神威の部屋を第七師団の団長の幽玄が訪れたのは、阿伏兎が神威の部屋に運び込まれた翌日のことだった。




「えーー、阿伏兎が反逆?」




 神威は興味も全くなさそうに、幽玄に言った。



「あぁ、あの出血では生きていないと思うが、おまえの所には奥方も子供もいるだろうから気をつけるに越したことはない。脅されても困るだろう。」



 幽玄は努めて優しい口調で、目の前のまだ年若い同族の男に説明した。

 第七師団の団員の中で神威は酷く浮いている存在だった。強さだけを求める彼は時々団員といざこざを起こすことがあったが、それなりに立ち回っている。戦いに関しては実に使える強い男で、将来性を感じさせるが、あまり賢くはないようだった。

 それに地位などには全く興味がないのか、給金を求めることもなく、任務外では第七師団の居住区で、若いくせに自分の女とその子どもとともに暮らしていた。

 この女が随分と親切で物知りな女らしく、いろいろと団員が尋ねごとをすると相談に乗ってくれると評判だった。腕っ節もあるらしく、攫われた時に相手を皆殺しにしたと言うが、これを幽玄は誇張だと思っている。


 おそらく夜兎の神威が自分の女を助けたのだろう。

 とはいえどちらにしても、その女も含めて、神威は非常に使える男だったし、団長の幽玄にとっては障壁にならない、危険の少ない相手だった。



「奥方にも直接このことについて話したいのだが。」



 幽玄は昨日、阿伏兎を殺すために襲った。 

 最近第七師団内では幽玄ではなく阿伏兎を団長にしようと言う動きがあることを、幽玄自身知っていた。阿伏兎は夜兎の中でも一際実力があり、適当だが面倒見も良い。第七師団の団員にもそれなりに慕われていた。

 だから、彼を隠れて亡き者にしようとしたのだ。それに失敗して彼に逃げられたのは、幽玄の部下の失態だった。

 大砲を撃ち込んだのですさまじい出血だったが、死体は見つかっていない。誰かが匿っている可能性があると、何人かの部屋を見聞したが、今のところ阿伏兎は見つかっていなかった。

 神威の女は相談事を団員たちから受けている。医師免許も持っているという噂だ。ならば、神威が阿伏兎が殺されかけたことについて、何か知っているかも知れないと幽玄は思って神威の部屋にやってきたが、神威は酷くさっぱりとしていて、軽く小首を傾げた。



が脅されるたまではないと思うけど、―!!」



 なんの警戒も疑いもなくあっさりと自分の部屋の扉を開け、自分の女を呼ぶ。



「なんか阿伏兎が反逆したって、脅されたら困るらしいよ。」

「なんの話?」



 と呼ばれて出てきたのは、華奢な体躯の女だった。

 幽玄が直接彼女を見るのは初めてだが、非常に賢いと言うことで話は聞いていて、興味はあった。顔はそれ程美人ではないが整っており、銀色の癖毛を一つに結い上げている。着ているのはおそらく、民族衣装だろう。背中にはまだ1,2歳の赤子が背負われている。



「あれ、団長様…?」



 彼女は幽玄の顔を知っていたのか、その漆黒の瞳を丸くする。



「うん。幽玄団長だよ。」




 神威はあっさりと紹介する。はそんな神威に少し困った顔をして、扉から少し体を引いて間を作った。




「立ち話もなんですから、お茶ぐらいお出ししますよ。後ろの方もご一緒に。」

「あ、あぁ。」


 幽玄は後ろの自分の護衛に目を向けて、神威とに続いて入るように促した。

 阿伏兎が隠れているかも知れない。部屋を見聞したかった幽玄たちにとって、の申し出はありがたかった。

 小さなキッチンとそれに続く居間、そしてそこから仕切りのないベッドルーム、子ども部屋。大きな家具は本棚と本格的なパソコンだけだ。クローゼットもなく、大人が隠れられるような場所はない。本棚にはびっしりと本が入っている。



「すいません、狭い部屋なんで。あと、ちょっとお菓子が、大きいサイズの物しか無くて、」



 はおんぶ紐で東を背負ったま、ま幽玄とその護衛の突起物が頭に生えた天人にお茶と茶菓子を出す。

 茶菓子として出されたこんがり焼けたどら焼きがフライパンサイズで、幽玄と護衛は二人で思わず顔を見合わせた。夜兎である神威のために作ったのだろう。はそれが非常識なサイズだとわかっており、少し申し訳なさそうな顔をしていた。

 だが、幽玄も神威と同じ夜兎であるため、大きいならありがたい。普通にそれを手で半分にちぎって口の中に入れる。料理上手らしく適度な甘さで美味しい。神威は幽玄の向かい側に座り、もきゅもきゅとその大きなサイズのどら焼きにかぶりついていた。

