第七師団が降り立ったのは海の多い星だった。
「…一面海しかないんですけど…」
はぷかぷかと海の上に着陸して浮かんでいる宇宙船の入り口で、呆然とする。
「こりゃ座標間違えて別の星についたんじゃね?」
阿伏兎も冷静な面持ちで言って、ため息をついた。
どうやら任務の座標を誰かが間違えたらしい。一面海しかないこの星に、海賊に何かを頼んだり商売をしたりする余地があるとは到底思えない。
「海だね。俺、アズマ連れてくるよ。」
遊ぶ気なのか、神威は船の中に入っての連れ子である東を部屋に迎えに行く。その間にはこの星に着いてしまった原因究明にいそしむことにした。
「ちょっとー座標の登録は誰がしたの?」
「夜兎族の龍山さんです!」
が尋ねると、の副官をしている赤鬼が手を上げて答える。
龍山は渋い名前だが神威とそれ程年齢の変わらない若い夜兎で、黄銅色の髪の少年だ。とはいえ体は大きく、よりも背が高い。ばつが悪そうにそっぽを向いて、視線をそらしている。
「何見て登録したの?」
「え、この書類。」
「それ見せて。」
龍山から取り上げるように紙切れを奪ってそれを見る。
「登録されてる座標は?」
「25Eの8です。」
赤鬼がに座標を手元の端末で確認する。
「そりゃ違うよ。zweiundfunfzig E acht。独星の言葉で52 E 8だよ。」
「え、でも2はzweiだろ。」
納得出来ないのか、龍山はに言う。
最近第七師団に入ったばかりの若手の龍山はこの間戯れに模擬戦をしてに負け、悔しい思いをしたばかりで、女のに対して対抗意識もあるのか、何かと噛みついてくる。
だが所詮腕っ節だけの夜兎族だ。学問でに勝てるはずもない。
「確かに独星の言葉で2はzweiだけど、その後ろがfunfzig、要するに50なの。2と50。52。独星の言葉では二桁の数字は10の位以外は逆に読むんだよ。」
は書類を彼にもう一度見せながら、確認させる。
ただ、他の星の言葉を勉強する気があるだけ、他の奴らよりはましだ。おそらくに聞くのが悔しいから自分で勉強したのだろう。その気合いは大切だが、同時に確認も大切だった。
「でもまぁ、惜しかったよね。仕方ない。」
は一応慰めるように彼に言ってから、座標の訂正の指示を出す。
「姉御、晴れてはいるんですけど、上空が磁気嵐らしいんで、今は出発できそうにないっす!」
「…ありゃりゃ。じゃあここに数時間は滞在かなぁ。」
見渡す限りに広がるのは海だ。島らしき物は無い。
ただが何かを言う前に何人かの団員は水遊びを始めていた。また夜兎たちも日差しが強いので傘を差したままだが水遊びに興じている。
「良いんじゃ無い?出発は3,4時間後で。」
東を連れて戻って来た神威はを振り返って小さく笑う。
まだ3歳の東はあまり海を見る機会がないせいか、目を輝かせてかけていこうとするが、正直海は深い。今にも駆けだしていきそうな東の首根っこをひっつかんで神威が止めていた。
団長の神威がここに3,4時間滞在すると言うなら、それに従うしかないだろう。
「熱いね。」
「そりゃ長袖を着てれば、熱いよ。」
は神威の傘の下に入って、息を吐く。
神威の肌は女ののものと同じぐらいに白い。それは日に直接当たることが出来ない夜兎の特性故だ。個人差はあるそうだが最近宇宙暮らしが長くてあまり日に当たっていない神威もまた、太陽光アレルギーが酷い。そのため外で直射日光に当たるときは、包帯ぐるぐる巻きにしていることもあった。
団員たちは熱心に海水浴やら魚釣りにいそしんでいるが、夜兎は皆傘を持って少し遊びにくそうだ。
「東坊、こっちで遊びましょうか。」
東を云業が連れて行く。
流石に3歳児と深い海の中で遊ぶわけにはいかないので、船のデッキに出来た小さな海の水たまりで遊ぶ気らしい。そこにも魚が少し取り残されていたので、幼い東には楽しい遊び場だろう。云業は存外面倒見が良く、目を離す様子はなさそうだった。
「海、結構深そうなのに。鮫とかいないのかな。」
「さぁ?鮫って、美味しいかな。」
「フカヒレとかは美味しいけど、身はかまぼことかにするよね。」
神威の傘の下、と神威は無意味な会話を繰り広げながら、遊びほうける団員たちを見てぼんやりとする。
結構魚がいるのか、釣りをしている団員は既に何匹かの魚を釣り上げていた。ただしかなり小さい。
「それにしても熱いよね。」
「そう思うなら、おまえも泳いで来なよ。俺と違って太陽に当たれるんだから。」
神威は夜兎でもない癖に神威の傘の下でじっとしているに言う。だがは面倒臭いのか、座り込んで全く動く気は無い。
「嫌だよ。着物濡れるし。」
「良いからいきなよ。熱いんでしょ。」
神威は問答無用での背中を軽く手で押す。軽くと言っても夜兎の怪力だ。途端に座って油断していたの体は転がって、ボチャンと目の前の海に沈んだ。
「涼しいでしょ?」
神威は笑って、海に向かって話しかける。ところがすぐに上がってくると思っていたは、なかなか上がってこない。
どこか別の所に浮かんでいるのかときょろきょろするが、辺りは普通の海面だ。
