天人たちを皆殺しにして体力を使っていたし、その上情事も久しぶりで疲れていたは夢すらも見ないほどにぐっすりと眠っていたが、夜には話し声で目を覚ました。


「おまえさんら、餓鬼を俺において行くんじゃねぇ!!」

「あははは、良い経験になっただろ?」

「だろ?じゃねぇ!!こっちは離乳食やら大変だったんだぞ!!!」



 どうやら息子の東を神威は阿伏兎に預けていたらしい。彼は第七師団の中でも次期団長と言われるほどの実力者で、神威に愛想を尽かさないくらいに面倒見のよい人物だから、東のこともちゃんと面倒を見てくれていたことだろう。
 はひとまず襦袢を身に纏い、首元の後を隠すようにフード付きの羽織を着て、痛む体を引きずりながら、扉の方へと歩いて行く。



。まだ寝ておきなよ。」




 が起きてきたのを見て、神威はくるりと振り向いてに言う。



「うぅん。阿伏兎さんにお礼を言わないと。ありがとう。」



 は言って、阿伏兎の腕から東を抱き取る。息子を抱えた腕に鈍い痛みを感じたのは、久しぶりの行為で変なところの筋を伸ばしたからだろう。

 東は漆黒の瞳でじぃっとこちらを見ていたが、すぐに「むいー」と神威を呼んだ。東はなぜだか知らないが、存外神威が好きで、特に彼のオレンジ色のお下げを触るのが好きだ。神威も何故か東に対してだけは面倒見が良い。



「アズマ、ひとりで第七師団の食堂まで来たんだよ。」



 神威はを労るように軽く頬を手の甲で撫でてから、軽く東の頭を撫でながら言う。風呂まで入れてもらったのか、東の漆黒の髪はなんだかさらさらしていた。



「食堂なんて知らないはずだけどな。」



 は小首を傾げる。

 結局、今回の一件を総括すると、第七師団の団員の一部が神威を嫌っており、神威が連れてきた女だったを捕らえれば彼を呼び出せるだろうと思ったらしい。は何も知らず、やばい男たちが自分を迎えに来たため、東が近くにいたこともあって、息子に手を出さないという条件の下で大人しくついて行ったのだ。

 どうやら東は脅迫文を渡されて、神威の元に向かわされたらしい。

 ただ、まだ今年で2歳になる東に神威を探す能力なんて、ましてや行ったことのない第七師団の食堂まで行けるはずもないのだから、に相談に来ていた団員たちが、東の顔を知っていて連れて行ったのだろう。



「まぁでも、無事で良かった。」



 は少し眠たそうな息子を軽く揺すりながら笑う。もう夜だから、廊下に人通りはないし、子供は寝る時間だ。




「それにしてもおまえさん、随分強いんだな。団員の間では持ちきりだぞ。」




 が襲ってきた天人を返り討ちにしたという話は、第七師団内であっという間に広まっている。というかその話題しかないほどだった。もともとは皆の相談を受けていたため、の顔を知らないものがいなかったことも、話が広がった一因だ。



「こりゃ幽玄団長に呼び出されるのも近いぞォ」



 阿伏兎が言うと、はあからさまに眉を寄せた。

 第七師団の団長、幽玄は夜兎であるし強いが、情のないろくでなしだ。それ故に団員たちの不満もたまっている。例えば第七師団は戦闘部隊にもかかわらず、母艦は愚か、居住区にすらも医療部隊は存在せず、怪我をした団員は置いて行かれる。

 殺しや争いも日常茶飯事で、それを幽玄自身も許していたし、部下たちを思いやる気もないようで、衛生状態や囮作戦も横行しているようだった。


 そのため、に団員たちの相談が集中するし、怪我をした場合医師免許を持つの元に連れてこざるを得ないのだ。

 そんな中で、幽玄がに興味を持つのは、相談という形で様々な団員たちの心に関わっており、団員たちがを頼りにしているからだろう。自分が目立っていることは承知で、だからこそ、は神威から離れて職を探そうとしていたのだ。



「…困ったな。」



 は口元に手を当ててそう言ってから、神威の整った横顔を見上げた。

 彼はを手放す気は基本的にないのだろう。彼が行為の最中に口にした“俺のだ”というのが、彼としては最大限の意志表示だと、はわかっていた。彼は苛々すると言っていたが、多分迷っていたのだ。だが、もう答えが出たのなら、それを行動規範として行動するだろう。

 もそれに沿う形で動かなければならない。

 とはいえ彼が転職するのは難しそうだし、は働いていないので、二人揃って一文無しだ。それは困る。かといってとどまっていると幽玄に目をつけられて大変なことになるかも知れない。生憎今のが第七師団で出来ることはたかが知れている。

 人望は勝手に集まったが、幽玄を倒せるほどの実力がにあるとは思えない。ある意味で八方ふさがりだ。



「のっとりは、わたしの力じゃ難しいし。」



 なんぼ団員の不満がたまっていて、の腕っ節が強いとは言え、女のに味方をする人間は少ないだろう。ましてや、今回の件でがそこそこ強いのは分かっただろうが、それはあくまで烏合の衆を相手にする場合だけで、また手練れとなればやはり明暗が分かれる。

