第七師団は元々幼い頃の神威の師だった鳳仙が創設した部隊で、入るのは簡単だったし、適当にうまくやっている。やばいことがあっても、に言ってその通りやれば、だいたいのことは問題なく事が運ぶようになった。



「組織って言うのは基本的に一定のルールさえ守れば自由にさせてくれるもんだよ。」




 はそう言いながら、新型のからくりのキーボードを叩く。

 彼女の息子の東は、宇宙に来てもわかるはずもなく、別にごねることもなく、相変わらず部屋でじっとする日々を過ごしている。今は遊び疲れているのか、ソファーの上で神威があげた兎のぬいぐるみとともに爆睡していた。


「ところで、何やってるの?」

「勉強。」

「次はなんの?」

「監査かな。」



 彼女は神威に目を向けもせず、隣にはノートを置いて、勉強していた。

 神威が第七師団に入ってから、彼女は宇宙海賊・春雨の母艦にある家族たちの居住区で大人しく専業主婦をしていた。もちろん彼女はじっとしていたわけではなく、神威がたまにおこす問題の処理を考えながら、宇宙船の操縦や翻訳の資格などを黙々と取得している

しかも銀河系の政治や習俗、言語にも精通するようになり、もともと医者としての資格ももっていたため、たまにそれを頼りにしての元へと訪れる団員たちもいた。



「そんなに焦らなくて良いヨ。俺は別にたちを追い出したりしない。」



 神威は戯れるように彼女の細い首に腕を回し、後ろから抱きつく。

 勉強に明け暮れるのは悪いことではないと思う。彼女は本気で宇宙で生きていくと決めたのだろう。だが、それが神威から離れるためだというのなら、話は別だ。



「別に焦ってるわけじゃないよ。何かしてないと、落ち着かないだけ」



 は新型のからくりをシャットダウンして首に抱きついてきている神威の頭を軽く叩く。すると彼はから離れた。はくるりと椅子を回し、神威の方を振り返る。



「ある程度取り終わったら、仕事したいんだよね。」

「いったいどんな仕事をしたいの」

「なんでも?選ぶ気は無いよ。東にできる限りのお金を残してあげられる仕事が出来れば。」

「何それ。」



 神威は意味が分からず首を傾げた。

 息子と二人で生きていくために金が欲しい、なら分かるが、東にできる限りのお金を残してやりたいとは、まるで死を間近に感じている人間のようだ。



「んー、やっぱり今回のことで思ったけど、わたしに何かあったときにどうにか出来るように、生命保険とかかけとかないと、不安だなって。」

「どういうこと?」

「わたしに何があるか、これからだってわからないんだし、死ぬ気はないけど、お金だけは残してあげないとね。」



 が地球に帰ることは過去のしがらみを考えれば出来ない。ましてや幕府の指名手配犯だ。

 とはいえ、今の状態では何があるかわからない。もしかすると、他の星にいたとしても地球との関係で捕らえられることがあるかも知れないし、宇宙でこのまま死んでしまう可能性もあるだけだ。お金は所詮道具だと言うけれど、片親である限り、お金ぐらいは残してやらなければならないだろう。

 もしものことを考えれば高額の生命保険を残してやるために、短期間で高収入の仕事を探すべきだし、そのためには資格でもなんでも、とれるものはとって働く気だった。



「俺はがいなくなるのはやだよ。」



 神威は椅子に座っているを見下ろす。

 彼女が子どもを持っているのも、過去に夫がいたことも全く気にならないが、今の彼女がいなくなることは嫌だ。何故かは自分でも分からないが、むずむずするこの感覚は酷く気色が悪い。だから神威は今の自分の気持ちを素直に口に出した。

 は少し驚いた顔をして神威を見上げる。



「もちろん神威といると気楽だし、今もすごく感謝してるけど、やっぱり頼りっぱなしは良くないよ。だらだらぐうたら専業主婦もねぇ、」

「でも離れて自立するくらいなら、だらだらぐうたらしてヨ。」

「普通専業主婦は嫌なもんじゃないんですか。」

「それは俺の甲斐性の問題だろ?だったら俺の給料も上がったことだし、それをアズマに残せば良い。」



 神威に金銭的なこだわりはない。夜兎としての才能に恵まれている神威はただ暴れているだけでもそこそこの成果を持って帰ることが出来るし、かかるのは食費ぐらいだ。第七師団に入った今では高額の給料も得ている。

 別にと東を養うには事足りるし、と自分の二人に生命保険をかけておけば、その掛け金は高額になるが、逆に死んだ時にもらえるお金も莫大なはずだ。が働かなくても問題はない。



