はじっと神威の胸に出来ている粒状の赤い発疹を見て、眉を寄せる。
「こんなの軽い方ですよ。全身に発疹みたいなのが出来てる人がいます。」
隣にいた医師は他にも症例を見たのか、困惑した表情で言った。
最近第七師団内で伝染病が流行っているため、何が媒介になっているのかと医者と話し合っていたのだ。は医者としての資格も持っている。その上一応会計役と言うだけでなく第七師団内の調整役も担っているため、伝染病が流行れば報告が来る。
団長である神威にはどうしようもない問題の上、天人だけに羅漢するようでにも、神威と暮らしており、抵抗力の一番低いはずの息子の東にも何もない。
だが、頼みの第七師団で雇った医者・業円にはその病気が何なのか分からないらしい。
「…これ、発疹チフスの一種じゃない?」
は似たような病気を、攘夷戦争で診たことがあった。
寒い地域でシラミを媒介して広がるチフスの一種で、衛生状態が悪い時にはあっという間に広がり、多くの人が亡くなった。
「ちょっと調べてみるけど重篤者にはひとまずテトラサイクリンとドキシサイクリンをすぐに投与して。」
は淡々とした声音で業円に命じた。
既にかなり重篤な団員もおり、が調べ終わるのを待っている間に死にそうだ。どうせ駄目なのなら、ダメ元で薬を投与してみるしかなかった。
「神威は熱とかないの?」
「俺風邪引いたことないからわかんないや。」
「…馬鹿は風邪引かないって奴?」
「殺しちゃうぞ。」
「ひとまず体温計で熱計ってみて。」
は言ってから、近くにあった端末を叩いて調べていく。神威は服を着てから、退屈そうに足をふらふらさせた。
その間に医師の業円がばたばたと重篤者に処置をするべくかけずり回っている。
「なぁ俺、なんか頭がふわふらする〜って何やってんの?おまえさん。」
だるそうに頭を押さえながらやってきた阿伏兎が医務室に縁がないはずの神威を見て、首を傾げる。
「あぁ、が風邪でも引いたのか?」
「わたしはぴんぴんとしてるよ。」
「はぁ?なら何か?アズマか?そりゃてぇへんだ。」
「違うって。東もぴんぴんとしてるよ。」
「じゃあなんだ?給料の話し合いか?」
「誰がどこに座ってるかちゃんと見た方が良いよ。阿伏兎。」
は端末を叩きながら気のない対応をする。
阿伏兎はやはり神威と同じ病状で発疹があるらしく、かりかりと腕をかゆそうに掻きながら、「ん?」と神威を見やる。神威が座っているのは診察台だ。
「…で?」
「それが現実だよ。神威も貴方と一緒なの。伝染病なんですよ。」
「…団長がかぜぇ?」
「阿伏兎、殺して良い?」
「一般的に馬鹿は風邪ひかねぇっていうじゃねぇか!どういうことだよ!!」
「その言葉をわたしはそっくりそのまま阿伏兎にも返したいよ。算術も出来ないくせに。」
基本的に第七師団は春雨の精鋭だと言われている。確かにその通りで腕っ節は強いが、あほばっかりで文字が読めないし、体が強いことだけが取り柄の奴らばかりだ。算術など遠く及ばない話で、根本的に文字が読めない。
そんな馬鹿ばかりの団員なのだから、その言われ通りに見れば全員風邪を引かないことになる。
ただ現在の所団員のほぼ6割が伝染病に羅漢している状態で、その常識は通じていないし、この第七師団で一番のIQを有しているが風邪を引かないのが説明できない。
「そぉか、ってことは、馬鹿だけが引く風邪って奴かねぇ、ったく。」
「阿伏兎。それ自分で言ってて切なくならない?」
阿伏兎の言い方に神威が笑顔で答える。とうの阿伏兎はかりかりと頭を掻いてから、大きなため息をついた。
相当しんどいらしい。
そう思っては端末から目を離して阿伏兎を見たが、彼が頭を掻いたと同時にぱらぱらと落ちた何かを見逃しはしなかった。
「…ひぃっ、」
は悲鳴を上げて部屋の端に飛び退く。
「どうしたの?」
神威は突然席を立ったに首を傾げて、阿伏兎から落ちた何かを見る。それは最初米粒より小さな埃かふけのように見えていたが、一瞬それが動いたような気がした。
「何これ。」
神威はしゃがみ込み、それをよく見据えて気づく。
「シラミ?」
「あぁ、最近多いんだよな。」
阿伏兎はさも当たり前のように言って、かりかりとまた自分の頭を掻いた。そのせいかそれがまたばらばらと落ちる。
「神威!ひとまず風呂!!お風呂入りに行こう!!シラミは駄目、そいつが病気媒介してるよ絶対!!」
は叫んで慌てて神威を阿伏兎から遠ざける。
宇宙チフスも発疹チフスと同じで、シラミやだにが媒介するのだろう。最近シラミが多いのも納得出来るというものだ。
「ダス○ン呼ばなくちゃ。虫の駆除しなくちゃ。ついでに阿伏兎も駆除しなくちゃ。」
「なんだよぉ。人を汚物みたいに。」
