賢い女がいるという噂になったのは、春雨の母艦にある、第七師団の居住区でのことだった。
「俺の女がシャブ中になっててさぁ、いつもしゃぶしゃぶ言ってるんだよぉ。」
しょんぼりと目じりを下げてぼろぼろ涙をこぼすという情けない表情で、角の生えた天人の男・赤鬼がに言う。は自分と神威の部屋の前に用意した椅子に座って、目の前の床に膝をついて嘆く天人を見て、困ったように目尻を下げた。
宇宙海賊・春雨の団員たちは当然だが、社会から脱落した、まさに社会のくずばかりだ。詐欺、薬物、病気、何でもある。悩みはつきない。
特に第七師団は春雨きっての戦闘員ばかりで、そこにいるのは腕っ節だけでのし上がった猛者ばかり。戦いに関しては非常に才能もあるのだろうが、まともに勉強した人間はおらず、文字も読めないような馬鹿ばかりだ。
当然手続きや書類上で騙されたり、知らないが故の失敗、そして社会の底辺だけある様々な問題がそこにある。
「たたまー、じん。」
の息子の東がくいくいとの薄緑色の袖を引く。の隣に置いてある子供用の椅子に入っている東は黒い瞳でお腹がすいたと訴えていた。目の前の赤鬼にひるみもしない。
宇宙に来たばかりの頃は人型以外の宇宙人たちに目をまん丸にして驚いていたものだが、子供の適応力とはすごいもので、最近では巨大な鎌を持っていようが、鬼の格好をしていようが全く驚かないし、泣きもしない。
「はいはい。人参ね。」
は手元に持っていたタッパーに入っていた温野菜を息子に与える。
最近普通のものも柔らかければ食べられるようになった東は、手づかみながらも野菜などなら器用に食べる。噂にされている嫌々期はまだなようで、素直で扱いやすかった。ただよく動くようになっているため、子供用の椅子に乗せておかないとあちこちに行ってしまう。
はまた東が食べ始めたのを確認して、相談に来ている赤鬼にもう一度目を向ける。
「俺金ないし、弟の彼女もやばくて。」
赤鬼は弟の青鬼と一緒に第七師団に出稼ぎに来ている。腕っ節もよく、字も書けるためかなり重宝されているらしい。だがちょっと賢いと、ちょっと賢い並にまともな方面への願望が捨てきれず、悩みはつきないらしい。
そのため、一度怪我の治療をしてやったのを始まりに、最近よくの元に来ていた。
「麻薬は一度はじめると抜けられないから、厚生施設とか行った方が良いよ。」
「厚生施設?」
「うん。そういう人を助けてくれる施設が博愛星にあるらしいから、」
「マジでか。でも金が。」
「ここにその人を一度連れてきなよ。一応医師の資格はあるから、診断書を出すよ。診断書があれば、無料で入れてくれるそうだよ」
「マジでか!?すぐに連れてくる!」
赤鬼は少し安堵したらしく、ばたばたと走って帰っていく。そんな背中を見送りながら、ふっと小さく息を吐いた。待っていましたとでも言うように、パイプ椅子に座っているの前のコンクリートの廊下に、男が座る。
「次は俺だ、俺は母国に仕送りしているんだが…」
頭に角の生えたまだ若い天人がに悩みを話し出す。がちらりと廊下を見ると、と神威が住んでいる船室の前を先頭に、まだまだ沢山の助言を扇ぎに来た団員が長蛇の列を作っていた。
二週間ほど前、たまたま廊下で倒れていた赤鬼を助け、怪我の治療をした。それからけが人は必ずの所に運び込まれるようになった。一週間前、暇つぶしに隣人である団員の奥方と話した時に、生命保険の手続きについて助言した。次の日から同じ質問にくる団員の家族が増えた。
そんな感じでいつの間にか相談者は日に日に増え、下手をするとほかの師団の居住区からも相談者が来るようになっていた。に相談すれば困りごとは解決する、とまで言われているらしい。
書類の書き方、手続き、言語、生活から星の警察への対策まで内容は様々だったが、ひとまず困りごとを相談に来る。それは助言を必要としていると言うよりは、話を聞いて欲しいというカウンセリングと一緒だったが、そのめんどくさい作業は、に第七師団内のすべての情報を教えてくれた。
「なに人の部屋の前に長蛇の列を作ってるんだヨ。」
神威が帰ってきたのか、軽い足取りでの所までやってくると、列を作っている団員たちをちらりと一瞥し、にっこりと笑う。そして重たそうな傘をぶんっと一度振った。
「早くどかないと殺しちゃうぞ。」
「うわぁーーーー!」
神威の言葉に反応して慌てた様子で列をなしていた全員が逃げ出す。
宇宙海賊春雨・第七師団に入団して1ヶ月。荒くれ者ばかりの第七師団の中でも、神威の気の荒さと強さは既に有名で、他の団員にも恐れられている。こうして追い払われるのはいつものことなのだが、それでもに命がけで相談に来る団員は後を絶たなかった。
誰も相談相手が他にいないのだろう。その事実自体が既に哀れみの対象なのだが、普通の人間がいないので誰もそのことに気づいていない。
「おかえり」
「りー」
が椅子から立ち上がって言うと、東ものまねをして手に持っている人参を振り上げ、一緒に神威を迎える。
「ただいまー。また何やってたの?」
「お悩み相談の会?」