 こんな短期間の用意で、夜兎を殺そうなどとは無謀だし、そんな計画性のない策に命を賭けるような馬鹿な話はない。



「幽玄って強いよね。」



 思案を巡らすに、神威がにこにこ楽しそうに笑って、を振り返る。



「殺りたいなぁ。」



 底冷えするような無邪気で低い声音が響いて、阿伏兎ですらも顔色を変えた。




「おいおいおい、そんなことは部屋の中で言えよ、スットコドッコイ」



 阿伏兎はそう言って、と神威に部屋の中に入るように促す。廊下に人がいないとは言え、あまりに浅慮だ。二人も流石に納得してか、阿伏兎も含めて部屋の中に入れた。

 それは下克上、要するに反逆という奴だ。失敗すれば協力した団員も含めて処刑は免れないし、仮に逃げ切れたとしても、間違いなく宇宙海賊・春雨に一生狙われることになるだろう。宇宙でもどこでも、生きていける場所はなくなることになる。



「まぁでも、神威だったら団長になる資格がないわけじゃないよ。」



 は東を腕に抱いたまま、少し考えてから、一つ納得したように頷く。

 神威は前の団長である鳳仙の弟子なので、資格は十分にある。もちろんそれは幽玄を殺せたらという話だが、よりは望みがあるだろう。神威の強さは誰もが知るところなので、ついてくる団員も多い。の人望も生かすことが出来る。




「俺、あいつを殺したくてうずうずしてたんだよね。」

「それも良いかもなぁ。っていうか神威が団長になってくれたらわたしもここで働けそうだし、」

「おいおい、おまえさんら、マジでやる気かよ。」




 阿伏兎はあっさりとした口調で話し合う二人に、口の端を引きつらせる。

 と神威の話は全くと言って良いほど咬み合っていない。神威は団長の幽玄が強いため、戦って殺したいと言う願望の元に動いている。もちろん幽玄を殺さなければが離れていくというのもあるだろうが、ベクトルは完全に幽玄を殺すことだ。

 それに対しては、自分の生活のために幽玄から逃げるか、彼を倒すかを冷静に考えている。



「ねぇ、どうにか出来ないの?おまえ賢いだろ?お膳立てしてよ。邪魔が入らないように。」



 神威としては真剣勝負を雑魚に邪魔されたくはないと言うことなのだ。



「…難しくはないけど…多分神威だったら団員もついて行くような気がするし、」




 は少し悩むようなそぶりを見せたが、うとうとしている東の背中をぽんぽんと叩いた。



「ちょっと考えるね。」

「やったね、楽しみだ。」




 神威は屈託なく、楽しそうに笑う。

 その笑みは殺意で満たされていて、不穏な空気を感じてか、東は母親であるの首に腕を回して縋り付く。は別に神威の表情を恐れることもなく涼しい顔で子どもの背中を撫でてから、神威と視線を交わし、後ろへと下がった。


「で、彼はどうするの?」

「あぁ、そうだったね。」




 神威はに言われて、楽しそうに阿伏兎に目を向ける。は別に焦る様子もなく、子供を後ろの部屋へと入れる。



「さぁて、阿伏兎、おまえはどうする?答えによっては、殺しちゃうぞ。」



 神威はどちらに転んでも良いとでも言うように、傘を構えて本気で殺意を阿伏兎に向ける。も壁に立てかけてあった刀をとって、それを構えた。

 神威が団長を目指すのであれば、障壁は二つある。現団長である幽玄と、師団の中でも人望があり、次期団長に目されている阿伏兎。二人を同時に相手をするのは、と神威にとって得策ではない。だからこそ、は最初から各個撃破する予定だったのだ。



「…とんだ女狐と、戦闘狂じゃねぇか。」



 阿伏兎は汗をたらりと流して、ふたりを見る。

 その時の気分で話しているかと思いきや、ある程度考えていたのだろう。だからこそ、阿伏兎を部屋の中へとあっさりと招き入れた。今まで神威とが阿伏兎を部屋に招き入れたことなど、一度もなかったというのに。

 このふたりが、容赦などないことは、阿伏兎も知るところだ。ふたりが阿伏兎がいるのに話し続けたのは、どちらにつくかを見極めたかったのだ。



「優秀な若者がいて、大層結構な事じゃねぇか。」



 阿伏兎は大きなため息をついて持っていた傘をたちの方に放り出し、敵意がないことを示す。




「もう完成された、3,40代の良い年超えたおじさんより、若者に賭けようかね。おじさんは。」



 単純で戦いのことしか考えておらず、夜兎としての本能にも才能にも溢れている神威と、本来なら弱い地球人であるのに腕っ節が強く、適当そうなのに聡明で豊富な知識を持っている

 正反対とも言える二人は、不確定ながら強固に繋がり、互いを尊重し合いながらも、二人全く異なる、普通では考えられないような理由で上を求めている。



「どうせついて行くなら、馬鹿どもの方が良いさ。」



 阿伏兎はにっと笑って、将来性ある若者を見やる。



「そう。」



 神威は酷く残念そうな顔で嘆息したが、は目じりを下げて阿伏兎に笑った。





自己中同志の下克上