「今は間違いなく汚物だから。むしろ病原菌媒介している物体だからね。」
阿伏兎が口を尖らせて悪態をつくが、ははっきりと言って慌てて神威を近場の風呂へと引っ張って行った。
阿伏兎媒介発疹チフス
(阿伏兎の)シラミが媒介した宇宙発疹チフスは一応チフスと同じテトラサイクリンとドキシサイクリンを投与すれば良いらしく、一応一週間ほど熱は続くが後は快方に向かう事となった。
ちなみに幸いなことに地球人にはかからない病気らしい。
とはいえ、団員の7割が羅漢しているため医務室は既に一杯、おかげで軽症の神威は部屋で療養と言うことになった。
「むい、よちよち、」
のまねをして、の息子の東が神威の額の冷えピタを変えてそれをぺたぺたと撫でる。
軽症だった神威だが、熱だけは一気に上がった。おそらく体力があるから、体が一気に熱を上げてウィルスを駆逐してしまおうとしているのだろう。
「なんか頭が殴られた時みたいなんだけど」
「それを頭が痛いって言うんだよ、神威。風邪引いたことないの?」
はせっせとおかゆの用意をしながら、ベッドにいる神威に言う。
一応第七師団の船室にはそれぞれキッチンがついている部屋がいくつかある。一応食堂があるし、男ばかりの第七師団で料理をする希少な人間なんてほとんどいない。団員の家族は大抵春雨の母艦にある居住区内に住んでいるのが一般的なので、キッチンのある部屋の希望者はほとんどいない。
おかげで神威が希望すればあっさり通った。しかも元は家族用に作られた船室なのか、部屋も三つ連なっている。
キッチンは扉を開けばすぐに寝室に続いている。ベッドはダブルベッドのため大きい。一応隣に子ども部屋もあるが、東も含めて三人で寝ることが多かった。
「全く覚えてないや。母親は体が弱かったんだけどね。」
神楽を産んでから、母は体調を崩してばかりだった気がする。
風邪を引いたことも結構あったのかも知れないが、忙しい父親とまだ幼い妹、病の母親を抱えていれば自分の体調などに手は回らなかった。体調が悪くても、いつの間にか寝ていれば治っていて、気づかなかったのかも知れない。
神威はエプロンをして料理をしているの後ろ姿を見ながら、ふと思う。
「も結構体強いよね。」
彼女が風邪を引いたところを、ここ数年一緒にいるがまだ見たことがない。
彼女が東を産んですぐも、資金援助こそあっただろうが、攘夷戦争の指名手配犯の一人として逃げ回っていたはずだ。医師にかかることなど出来なかっただろう。
出産が終わった後はよく体調を崩す物だろう。それでも何もなかったのは間違いなく自身が医師としての資格を持っていることと、本人も体が強かったからだ。
「女は男より強いらしいよ。」
「とか言いつつ、の血を継いでる東も子どものくせに滅多に風邪なんて引かないじゃないか。」
子どもは外に出だすと風邪を貰ってくると言うが、3歳になり第七師団を闊歩していても東はあまり病気を貰ってこない。
「でも本当に良かったよ。宇宙発疹チフスが地球人にかからなくて。」
巨大な鍋をは持って、神威のベッドの傍まで歩み寄る。
小さな椀に自分の分と、東の分を取り分けてから、鍋をそのまま神威に渡した。神威はそれを受け取り、膝の上に鍋敷きごと置いて、のぞき込む。
「熱いから気をつけてね。」
「うん。」
神威はそれをお玉で掬って食する。
「うまいね。」
「そう?何も入ってないのは美味しくないからだし味の卵がゆにしてみたんだけど。」
「うまーーーー」
東もスプーンで粥を掬いながら手を上げて言った。どうやら熱い物も上手に一人で食べられるようになったらしい。
「それにしてもシラミなんて…先月ダス○ンしたのになぁ。」
は自分も粥をすすりながらぼやく。
神威が団長になって、が基本的な第七師団の予算を預かるようになってから、衛生面にもかなり気をつけていて、団員の健康診断を初め、定期的な清掃などにも気を使っている。
それでなくとも男所帯だ。汚いのは仕方がない。
だからダス○ンも3ヶ月に一回して、虫なども駆除していたはずなのに、まさかシラミが大発生するとは思わなかった。
神威が軽症で済んだのは彼の持ち前の体力か、もしくはの部屋が綺麗だったからだろうと思うが、まぁ大量のシラミを自分の体で飼っていた阿伏兎と一緒にいては同じだ。
「シラミ検査も健康診断にいれようかな。神威もまさかシラミ飼ってないよね。」
は鮮やかな色合いの神威のこめかみを掻き上げる。幸いなことにそこにシラミは見あたらないようだった。
「阿伏兎のあのもじゃもじゃも頭をむしらないとね。」
「触っちゃ駄目だよ。汚いから。」
「って阿伏兎に存外きついよネ。」
「初対面で女狐とか言われたからね。そりゃ良いイメージないでしょ。」
「あははは。阿伏兎って本当に失言が多いよね。」