「無料で?馬鹿じゃないの。アズマも馬鹿だと思うよね。」
「ばかー」
「ほら。アズマも馬鹿だって言ってるヨ。」
「…東にいらない言葉ばかり教えないでよ。」
は少し眉を寄せて彼に言う。
最近東は急速に言葉を覚えるようになっており、吸収力は半端ない。変な言葉も良い言葉も、すぐに覚えてしまうのだ。
「おまえもいらないことばっかりするんじゃないよ。」
神威は軽くの額を叩いて、腰に手を当てる。
「ご飯は?」
「食べたけど食べるよ。」
「いや、そうじゃなくて、後ろにつれてる人のご飯、足りないかも。」
は神威の後ろにいる大男を指さして言う。彼の後ろには、黄銅色のもじゃもじゃした髪の男が立っていた。彼も傘を持っていると言うことは、夜兎なのだろう。
毎日恐ろしい量の食事を神威に作っているし、彼のためにある程度ストックは作ってあるが、それも夜兎1.5人分くらいだ。流石に夜兎を二人も養えるような食事は作っていない。の食事をあげたとしても、そんなくらいでは足りないだろう。
「いらないよ。これは空気みたいな物だから。」
「いや、空気にするにはあんまりにサイズが大きいから!!180はあるでしょ!!どう見ても無視できないから。」
「じゃあ削って小さくしようか?」
「なんだとこのスットコドッコイ!」
大男が神威に抗議して叫ぶが、神威はまったく答える気は無いようで、涼しい顔をして視線すら向けない。完全に空気として扱う気らしい。
「さて、入るよ。」
神威は東の首根っこを掴んで持ち上げ、肩車をすると、東が座っていた椅子と、が座っていたパイプ椅子も傘と一緒に持ち上げて部屋の中に入っていく。
は所在なさげに立っている大男を見て、振り返った。
「入ります?貴方、夜兎の阿伏兎さんですよね。」
「え、なんで知ってるんだ?」
「聞いたことがあるから。」
「神威からか?」
「まさか、神威は人の名前を覚えるの苦手ですから。相談者からですよ。歴戦の英雄で、次の団長は貴方だという噂ですよね。」
阿伏兎は少し驚いて自分より年下の女を見下ろす。
彼女の身長はそれほど高くはない。漆黒の瞳は大きく、目鼻立ちは小作りでそつなく整っているが絶世の美女というわけではない。まだぎりぎり10代といった見た目で、胸もそれほど大きくなさそうだ。印象的なのはその天然パーマの銀色の髪だけ。それを緋色の紐で一つに束ねている。
地球の民族衣装である薄緑色の着物に、紺色のスカートのようなものをはいている。腰には刀が一本ささっているが、一見しても、それが使えそうなタイプには見えない。かなり華奢だ。
ただ見た目が厳つい阿伏兎を、恐れる風もなかった。漆黒の瞳は驚くほど落ち着いている。
「あの神威がどんな女を飼ってるのか興味があったから来て見たが、こりゃこりゃとんだ女狐だ。」
「女狐?あの自己中を止められる女狐にならなりたいけど。」
はさらりと答えて見せた。
比較的は策略を練って他人を思い通りに操ることも出来る方だ。策を弄するのも、最近は結構好きだ。しかし、神威はの思い通りには動かない。単純で自分の心に素直に生きている神威は読みやすいはずなのに、突然斜め上の行動に出ることが多い。
そして単純なくせに、自分の興味のために自分の信念をころりと曲げたりする。
「それに貴方が思ってるような関係じゃないよ。わたしはただの家政婦みたいな物だよ。」
「は?おまえさん、神威の女じゃないのか。」
「違うよ。そんな関係になったことは一度もないし。ただ気に入られてるだけ。」
がここに来てから早1ヶ月だが、神威に抱かれたことは一度もない。10代半ばと言えば馬鹿な兄どもも青臭いエロ本のエピソードの一つや二つや三つあったものだが、そういう所も見たことがない。好きだと言われたことも、全くないので、そもそもそういう対象ではないのだろう。
それにほっとしているというのも本当だ。にも子供がいるし、資格をとろうと勉強してばかりいたから、そんなことを考えたこともなかった。
「ま、俺が口を出す義理はないけどな。」
阿伏兎は肩を竦めて苦笑する。その含みを持った笑いの意味がには分からず首を傾げたが、横から飛んできた傘を見て目を丸くした。
「ー、なに空気と話してるのさ。俺のご飯は?」
びよよーんと、傘が壁に突き刺さっている。どうやら本気で阿伏兎を狙ったらしく、隣に立っていたはずの彼は尻餅をついて何とか避けていた。
「おいぃいい!今の完璧に殺す気だっただろ!!」
阿伏兎はひょこっと扉から顔を覗かせている神威に怒鳴るが、神威の目は完璧にしか見ていない。徹底して神威は彼を空気として扱う気らしい。
「俺お腹すいたって言ってるだろ。アズマ食べちゃうよ。あ、間違えた。アズマの食べちゃうよ。」
「東のご飯って、まだ柔らかい温野菜とかだよ。それも味なんてほとんどないけど。」
「そんなのどうでも良いヨ。お腹すいた。」
「…」
は仕方なく、阿伏兎をちらりと見てから困ったような顔をして部屋に入っていく。神威はまだ尻餅をついたまま廊下にいる阿伏兎を見ることなく、が開け放っていた扉を遠慮もなく閉めた。
振り回されるおじさんの予兆