「流石にそこまでしてもらうのは、それに、わたしは自分で出来ることはしたいんだよ」

「俺はが仕事のために俺から離れる方が嫌だよ。」

「…なんでそこまでわたしにするの?貸し借りはこの間の件で十分チャラだよ。」



 大怪我をし、死にかけていた神威を、確かには助けた。だが殺されかけていたを助けたのは神威だ。それで貸し借りはチャラ。神威がの息子である東の面倒まで見る必要はない。その価値はにはない。

 だが神威は珍しく眉を寄せて、少し考えるそぶりを見せる。



「なんでだろうね。でも殺しちゃいたいくらい苛々するんだよ。がそういう話をすると。」



 単純でいつも、何に対しても答えをはっきり持っている神威だが、今回は曖昧な返しをする。自分の中でも、考えがまとまっていないのかも知れない。



「苛々するって、言われても。」



 も正直そんな曖昧なもので自立を止められても困る。が神威を見やると、珍しく彼は笑っておらず、じっとその青い瞳でを見下ろしていた。




「どうしたの?」



 逆に心配になって、は立ち上がり、彼の白い頬に手を伸ばす。

 僅かに頬にかかるさらりとしたオレンジ色の髪は、朝日のようだ。しかし彼は太陽光に弱いため、直接朝日にあたることは出来ないのだという。彼が常に持っているその傘は攻撃のためだけではな く、日よけという実用的な意味合いが強い。

 だから代わりに、太陽みたいに明るいオレンジ色の髪を持っているのだろうかとはたまに思う。



「…わかんない。」

「何が?」

「苛々する。」



 神威は自分の頬に触れていたの手を掴んだ。



「珍しいね。神威がはっきりしないの。」

「…だから苛々するんだよ。」



 苦しい。よどみを抱えているような、息が詰まる感覚。胸が痛いわけではないのに、つまって、声を出しにくい。そんな、変な感覚が神威の心を支配していて、どうしたらよいのかわからない。解消の仕方を、神威は初めてで知らない。



「おまえを殺したら、すっきりするのかな。」



 神威は心の中にある思案をそのまま吐き出して、ぐっとの腕を折る勢いで握る。のいつもぼんやりしている漆黒の瞳が丸く開かれ、掴まれた腕が痛かったのか、僅かに表情を歪めたが、すぐに泣いた時の子供を見るような、困ったような顔になった。

 に人を殺す時の、あの鋼のような、鋭い瞳を向けられるのは、想像するだけでぞくぞくする。心がはやるように脈打つ。不快感も解消されて、きっと今まで感じたこともないほど、驚くほど楽しいだろう。

 だが、殺せば、漆黒の瞳はきっと色を失う。



「…」



 思わずそれを想像して眉を寄せる。

 宇宙に来てから一ヶ月。神威が任務に出ている以外の時間、この部屋で何をしていたかというと、神威はの子供の東と遊んだり、とりとめのない話や、困った話をとするだけだった。別にそれが不満というわけではないし、が話を聞いてくれるのは嬉しいし、のご飯はいつでも美味しい。


 だがそれ以上に発展したことはなかった。


 神威は恋愛感情なんてよくわからないし、知りたいとも思っていない。がそれを見せたことはない。ただ男なので、彼女に性的な興奮を感じることは、実際にはよくあった。

 だがそれを表に出して、今がいなくなっても嫌だ。正直故郷を出てきてから初めて、神威は我慢を覚え、思ったことを口にするのをやめた。

 心が、よどんで、留まって、どうすれば良いかわからなくなる。



「神威、痛いよ。」



 は神威の心中を察することもなく、何もわかっていないのか、相変わらず不思議そうに首を傾げながら、神威の手をはがそうとしている。



「握力すごいね。どれくらいあるの?」

「そんな話してないよ。」



 神威はの態度にいろいろやる気が失せて、ため息をつく。

 はなんだかんだいってもマイペースだ。それは神威も一緒で、お互いに全然違う方向を見て歩いている気がする。彼女は少し言葉足らずで神威が聞けば考えていることを話すが、聞かないと何も言わない。神威は何でも思ったこと、考えたことを話す。わからないことは、聞く。

 そうして違うふたりは、ゆっくりと意見や感情を摺り合わせていくのかも知れない。



「ひとまず、仕事の話はしばらく保留にして。」

「しばらくっていつまで?」

「…俺の答えが出るまでだよ。」




 神威は複雑な心境と裏腹ににっこりとに笑ってみせた。は納得したふうはなかったが、それでも軽く首を傾げてから、小さく頷いた。





不明瞭な感情