は宇宙船から第七師団の居住区にある、春雨の母艦のポートへと足を踏み出した。
 神威を第七師団の団長として認めるという言質を元老の一人終月からもらうために、その取引材料として元老の黄白とその護衛とやり合っていたため、生憎着ている袴の裾は浅黒くなっていた。それを宇宙船で着替えてから、外へと降り立つ。

 誰もいないポートは完全に隔壁を途中で閉めてしまっている。この隔壁は元々宇宙船の爆発事故などを防ぐためのかなりの強度のもので、内側からも一応開けられることになっている。は隔壁の傍にあったボタンを押す。

 ここを神威と幽玄の戦いの場に選んだのは、隔壁を閉めてしまえば夜兎でも破れないような密室だからだ。誰も邪魔しようがないし、周りに被害もない。

 ごごっと鈍い音をたてて分厚い鉄の壁が徐々に上がっていく。

 隔壁は無事だが、横の壁が崩れ、折れ曲がりいろいろなコードがむき出しになっている瓦礫の山の上に、猫背の男が座っている。



「楽しかった?」



 は見慣れた明るいオレンジ色の髪の男に、問う。



「いまいち。」



 くるりと振り向いた神威はしかし、笑ってはいなかった。不快そうな顔でを見て、その青い瞳をゆったりと細める様に、は不穏な空気を感じる。全く怪我のないと違って、彼の頬には痣があり、服はあちこち破れていた。

 やはり第七師団団長・幽玄は夜兎だけ神威と差しでやり合ってもかなり強かったようだ。鳳仙にも一目置かれていたと言われる男だし、精神性は屑だとしても中身は一流。さすがと言ったところだろう。だが、結局神威に敗北したのならば、同じだ。

 は一歩足を踏み出して神威の方へと歩み寄る。



「せっかく、わたしが舞台を提供して上げたのに、すごく不機嫌そうね。」

「うん。すごく苛々したんだ。」



 神威はそう言って足下にあった何かを思いっきり蹴り飛ばす。

 それはもう既に生物としての原形を留めてはいなかったが、おそらく第七師団の団長だったなにか、なのだろう。わざわざ確認する気もおこらない。



「怪我でもしたの?」



 は神威が強い相手との戦いを好んでいることも、本能に身を委ねることを至上の幸福としていることも知っている。だから、彼は強い幽玄との戦いを楽しんでいただろうと思った。

 だが、どうやらそうでもないらしい。

 怪我でもしたのだろうかと、は少し心配になって彼の姿を頭のてっぺんからつま先まで眺める。ぱっと見無傷というわけではないが、それ程酷い怪我をしていそうには見えない。しかし、もしかしたら見えない場所を殴られたのかも知れない。



「痛むの?」




 は問うて、そっと神威の頬に手を伸ばす。その手を、神威の血にまみれた手が、とった。




「苛々する。」

「また?」




 最近、神威はそればかりだ。が傍にいないのは嫌だ、外に働きに行ってしまうのは嫌だと随分とだだをこねていた。

 そしてその答えが出るまで、に動くなとまで言っていたのだ。

 性格的に物事をはっきりしたい彼は、自分の中にもやもやとした説明の出来ない感情が存在すること自体が不快で、嫌だったのだろう。だがその答えは彼の心の中にあるもので、にはどうしようないことだ。



「おまえを殺すのは俺だよ。」



 神威はにその青色の瞳を向けて、言う。だがいつものような鋭い殺気はそこには存在せず、戸惑うような色合いがあった。

 座っている神威を見下ろして、は少し戸惑った顔をする。



「幽玄でも、誰でもない。俺だけだ。」



 ぎゅっと、神威の手がの手を強く握った。



 ――――――――――――――――――まず貴様を、そしてあの女を殺してやるっ




 幽玄にそう言われた時、それまで幽玄という強者と戦うから楽しくてたまらなかった神威の心は、一気に苛立ちに満たされた。

 を殺すという男が、にその手で触れるという男が憎らしくて殺したくてたまらなかった。いつものように強者との戦いが楽しくて興奮するのではない。純粋に本能ではない、わき上がるような怒りと冷たい感情で、あの男を殺したいと思った。


 目障りだと心の底から思った。


 その感情は今までに神威が味わったことも無いような物で、自分自身でも酷く戸惑ったけれど、止まることなど出来なかった。元来我慢が苦手で、感情を押さえるのが得意ではない神威は、その苛立ちに身を任せるような形で幽玄を殺した。

