幽玄が帰った後、は小さく息を吐いて、ソファーの布をはがし、ソファーの上のクッションを引っぺがす。大きめのソファーの中にいたのは、阿伏兎だった。



「このソファーって真ん中で切れてるように見えて中は空洞なんだよね。」

「いや、おまえの機転のおかげで助かったぜ。」



 阿伏兎は思わずに感謝の言葉を述べる。咄嗟に阿伏兎をソファーの中に入れ、阿伏兎の血に汚れた緑のソファーに黒い布をまち針でつけたのもだ。元々着物かなにかに使う布であったため、綺麗なのは当然だ。



「まさか他人が使うことになるとは思わなかったよ。何かあった時に隠れようと思って買ったんだけどね。」



 このソファーは第七師団の居住区で暮らすことが決まった時、が買ったもので、なにかもめ事があった時に東かが隠れることを想定していた。そのためこのソファーは柔らかなクッションのくせに相当丈夫で、中に鉄板が入っているためよほどのやり手でない限り、刀でも切れないようになっている。

 このソファーを見た時、一見真ん中で切れるように見えるため、隠れるには良いと思ったのだ。



「いやぁ、焦ったよ。まさか直々に来ると思わなかったね。」



 神威も流石に幽玄が直接来たことには驚いたらしい。

 別に幽玄をその場で殺しにかかっても良かったのだが、正直やり合うのはあまりにも不利だ。それを機転で乗り切ったのは、やはりだった。

 だがは神威が幽玄と無駄話をしている間にでかい阿伏兎をソファーの中に隠し、血まで全部隠したのだ。部屋の中まで阿伏兎がいないことを確認した幽玄は、阿伏兎が神威の部屋にいるとは思っていないだろう。

 しばらく襲撃を気にせず、治療に専念できる。少なくとも今週末までは。



「おまえも何も言わなくて偉かったね。」




 神威は自分の膝の上にいる東の頭をくしゃくしゃと撫でる。東はよく分からないのか漆黒の瞳を瞬いて、首を傾げて見せた。

 1歳で最近近しい人の名前を覚えだしたばかりの東が一言でもぼろをだしていれば、完全にばれていた。



「それにしても、おまえ怖いとかよく言ってみせるよね。」



 神威は心底面白そうに視線をに向ける。



「えー、だって、阿伏兎派とかこわーい。わたしはこんなお馬鹿さんに命預けたくないよ。」

「おいおい。ひでぇな。神威は良いのかよ。」

「良いんだよ。大馬鹿だから。」



 はからりと明るく笑ってから、阿伏兎の傷の具合を確認する。

 阿伏兎が後ろから大砲に撃たれたのは、この春雨の母艦の外でのことだったらしい。中でやれば内部犯を疑われるが、外ならば問題ないと言うことなのだろう。言い逃れはきちんと考えているが、実に単純な思考回路だ。

 このことからは幽玄の頭の良さを推測する。夜兎の中ではそこそこ賢いが、一般的には多分そうでもない。



「鎌をかけるってことは何も考えてないとか、疑ってないわけじゃなさそうだけどね。」



 は澄ました顔で言って、端末を開く。



「手っ取り早く、次の団長の有力候補、阿伏兎を殺す気だったんだね。」



 神威は満面の笑みで阿伏兎に言って見せた。



「…みたいだな。」



 阿伏兎もそれに賛同するしかない。

 最近第七師団の中では幽玄に対する不満が渦巻いている。が相談に乗っているとは言え、は所詮神威の同居人でしかなく、団員ではない。幽玄は今回の件でがある程度団員の不満を把握していると理解しただろう。

 今回の件の処断のためにも、そして神威を御するための人質としてもが必要だと思っただろう、というかそう思ってくれないと困る。とはいえ、を地球人のただの女で、神威のただの恋人だ。敵となるほどの存在とは思っていないだろう。

 それに対して阿伏兎は第七師団の中でも古強者で、年齢的にも団長でも全くおかしくない。存外面倒見も良く他の団員からの信頼も厚い。



「俺たちが下克上する前に阿伏兎が殺されちゃいそうだネ。」



 神威は楽しそうに弾んだ声であっさりと笑う。




「おいいいい、ふざけたこと言うんじゃねぇよ!俺はまだ死にたかねぇ!」




 阿伏兎は傷が痛むだろうに腹から大きな声を出して叫んだが、あまりの痛みに蹲った。



「だってそういうことだろ。幽玄はおまえが邪魔らしいヨ。」

「良かったね。阿伏兎。神威の盾だね。」

「おいおいおいおいおい、ちゃん!そりゃ酷くねぇか?」

「酷くないでしょ。リビングのソファー駄目にしても助けてあげたんだから。」



 はため息混じりに言う。

 今阿伏兎が寝ていたリビングのソファーは、血で真っ赤になっているためもう買い換えるしかないだろう。緑色で結構お気に入りだったため、残念だなとは目じりを下げる。

 神威はまだ、若すぎるのだろう。強さという点では阿伏兎がどの程度なのかは知らないが、強さだけで人がついてくるわけではない。基本的に神威は人を従わせようとは思っていないし、本質的に他人に興味がない。

