「…そこまで!」



 審判をしていた青鬼が驚きで怯んだ声ながらも高らかに告げる。

 一応怪我をしては困るので竹刀で相手をしていただったが、竹刀を突きつけられた若い夜兎の男・龍山は完全に戦意をなくしており、膝をついた。

 既に疲れとしないで殴られた腹が痛むのかぐったりとしている龍山に対して、は涼しい顔だ。相変わらず動きやすそうな袴姿で、竹刀を持ってまっすぐ立っている。



「あの程度の夜兎じゃ間合いに入れないのか、だめだなありゃ」



 阿伏兎は首をこきこきと回しながら、呟く。

 夜兎の怪力を生かすためにはの間合いに入らなければならない。だが、の動きは相手になっている夜兎よりも一段早く、こちらが傘を振り下ろすよりもが竹刀で相手をはじき飛ばす方が早いのだ。

 ましてやこれが真剣ならば、確実に死んでいる。

 相手の龍山もまだ若いとは言え夜兎で、しかも第七師団の中では腕利きの方だが、明らかに実力的にはの方が一段も二段も上だった。

 の剣術は少なくとも第七師団の誰も歯が立たないレベルで、一応きちんと剣術を修めているだろうが、野性的な勘が強いのか、我流のような考えもしないような動きをする時もある。頭も切れ、勘も良いので戦術も恐ろしく緻密だ。

 よく神威は強者とは、強き肉体と強き精神を併せ持つ者と言うが、まさに彼女はそれに相応しい。




「俺もやってかまわねぇのかい?」




 阿伏兎は手を上げてに尋ねる。竹刀を肩に乗せたは、小首を傾げてにっこりと笑った。



「真剣で良いなら、」

「おいおい、戯れだぜ。」

「やだなぁ、戯れでも勝負は勝負だよ。阿伏兎じゃ殺す気じゃないと勝てない。」



 涼しい顔で言うが、理由は十分に分かる。

 竹刀には所詮刃がついていない。もともとは居合いが得意だと聞いているが、竹刀ではそれは全く発揮できないと言っても良い。




「ちくしょ!次は絶対に勝ってやる!」



 龍山はを睨み付けて叫ぶ。



「いつでも来たら良いよ。負けないから。」




 は明るく笑って、彼に手をさしのべた。一人で立ち上がれなくなっていた彼は、仕方なくの手を取ってふらつきながら立ち上がる。



「こりゃ神威のことごたごた言ってられねぇわ。俺もやりてぇ。」

「真剣で斬り殺されたいなら良いよ。」

「…取り返しがつかねぇからな。」




 と真剣でやり合えば、間違いなく腕の一本くらいもっていかれそうだ。阿伏兎としてもとやり合いたいのは本当だが、は本気で殺す気で来るだろう。

 実力差があればどちらかが手加減すれば良いのだが、阿伏兎とならば本気でやり合えば、おそらくそれ程実力は変わらない。

 彼女の動きから、彼女自身もかなりの歴戦の強者だと分かる。流石神威がその強さに見ほれたと言うだけあって、経験も豊富で、勘所も良い。子どもの遊びではすまないだろう。阿伏兎も絶対本気で殺したくなりそうだった。

 まぁそんなことをすれば間違いなく、を殺したがっている神威に殺されるだろう。




「あぁ、惜しいねぇ。団長の女じゃなければ俺もやるんだが、」

「やめてよ。わたしも流石におじさんを手にかける趣味はないんだ。」

「はっ、言ってくれるじゃねぇかコノヤロー。」





 阿伏兎はふざけたように言いながらも、銀色の髪を一つに束ね、袴姿でまっすぐ天人の中で立つを見てため息をついた。

 確かに、戦っている彼女は美しい。

 その細い体も計算し尽くされた無駄のない剣術も、そしてその磨き抜かれた刃のように鋭く黒光りする漆黒の瞳も。

 神威が彼女にこだわる理由が十分に分かる。



「何やってるんだよ。」



 珍しく少し怒った声音の神威がやってきて、腰に手を当てて声を張る。

 不機嫌そうに眉を寄せる彼は、どうやらが勝手に団員の相手をしていることに不機嫌らしい。それが嫉妬だと言えば神威は否定するだろうが、どんな名前をつけようとも嫉妬で間違いはない。



