吉原で一番高い、天守閣の屋根から見えるのは、星の見えない空と、漆黒の中広がる鮮やかなネオンだった。



「綺麗ね、」



 は珍しく弾んだ声音で言って、神威が屋根に下ろすと楽しそうに笑った。だが花魁の格好のままであるため、一歩踏み出した途端、滑らかな瓦と高い下駄の接地面がつるっと滑る。



「ふきゃっ!」



 後ろ向きに倒れそうになった彼女を、神威は慌てて支え、一緒に屋根の頂に腰を下ろす。



「馬鹿となんとかは高いところに昇るって言うから馬鹿にしてたけど、」

、重要なところが隠れてないんだけど。殺しちゃうぞ。」

「でも、すっごい良い眺めね。あの鳳仙の旦那が隠居して住むわけだ。」



 はきらきらした明るい漆黒の瞳で楽しそうに神威の方を見上げてきた。

 座るとの方が身長が低いので神威が上からのぞき込むような形になる。躰が密着しているので、薄暗い中で上から見るとの白い肌や胸元が目立つ。特に今日は花魁たちの着るような、少し胸元の開いた着物であるため、日頃はない胸の谷間が何故か気になる。

 そのため神威はふいっとすぐに目をそらし、眼下の光景に視線を戻した。



「別に鳳仙の旦那は、この景色が良くて隠居してたわけじゃないヨ。女に惚れたのさ。」

「…女?」

「さっき見ただろ、車いすの別嬪。」

「あぁ、うん。ってことは惚れた女に看取られたのか。そりゃ人殺しにしては立派な死に方じゃない。」



 は柔らかに笑って見せる。

 攘夷戦争に参加して、彼女は多くの大切な人を失ったという。戦場で死ぬ人間なんてのはゴミくず同然だ。実際に神威とて殺した相手の顔など覚えていない。他人をゴミ同然に殺し、そしていつか自分も他人にそうして殺される。それが人殺しの末路だ。

 人殺しとなった時から、もそれを覚悟して生きてきたのだろう。

 だからは自分が宇宙で働き始めると真っ先に、子供である東に自分が死んだときのための莫大な貯蓄や保険を用意した。いつでも死ぬことを覚悟しているし、それがろくでもない死に方であることも、予想している。

 神威は将来のことなどちっとも考えたことがない。今も昔もだ。でも、は多分いつも考えて生きている。




「ま、おまえは俺に殺されるんだから、関係ないヨ。良かったネ。」

「そりゃそりゃ、人殺しにしては大層な死に方ですこと。」




 は目尻を下げて、何とも言えない笑顔を作って神威の肩に頭を預ける。

 神威は自分が老いてどう死ぬかなんて考えたこともない。ただただ戦って、目の前の戦場を越えてきただけだ。きっとろくな死に方をしないだろうし、鳳仙の言うとおり、残るものも何もないんだろう。大切なものも、全部この手にかけるだろう。ですらも。

 でも、それを少しだけわびしく思う自分を見ないことにする。知らないふりをする。彼女を手にかけるその日が出来るだけ遠いことを、願っている。



「さて、戻ろうか。」

「え、もう戻るの?」

「当たり前だろ。なんのために来たんだよ。料理も食うよ。」



 当然だがを連れてきているため、女を買うつもりはない。目の前に女がいるのだ。その必要性はない。だが、せっかく地球の美味しい料理が食べられるのだ。その機会を逸するようなマネはしないし、珍しくにもうまい料理を食べさせてやろうと思っていたのだ。

 吉原は春雨の支配下にあるため、幕府の権力が届かない。幕府によって手配されているも、別に気にせずのんびりできるだろう。それに高級な客をもてなすために美味しい料理もあるはずだ。

 神威は別に高い料理に興味はないが、口が肥えているには嬉しいものだろう。



「あ、団員たちみっけ。」



 は眼下に広がる町でうろうろしている団員を見つける。



、おまえ目良いね。」



 ここは天守閣の屋根で、眼下の団員など神威でも目をこらさなければ見つけられない。だが確かによく見ていれば師団の団員のようだった。




「阿伏兎もいるよ。なんか、危ない玩具の店に入ったよ。」

「良いこと聞いた。後であいつの部屋探って放り出しとくよ。相手もいないのに道具なんて哀れな男だよネ」

「相手いるんじゃないの?実は。」

「いると思うの?」

「…思わないかもね。頭もじゃもじゃだし。」

って本当に阿伏兎に冷たいよね。」



 彼女は大抵の人には親切だ。部下からの信頼も厚く、むしろ神威よりも人望があるのではないかと真剣に思う程、天人たちに慕われている。なのに、阿伏兎にだけは前から非常に冷ややかだ。



「そうかな。生理的に受け付けないだけだよ。」




 はそう言って、今度は滑って転ばないように慎重に立ち上がる。

 きらきらと光るネオンと漆黒の空、それを背景にしてすっと背筋を伸ばして立つ彼女は美しい。結い上げられた銀色の髪に、鮮やかな緋色の着物がよく似合っていた。赤い着物とコントラストをなす白い肌も、酷く扇情的だ。



「…」




 日輪のように美しいが、肉体的に弱い女に神威は価値を感じない。はどこまでも強く、刃のように強靱な意志と、美しさを持っている。だからこそ、神威は彼女をどこまでも気に入っている。

 だが、彼女がもしも違う男のものになると言うのならば、鳳仙のように足の自由を奪うかもしれないなと、ふと思った。ただその思案は一瞬のもので、すぐにそのことを神威は自己防衛のためにも忘れた。
何故かのんびり