 強さで人を魅了することはできるかもしれないが、それ以外のものを補う存在は、必要だろう。



「阿伏兎はこの部屋でしばらく安静ね。」

「え?なんでだよ。」

「どっかでのたれ死んだって事で。」



 は人差し指を振って、阿伏兎に告げた。

 阿伏兎はしばらく外に出ないのが一番だ。阿伏兎がいないと一度確認した幽玄が、もう一度この部屋を見に来るとは考えにくい。なら嫌だが、この部屋が一番安全だろう。姿がずっと見えないなら、流石に彼らも阿伏兎がどこかでのたれ死んだと考え、探す手は日に日に緩まるはずだ。

 彼は動けるようになるまで、静養すれば良い。



「そうなると神威が狙われるんじゃねぇの?」

「死体を見つけない限りは、すぐには行動してこないとは思うよ。今週から、元老の一人の黄白も来るからね。それに、神威を襲う前に、多分わたしだから。」

「なんでなの?」



 神威が初めて顔色を変えてに問う。先に自分だと思っていただろう。



「神威と団員を御するためにわたしと東を有益だと思ったみたいだから。」



 は端末を叩きながら、言った。

 神威はおそらく、幽玄の目から見ても自由奔放で、自己中心的だと映っているだろう。それでも彼は、神威がと東を慮る姿を見たはずだ。神威のこだわりはそこにしかない。ならばそれを捕らえて人質にしようとするのは当然だ。

 幽玄はほど賢くはないが、夜兎の本能のみに忠実というわけではない。そういう戦わずにすむ方法も模索してくる。だからこそ、第七師団長まで上り詰めたのだ。とはいえ、相手には安易すぎる。

 は端末で元老たちの動きを確認する。

 今回が確認している元老は二人だ。第七師団の現団長幽玄の後援者で、関わりの深い元老・黄白と、もう一人、黄白と争っている、地球人と夜兎のハーフだと言われる終月。



「基本的にね、師団の団長になるために必要な条件はたった2つ、団員の掌握と元老のひとりの同意だよ。団員の掌握は難しくない。」

「元老の同意なんて、どうやって得るんだよ。」



 阿伏兎は自分の頭をかりかりと掻いて、ため息をつく。

 は簡単にたった2つと言うが、その1つは元老に知り合いがいる事が第一条件だ。ところが生憎、阿伏兎にも神威にも、自分たちの味方をしてくれるような元老に心当たりはない。春雨には他にも師団があるため、もし元老の後援がなければ、他の師団につぶされて終わりだろう。



「そこがわたしの腕の見せ所だよ。」



 は悪巧みをする子どものように至極楽しそうに笑って端末を叩く。



「楽しそうだねぇ。おまえさん。」

「楽しいよ。もともとこういう策を張るのは大好きなんだ。獲物のかかった時の心が弾む感覚はなかなか言い表せるものじゃないよ。」

「…おまえさん、純粋に怖い奴だったんだな。」



 阿伏兎はを見て思わず本音が口から漏れてしまった。

 神威のあの本能を、阿伏兎はごくたまにだが恐怖を抱くほどに恐ろしいと思う。ただそれは夜兎にとっては馴染みのものだ。しかし、は違う恐怖を阿伏兎にもたらす。

 女狐というのはその戦略そのものを理解し、相手が苦しむ様を見て自分の優越感に浸ったりするものだ。他人をおとしめる楽しみ。人間なら誰でも自分が他者よりも上の場所にいたい、弱者を思うように操りたいと思うものだ。だから、阿伏兎はそう言った感情を当然だと思う。

 だが、彼女は子どものように楽しそうに、無邪気に策を練っている。それは純粋な興味だけに成り立っている。だから、恐ろしい。



「ねえ、俺、邪魔なく幽玄とやりたいんだけど?」



 神威は隣に座っている詮の首に手を回し、強請る。耳元で囁くような、甘えるような口調だったが、言っている言葉はまったく甘さなどなく、殺意に溢れている。



「うん。貴方には幽玄との舞台をあげる。」



 はその青い瞳をまっすぐに見て、安心させるように神威の頭を軽く撫でる。

 どちらに転んだとしても少なくとも、神威には幽玄と単独で戦える舞台を用意してやるつもりだ。そのための策はもう張ってある。



「やっぱりが一番良いね。」



 神威は笑いながらの唇に自分のそれを一瞬重ねて笑う。それは愛情と言うよりは、可愛い自分の愛玩動物を誉めるような戯れ方だ。



「ただわたしは、今回は別の男と踊るよ。」

「何それ。」



 神威はむっとした顔で、に不快感を示す。




「大丈夫だよ。うまくやってみせる。」



 眉を寄せる神威の髪をさらりと撫でて、は笑って神威を宥めた。その柔らかな眼差しで、阿伏兎は二人の関係性が変わったことに気づく。

 恐ろしいふたりが、多分、はっきりと、そして完全につながった。



「阿伏兎は団長にならなくても良いの?」

「別に、んなもんに興味はねぇよ。」



 阿伏兎は素っ気なく言って、若いカップルを眺める。

 愛を囁くこともない。種族すらも違う、なんの共通点もないはずの二人は、それでも阿伏兎には到底考えられない何かで繋がっているようだった。そしてそれに将来をかけようと思っている阿伏兎もまた、二人に毒されて頭がおかしくなったんだろう。

 ただ、面白くなりそうだった。
強者の戯れ