 強者を倒した時に感じるような清々しさは一片もなく、それでも酷く満足感はあったが、それは神威が味わったこともないような歪で、気味の悪い感覚だった。

 神威は立ち上がり、の手を引っ張って自分の方へと引き寄せる。彼女の華奢な体を強く抱きしめると、少しだけ神威の心は軽くなる。温かくて、生きているとわかる。



「髪の毛一本すらも、俺のものだよ。」




 幽玄にが触れられると思うと、悪寒がするほどぞっとした。あの変な感覚は不快すぎて二度と味わいたくない。



「仕方ない人だな、」





 は血にまみれた神威をそっと抱き返す。

 本当に神威はシンプルで、よりも年下なのに強くて、でもたまに子どものような表情を見せる時がある。

 危険な男だと思う。

 このまま一緒にいれば、おそらくは将来彼に殺されることになるだろう。彼はを自分のものにするために自分のその手で殺したいと言う衝動と同時に、を生かしておきたいという、相反する感情を抱えている。

 いつかその均衡が崩れる日が来るだろう。今は子どもを産んでほしいとか、そう言った口先だけのことで誤魔化してはいるが、それもが後々子どもを産み、そして年をとって弱くなれば、言い訳として使えなくなる。

 それまでにはどうするかを考えねばならない。


 だが一番始末に負えないのは、自身がそれを受け入れているからだ。いつか殺されることを承知で彼の傍にいたいと思っている。

 安穏な将来のためには東を連れて彼からさっさと離れてしまうのが一番良いのだろうが、それを出来ないのは、恋愛感情のせいなのか、にはよく分からない。けれど、彼から離れがたく思う自分の心を、は理解していた。

 だからこれはきっと、自分にとって、人生を決定する賭けになるだろう。



「わたしは簡単に誰かに殺されたりしないよ。」



 神威は当たり前のように人を手にかけてきたから、の命も簡単に失われるものだと思うのかも知れない。だが、は誰にも簡単に負けたりはしない。




「それが例え、貴方であってもね。」 



 は神威を見上げて、挑戦的に笑う。




「…」

「わたしは貴方にも負けたりしない。殺しに来るなら、腕一本ではすまないよ」




 簡単に殺されてやる程、は優しくはない。

 彼に殺される時に、彼を大事に思うからと言って、手加減なんてしない。死んだら終わりだ。そのことを攘夷戦争に参加していたは痛い程によく知っている。は自分のために、子供のために、彼に本気で抵抗し、殺す気で生き残ろうとするだろう。誰よりも、親がいない子供がどういう扱いを受けるのか、身をもって知っているから、子供のために、神威を殺してでも生き残る。

 覚悟を見て取り、神威は青色の瞳をめいっぱい丸くしてから、くしゃりと相好を崩すように、喜びとも悲しみとも、何とも言えない表情で笑う。



はやっぱり、だね。」

「そりゃね。わたしはどこまで言ってもわたしだよ。」



 は誰にもなれない。神威も同じだ。

 脆弱だと言われるくせに、その頭脳で多くの人を殺してきた脆弱ではない地球人と、本能にあまりに忠実で、だからこそ強さを求めて人を殺して回る夜兎。その本質は結局で言うと変わらない。誰が言おうと、どんな規範に合わなかろうと、であるしかない。神威も神威であるしかない。他のものになろうとは思えないし、なれっこない。

 きっとも、神威も、すでに普通ではないのだ。



「なんか、考えるのが馬鹿みたいになっちゃった。」



 神威はうん、と大きく頷いて、先ほどと打って変わっていつも通りのニコニコとした笑顔をに向ける。



は俺が殺すまで、誰にも殺されるなよ。ついでに他の男の所に行かれるとむかつくから、俺のね。」



 いろいろ深く考えるのはやめたらしい。

 それで良いのだとは思う。彼はいつも自分の本能に忠実で、単純で、考える事は苦手だ。ならば、理由など考えずに彼の心の赴くままに、自分のしたいようにすれば良い。それを助けるのも、くじくのも、隣にいるだ。

 ただも彼に従って大人しくしている気はない。



「そう思うなら神威がわたしにそうさせることだね。わたしはどこでも行ける力があるからね。」



 は神威から体を離して明るく笑い返した。

 きっとこれで後戻りは出来ない。それでもはきっと、どちらに転んだとしても後悔しないだろう。本当に彼が最初に言ったとおり、彼と地獄までランデブーとなるだろうが、それも悪くはないとは思う。



「阿伏兎と云業が待ってるから、帰ろうか。」

、そいつらはどうでも良いよ。待ってるのはアズマだけだ。」




 にっこりと笑って、神威も答えて、の手をその血まみれの手で取って、歩き出す。

 お互いの両手はすでに数え切れない程の血に汚れている。後ろにはかつて殺した人々の怨念をごまんと背負っているだろうが、まあそういう点では、ぴったりお似合いだろうなとは思って、神威の手を握り替えした。

本能が求める