どこでいったい恨みを買ったのか、さっぱり分からなかった。

 正直この第七師団でやっていたことと言ったらただ単にお悩み相談をしたくらいで、自分にとっては情報収集も兼ねていたわけだが、まだ誰かをはめたこともなければ、恨みを買うようなことをした記憶もない。

 なのに、なんで自分がこんなところに連れてこられたのか、はっきりしなかった。



!」



 全速力で走ってきたのか、神威が酷く慌てたような表情で扉を破ってポート内に入ってきたと思ったら、その青色の瞳を瞬いてきょとんとする。



「あれ?神威?どうしたの?お腹でもすいた?」



 は珍しく焦りが見える神威に、いつも通り声をかける。



「…な、何やってるの、」

「なんか襲われかけたから。」



 刀の血を払ってから、まだついている血を近くの転がっている天人の服で拭き、それから鞘へとしまう。

 せっかくの薄い黄緑色の着物は襟元まで血まみれで気持ちが悪いが、フード付きの羽織も持ってくるだけの時間はなく、人数も多かったので着物の汚れを構う余裕はなかった。歩を進めれば、べちゃっと床に広がった血か肉片を踏んでしまい、顔を顰める。

 しかしよけて歩けるほど、綺麗な床は残っていない。



「いや、なんかわたしを捕まえようとしてたみたいで。東がいたから捕まってあげたんだけど、なんかびっくりして斬り殺しちゃった。」



 がここに転がっている天人たちに面を貸して欲しいと言われた時、息子の東と一緒にいたためも応戦することが出来なかった。だから仕方なく彼らに刀を持ったままついて行き、東が神威を呼び出すために食堂に行かされたのを確認して、行動に出たのだ。

 人数は多かったが、をただの女だと思っていた天人たちをねじ伏せるのは簡単だった。



「わたしなんか捕まえて、何したかったんだろうね。」




 は心底不思議そうに、もう死体寸前の天人の前にしゃがみ込み、ちょんちょんとつつく。



「ちっくしょ、」



 虫の息ながらも戦闘集団、傭兵だけあってしぶとい。彼は憎しみと、女に負けたという悔しさのあまり、に呪詛のような言葉を呟いたが、そんな物にへこたれるでもない。



「ねー、なんのためにわたしを攫おうとしたの?」

「…っ、」

「死んじゃった?手加減し間違ったかな。人数多すぎたからね」



 は小さくため息をついて、立ち上がる。

 肉体労働は基本的に嫌いだが、今回ばかりは背に腹は替えられないし、強姦されかけたから思わず殺してしまったし、手加減も出来なかった。本当は理由を聞くために一人二人は生かして残しておきたかったが、そんな余裕はなかった。




「ひとりやふたり、隠れてる天人がいてもおかしくないんだけどなぁ。」




 人数が多かったため、のすさまじさを見て隠れた天人は絶対にいたはずだ。は得意の居合いで隣にあった格納庫の扉を切り裂く。だがそこには隠れていないようで、誰もいない。は壁を叩いたりしながら、空間がどこにあるのかを探す。



「姉御!大丈夫っす………ね…」



 入り口のところで呆然としている神威の隣に走ってやってきた他の団員たちは各々を助けようと手に武器を持っていたが、同じように目の前に広がる光景に硬直した。

 血まみれの天人たちの死体と、血まみれのまままっすぐいつもの澄ました顔で隠れた天人を探している、がいる。



「あれ?みんな揃ってどうしたの?やだ…こんな血だらけの格好で恥ずかしい。」



 真っ赤に染まった着物が恥ずかしいのか、慰め程度に埃を払うそぶりを見せて、いつも通りの仕草でゆるく小首を傾げる。



「いや、助けに、ってか、え?そんなのあり?」




 団員たちも出鼻を挫かれたようで、言葉を失っていた。



「…、」



 神威はショックから立ち直ったのか、彼女の名前を呼ぶ。



「ん?」



 は相変わらず残党を探しながら、神威に返事をする。

 団員たちは、に切り裂かれ、あっさりがらがらと崩れ落ちる壁や格納庫を見ながら、いたたまれないこの場で、この事態がどのような顛末を迎えるのかを見守ることしか出来ない。



「なんでおまえってこんなに俺を苛々させるんだろうね。」

「え?なんで?わたしなんかしたっけ?」

「何勝手に攫われてるんだよ。」

「神威、その言葉には大きな語弊があるよ。攫われたんじゃなくてついて行っただけだよ。」



 は少しむっとして見せ、腰に手を当てて神威の方を振り返る。

 どうやら神威の攫われた発言はにとっては至極心外だったらしい。彼女としてはついて行ったという認識のようだ。だが、彼女が振り返った途端に隙が出来たと思ったのだろう。壊れた格納庫にいた天人が、に襲いかかった。