神威は何が面白かったのかばんばんと枕を叩いて、またお玉で粥を掬う。どうやら大分冷めてきたらしい。
「ひとまず熱が下がるまでは大人しく寝てるんだよ。」
は軽く頭を傾けて笑う。心配してくれるを見ながら、神威はたまに風邪を引くのも良いかなと思った。
風邪っぴき兎
宇宙発疹チフスから神威はあっさり1日で回復した。
「うん。もう熱も下がったね。」
は体温計を見て、ほっと息を吐く。発疹の方も元々それ程酷くはなかったので、痕も残らないだろう。
「心配したけど、今日はゆっくりしてなね。」
「えーーーー」
「えーじゃない。念のためね。」
退屈している神威を宥めて、は笑って朝ご飯を神威の前に置いた。
昨日は40度の熱があって驚いたが、やはり体力があるので体が高熱で一気に菌を駆逐してしまおうとしていたのだ。一応大丈夫だろうが、今日は安静だ。
「そういえば他の団員たちはどうなったの?」
昨日はさすがの神威もぐったりなため、1日布団の中だった。神威が尋ねるとは困ったような顔をした。
「医務室は一杯。全体で羅漢者は7割で重篤者が一割ってとこかな。」
先ほど報告を受けたところだと、死者が一人出たことと、相変わらず多くが今も医務室に勤務しているような状態だそうだ。今敵に襲ってこられればひとたまりもないだろう。
元老からの任務が入っていないことが幸いだ。
「あ、ちなみに阿伏兎が結構重篤らしいんだよね。」
「シラミまで持ってたくらいだからね。」
発疹チフスの媒介は基本的にシラミだったようなので、髪の毛にシラミを飼っていた阿伏兎は重篤で当然だろう。自然の摂理だ。
「アズマも風邪に注意しないといけないヨ」
ベッドの傍で折り紙を折っている東の頭を撫でて、神威は言う。
風邪を引いたのが屈強な団員ばかりで、偶然宇宙発疹チフスが地球人にかからない病気だったからいいが、これが地球人にも羅漢する物だったら小さな子どもの東はひとたまりもない。
「ん、」
分かっているのか、いないのか、東は気のない返事をして、折り紙を折り続けている。
「さっき阿伏兎の所にお見舞いに行ってたから、まさかシラミ貰ってきてないよね。」
は心配になったのか、東の漆黒の髪の毛をかき分ける。
「シラミって白いから、東の髪の毛だったらわかりやすいんじゃない?」
「うん。いなさそうだ。」
「毎日ちゃんと髪の毛洗ってるからね。」
普通はシラミなんてつかない物だろう。神威もほとんど見たことがない。ただ、男所帯の中ではと同居している神威の部屋は至極綺麗な方で、他の団員の部屋は恐るべき衛生状況だった。神威もきっとその一部なのだろう。
「っていうか、手洗いとうがいはしたの?」
神威は僅かに眉を寄せて、東に言う。
阿伏兎に会いに言ったのならば、外に出てきたのだろう。ならばこの状況なのだし、一応手洗いうがいぐらいするべきだ。それに子供の時からそういう習慣をつけておくことは重要だ。
「うぅん。」
折り紙を折りながら、東は横に首を振る。
「やっておいで。」
「えー。」
「えーじゃない。早くしないと殺しちゃうぞ。」
神威は嫌がる東の背中を叩いてせかした。東も渋々だが立ち上がり、洗面台へと走っていく。
「神威細かいね。」
「、ちゃんと言わなきゃ駄目だよ。」
「うーん。気をつけるようにするよ。」
は気のない返事をして、神威のベッドの上に座る。
「神威の方が親みたいだよね。」
「そう?」
「日頃は構わないくせにくちうるさい。」
「酷い言い方だよね。がアズマの親だろ?きちんと言いなよ。」
「って言われてもなぁ。」
正直には親というものがよく分からない。
義父はいたし、確かに彼はのことを大切にしてくれていたが、基本的に放任主義だったし、養女という気兼ねからか深く踏み込んでこようとはしなかった。たまに愛情を疑うことすらあった。
もちろん、今は彼の愛情を疑ってはいない。彼は自分たちの素性を吐くことなく、処刑されたのだから。深く自分たちのことを愛してくれていたけれど、その愛情は触れるのを恐れるような、それでいて真綿にくるむようなものだった。
なのに、神威は細かいことまではっきりと東に言う。そこに遠慮など欠片も存在しない。
元々は実の両親を知らない。本当の両親がいれば、そんな風に疎ましく口うるさく言っていたのかもしれない。なんの遠慮もなく。
「まぁ良いけどね。が言わなくても俺が言えば良いわけだし。」
神威はぽんぽんとの頭を軽く叩いて言う。
「も手洗いうがいぐらいしないと駄目だよ。」
「自分もしない癖に。」
「だって必要ないもん。」
「風邪引いたくせに。」
は神威に言って、彼の手に自分の手をそっと重ねる。その手はの物より遙かに大きくて、いろいろな物を知っていた。
風邪予防