「が、浮かんでこないんだけど…」
思わず神威は近くにいた阿伏兎の服を引っ張る。
「まさか。え、嬢ちゃん金槌?」
「…え?まさかー、に限ってそんなこと、あるわけ、」
なんでも出来るが、まさか泳げないなんてそんなこと、誰も想像したことがない。というか、そんなこと一片たりとも危惧していなかった。
まさか想像もしない事実に神威は呆然として、慌てて自分が海の中に入ることになった。
沈没
――――――――――――――おまえなんでもできんのに、なんで泳げねぇんだよ。
呆れたような懐かしい声を思い出して、は目を細める。
昔から陸上では万能のは何故か金槌で、泳ぐと言うことに関しては全く駄目だった。何故かはよく分からないけれど、水の中に入ると体が浮かばず沈んでしまうのだ。だから宇宙にいるというのは良いことだと思っていたが、まさかこんな風に死ぬことになるとは予想していなかった。
心でそう思っていると、思いっきり肩を揺さぶられる。が目を開くと、オレンジ色の髪を濡らした神威が、何故か自分を見下ろしていた。
「泳げないなら早く言いなよ。」
珍しく少し安堵したような表情で、神威が悪態をつく。
「・・・っかっほっ、」
神威と名前を呼ぼうとして口から溢れたのは飲み込めないほどの塩水で、体を起こして咳き込む。
「ちゃんと水吐きなよ。」
神威が少し強めにの背中を叩くと同時に、また水が口から溢れた。
しばらくして呼吸も落ち着いてが神威を見上げると、彼はため息をついて自分の服を唐突に脱いで、豪快に絞った。阿伏兎はそんな神威に仕方なく傘を差してやっている。
「しっかしまさか、おまえさんが泳げないとはな。」
日頃は男顔負けの剣術に頭脳明晰、運動神経抜群、料理も出来ると言う万能人間なだったので、阿伏兎はおろか、一番とともにいる時間が長かったはずの神威も、が金槌などと想像したこともなかった。
当たり前のように泳げると思っていたのだ。
「そ、そんなことないよ、泳げるよ。」
は自分の濡れたポニーテールをといて、絞って水気を出す。
「いやいや。よく言うよ、。完全に金槌じゃないか。」
「えー金槌じゃないよ。ちょっと深かっただけ。」
「いや、まるで金槌のように沈んでたからね。先に言ってよ。」
「神威も熱かったんでしょ?寒くなった?」
「心底冷めたね。」
神威はため息をついて濡れた自分の髪を掻き上げる。
自分が殺すまではを誰にも殺させないと豪語している神威だが、流石に溺死からは守れないし、想像も出来なかった。
「まあ確かにちょっと苦手かも知れないけど、ほら、人間万能じゃないんだよ。」
「…自慢げに言うなよ。」
神威は呆れたように言ってから、はっとしたように後ろにいるの息子の東に目を向ける。唐突に心配になったらしい。
「あ。東坊は泳げますぜ。」
東の面倒を見ていた云業が言う。
まだ3歳の東だが、気づけば深い海の中で泳いでいる。もちろん云業が見張っているが、楽しそうにバタ足をしていた。
子どもながら5メートルくらいならちゃんと泳げるらしい。
「…、おまえだけらしいよ。」
「だから泳げないわけじゃないって。ちょっとびっくりしただけ。」
「もう一回押そうか?沈むよ。絶対。賭けても良い。」
「そんな無体な、でもわたしだってちょっとくらい泳げるよ。」
は少しすねたような顔をしているが、事実は変わらない。
「まさかだなぁ。おまえさんが泳げないなんて。」
阿伏兎も神威に傘を差してやりながら、まじまじとを見る。
「いやらしい目でを見ないでよ。ちなみには透けるほどの胸はないよ。」
「違げぇよ!」
「いらないこと言うんじゃないの。神威。」
は言って、ため息をついて立ち上がった。
おかげで着物はびしょびしょだ。襦袢も着ているので絶対に透けっこないのだが、着替えに行くしかなさそうだ。
「俺も戻るよ。」
神威も自分の傘を持ち上げ、言う。
助けてくれた彼もびっしょりで、絞ったぐらいではどうにもならない。着替えてこなければならないだろう。どうせ水遊びをしている団員たちも後で入ってくるだろうから、廊下が濡れているなんて事はご愛敬だ。
「阿伏兎、アズマをちゃんと見ててね。何かあったら殺しちゃうぞ。」
「わぁってるって、」
阿伏兎はため息一つでひらひらと手を振った。まぁ云業が気に入って面倒を見ているから大丈夫だろうとは結論づけて、中へと入る。
「おまえ、ちゃんと先に言いなよ。弱いところは。」
神威はの肩を軽く叩いて言った。
弱みなんてなさそうな澄ました顔をしているし、怯えた顔なんて全くしないくせに、血まみれの戦場に立っていても大丈夫なのに、ホラー映画や怖い話を馬鹿みたいに怖がったり、なんでも出来るくせに泳げなかったり、変なところでには穴がある。
「ひとまず、苦手なことは先に言いなよ。俺も言うだろ?交渉は苦手だって。」
「……」
「まだあるんじゃないの?」
神威は疑いの目をに向ける。黙り込んでいると言うことはまだまだあるのだろう。
「まぁ、機会があれば。」
はへらっと笑って適当にそれを誤魔化した。