「死ね!」




 巨大な鬼のような形相の天人の大きな斧がに向けて振り下ろされる。は一瞬漆黒の瞳を丸くしたが、銀色の一つにまとめた癖毛を揺らして、柔らかに笑って見せる。大斧がコンクリートに突き刺さり、轟音とともに酷い土煙が舞う。



「吹っ飛んだか。」



 鬼が残酷な笑みを浮かべ、彼女の残骸を確認するために、大斧を持ち上げようとして、自分の手がないことに気づいたようだ。



「大きいだけで遅いなぁ。」



 は漆黒の瞳がゆったりと細め、血の滴る刀を構える。



「うぁああああああああああああ、命だけはっ、」



 鬼は腕を庇ってばたばたと地面を這い、から僅かでも離れようと既に息絶えた天人たちを押しのけて逃げようとする。大きな鬼の天人がのように小柄な女に頭を下げて許しを請う姿は、どこまでも滑稽だ。



「大丈夫、殺したりはしないから。」



 先ほどは余裕がなくて皆殺しにしてしまったが、誰が自分を攫いたかったのか、どこに連れて行きたかったのか知りたかったので、は腕を落とすだけですませたのだ。



「「ド、ドSだ…」」



 呆然とした面持ちで見ていた団員たちが一斉に声をそろえて呟き、彼女にだけは絶対に逆らわないと心に誓う。

 今までただ相談に乗ってくれる賢くて、物知りで親切な女というに対するイメージは、一瞬にして書き換えられる。頭が良いだけの女ではない。まさかしとやかな才女と思っていたが腕っ節で勝負してくるとは、想像もしなかったため、凍り付く。



「なんでこんでこんなことしたのかなぁ?」



 はにこにこ笑って、刀を構えたまま尋ねる。



「いや、あの、貴方に恨みはなくて、俺はただ、神威が調子に乗ってる…なぁって。幽玄団長も、あの、そう、言ってたし、だから・・なぁ、」



 鬼はでかい体をできる限り小さくさせて、歯切れの悪い返事を返した。



「え、わたしと関係ないじゃない。」

「いや、だって貴方、神威の、女、ですよね…」

「違うけど。神威、神威のお客さんらしいよ。面倒ごとは自分で片付けてよ。」



 は鬼にあっさりと返して、神威を振り返る。 


「…本当にって、俺を苛々させる天才だよね。」

「わたし、何もしてないよ?」

「わかった。わかったヨ。だから俺を苛々させたのは、そこの鬼なわけだよね。」



 神威は全然納得出来なかったが、はもう鬼から興味を失ったのか、もう殺す気すらも無く、その辺の布きれで刀の刃を拭き、黒塗りの鞘へとおさめている。

 神威としては苛々するが、は合理性でしか動かない。自分に用もなく、必要性もないとわかれば、とどめなど刺さないだろう。何を言っても無駄だ。

 団員たちは全員呆然とした面持ちで見ている。彼らはを助けるために武器を持ってここまでやってきた。なぜだか分からないが、関係ないを助けてやろうと思う程度に、団員たちはを気に入っているらしい。


 ならば、神威はこれからの苛々と面倒ごとを避けるためにも、選ぶ道は一つだ。


 神威は軽やかに天人の死体を飛び越え、鬼の方へと歩み寄る。鬼はがたがたと震えて神威の方を見ていた。神威に直接手を出さず、を攫った理由は間違いなく、神威と直接やり合っても勝てないと分かっていたからだ。

 そんな最初から逃げ腰の奴など、面白くない。生かす価値もない。



「俺のものに手を出そうとしたわけだからね。」



 神威はなんの躊躇いもなく自分の傘を振り上げる。泣きそうな顔で鬼は神威の顔を見たが、それがますます神威の心を萎えさせた。

 なら少なくとも最後の瞬間まで神威に抵抗してみせるだろう。 



「死ね。」



 傘を振り下ろせば、先ほどの大斧を振り下ろした時とは比べものにならないほどの轟音が響き渡り、鬼の体が吹っ飛ぶ。ばしゃっと散った血肉を受けながらも、神威にはなんの憐憫もないし、惜しいとすらも思えない。

 神威はくるりと銀髪の女を振り返る。



「東迎えに行く前に、着替えなきゃね。」



 は自分の着物の汚れの方が気になるのか、袖についた肉片を払っていた。

 そこにいるのはもう、どこにでもいる、ちょっと可愛い程度の華奢な体躯の女だ。賢くて穏やかでお人好しで、弱そうにしか見えない。彼女が攫われたと聞いて、神威が柄にもなく焦ったことをは全く知らない。だから神威も知らないふりをする。

 それでも、もう答えは決まっていた。


その感情につける名前はいらないけれど、