「あぁ、姉御に相手をして貰ってたんです。」



 団員の赤鬼が神威に言う。途端に神威の横の壁に穴が開いた。



「誰に許可を貰って?」




 鮮やかなほどににっこりとした笑顔を浮かべて、神威が問う。

 それに団員全員が真っ青な顔をして、ちりぢりになって広場を出て行った。後に残されたのは逃げる気がないと、逃げ遅れた阿伏兎だ。



「何やってるんだよ。」

「遊びだよ。竹刀だし。」



 は不機嫌そうに殺気丸出しの神威にも、あっさりと答える。

 阿伏兎ですらたまに恐怖を覚える神威にも、は全くと言って良いほど怖がらない。恐怖という感情が無いとでも言うように、神威に襲われても冷静な目を失わない。

 今もそうだ。神威は相当怒っているというのに、は全くと言って良いほど冷静そのものだった。




「言ったでしょ。そういうのは不快だって。」

「言ったっけ?」

「言ったよ。」

「そう、ごめんね。」




 神威が言ってもどこ吹く風。あっさりと返して、笑って見せる。神威がどれだけ脅そうが、別段介さない。

 阿伏兎からしてみたら、神威よりも彼女の方が理解できない時が多い。



「阿伏兎、おまえも、次やったら殺しちゃうよ。」

「いやいや、俺は何もやってねぇよ。」

「うるさいよ。」




 神威は機嫌が悪いのか、完全に阿伏兎に八つ当たりをしてくる。

 基本的にに神威が口で勝てることはほとんどない。彼女は気づいていないが、のらりくらりとかわしていく。だからこそ、神威の苛々を煽るが、本人にぶつけようがないので他者にぶつけるのだ。全く迷惑な話だ。

 二人の痴話喧嘩で死んだ団員も何人かいる。



「それにしてもやっぱり強いじゃねぇか。文官なんてもったいねぇ。」




 日頃神威のやらない書類仕事をすべてになっており、一応会計役として雇われているだが、どう考えても会計役にはもったいない腕だ。

 阿伏兎も今日見て改めて思った。

 確かに夜兎のような怪力はないし、女だと言うこともあり非力だ。しかしそれを埋めてくる戦略と見事な剣術は圧巻で、十分にそれだけで夜兎に及ぶ。絶対的な怪力を持つ夜兎に対しても一ミリたりとも退かない精神性にも強さと自信が窺える。




「わたしがいなくなったら誰が書類仕事をするの。阿伏兎がするなら武官になるよ。」

「あ、それ良い案だね。」




 にあっさりと神威が賛同する。



「いや、おじさん遅いからね。より。」

「大丈夫だよ。阿伏兎だって時間をかければできるよね。わたしの5倍くらいかかるだろうけど。」

「寝る時間削れってか。」




 現在が毎日書類を処理し、それを何人か字の読める団員が手伝うことによって、ぎりぎりの状態で第七師団は回っている。が一日8時間勤務で処理しているそれを、阿伏兎が処理するのに五倍の時間がかかるとして一日分で40時間。

 が週休二日だとしても、阿伏兎が休み返上でも全く処理できないレベルだ。




「俺、の戦ってる姿見るの大好きだから、良いヨ。」




 神威は乗り気で、にこにこ笑っている。最近書類仕事に忙殺されていたも同じで、たまには武官をしたいらしい。

 悪魔のようににこやかに笑っている可愛い顔した二人に、阿伏兎は悪寒しか覚えなかった


何よりも強くあれ