 幽玄は一度確認するように辺りを見回す。こじんまりとした部屋には、阿伏兎が隠れられるような隙間はどこにもない。部屋に違和感があるところもない。

 言うなれば居間にある神威が座っている大きめのソファーの色が黒で、幽玄たちの座っているソファーが緑と言うことだけだ。



「あ、ソファーですか?同じサイズで通販したら、違う色送られて来ちゃったんです。」



 は落ち着いた声音でゆったりと言う。高いのに落ち着いた、聞き心地の良い声だった。



「そうか。否、随分と綺麗な漆黒の色だ。」



 幽玄は深い色に引きつけられるように見入った。ただの黒い布だが、僅かに光が当たる角度によって文様が浮かび上がる。



「えぇ、地球産なんです。わたしの故郷で。」

「あぁ、奥方は地球出身なのか。」



 幽玄は言いながら、目の前の女を見やる。珍しい髪の色だが、確かに地球人だと言われたら納得出来る顔立ちだ。角や突起物もなく、耳も普通で、夜兎とそれほど変わらない。



も座りなよ。アズマかして。」




 既にソファーに座っていた神威はの背中におぶられている小さな子どもに手を伸ばす。彼女が椅子に座るのに邪魔だろうと言うことらしい。神威がオレンジ色の髪、と呼ばれる彼女が銀色の髪だというのに、彼らの息子は漆黒の髪をしていた。



「ありがとう。」



 は子どもを神威の膝に下ろしてから黒いソファーに腰を下ろした。

 いつもは傍若無人、自己中で奔放な神威が当たり前のように彼女を慮る姿に、幽玄は少し驚く。夜兎からすると地球人はとても弱い体を持っている。過保護なくらいが当然なのかも知れないと、幽玄は勝手に納得した。



「えっと、その、阿伏兎さん?が反逆って。」

「あぁ、奴は第七師団団長の地位を狙っていた。」



 幽玄は努めて神妙な顔つきで言って、を見る。彼女は目を丸くして、神威の方を見てから、もう一度幽玄の方を見やった。

 は穏やかにゆったりとした口調で幽玄と天人に答える。



「確かに、団員の方から、次の団長は阿伏兎さんかもという噂はお聞きしていましたが、」

「そうなのか、もしかするとそいつらも反逆者かも知れない。」

「えぇ!そうなんですか。…怖い。」



 彼女は心底怯えるように目じりを下げて言った。

 腕っ節が強いとの噂はあるが、きっと地球人の女の中ではと言うことか、もしくは夜兎の神威が自分の女を守っているかのどちらかだろう。



「阿伏兎が死んだんなら残念だな、俺が殺したかったのに。」

「あんまり親しくなかったからって、それは言い過ぎだよ。」

「ええー、強そうじゃん。俺面倒ごと嫌いだし、強い奴と戦えればそれで良いよ。」

「もう、」



 は少し呆れたような視線を神威に向ける。だがそのあまりに自然なふたりの会話は、阿伏兎と神威が別に親しくなかったことを示している。

 阿伏兎を匿っている風も場所もまったくないので、幽玄は小さく息を吐いて目の前のを見据えた。



「ひとまず、阿伏兎派の奴らが貴方を人質に取る可能性もある。」



 もちろん、それは幽玄の嘘だ。神威という切れすぎる刃を御する人質として、また団員の不満を聞く一つのツールとして幽玄はを欲している。彼女が非力な、地球人の少女であるというのは、幽玄にとっては朗報だ。

 そのためにも、信頼してもらうのが一番。だからこその言葉だった。



「えぇっ!阿伏兎派って怖い。居住区も危ないんですか?神威は今週末、単独の仕事だったよね。」

「そうだね。どうする?」

「…どうしたら良いんだろ。」

「不安だったら今週末は家から出ないのが一番じゃない?」

「籠城?」

「うん。」



 神威は安易に言うが、夜兎相手に籠城というのもそんな簡単な物では無いだろう。


「でも、怖いから、今週末は、東は誰かに預かって貰うことにするよ。」



 は目を細めて、神威が抱えている息子の頭を撫でる。幽玄はそれを聞いて小さく笑みを零した。

 今週末、神威は別の星に傭兵としての任務を行うため、向かうらしい。第七師団に所属しているとは言え、任務が入っていない時にどこに雇われるかは勝手だ。重要なのは、神威が留守で、しかもとその息子が揃って居住区にいるということだ。

 夜兎の神威さえいなければ、女子どもなどどうとでも出来る。



「それが、一番良いだろうね。」



 幽玄は小さく笑って、目の前にいる脆弱な地球人の女を見つめた。



走り出した策謀