夕刻になってやっと起きたに月詠が持ってきたのは、青菜を使った粥と漬け物だった。
いつもは一つに束ねている銀色の癖毛を結わえることもなく、は赤い襦袢姿で肘置きにもたれるようにして身を起こしていた。とはいえ散々一晩中、その上昼間で神威に躰を貪られたため、本当なら起き上がる気にもなれない。
だが、それでもどうしても気になることがいくつかあるため、は起きることにしたのだ。
「神威、どこに行ったか知ってる?」
月詠に尋ねると、が目を覚ます少し前に、消化に良さそうな夕飯を出すように言って出て行ったと答えた。
「おぬし、あやつの恋人か?」
「さぁ?」
は月詠の疑問に首を傾げる。
名前をつけるなら、まぁ恋人という関係性が正しいのかも知れない。彼はのことを心の底から好んでいるのは間違いないし、可愛いとか好きだとか、そういう言葉はいくらでも口にする。だが実際に恋愛感情とは少し違うような気がした。
とはいえも恋愛感情などよくわからないから、名前をつけられれば昔のように戸惑ったかも知れない。
「まぁ、お気に入りってとこかな。」
は襟を正し、動きにくい躰で何とか帯をしめようとすれば、月詠が手伝ってくれた。
「江戸かぁ、」
ずるずると重たい身体を引きずって、は障子を開け放つ。昼間には空へと続く扉が開け放たれており、太陽がもうすぐ沈むのか、赤い光が町を照らし出している。窓辺に座って、は大きく息を吐いた。
「地球にこんなに滞在するのも久しぶりかなぁ。」
眼下に広がるは吉原の町を見つめる。かつては見慣れた服装の人々が行き交う町。
まだ花街が開くには明るすぎるが、夕焼けの赤い光がゆらゆらと揺れている。ここで多くの女たちが春を売り、何とか生きているのだろう。
「宇宙は長いのか?」
煙草をふかしながら、月詠は尋ねる。どうやら話し相手になってくれるらしい。もしくは春雨に雇われているや神威を警戒しているのだろう。
「うん。もう3,4年、随分たったなぁ。」
彼と行動をするようになって、宇宙に出て、もう随分とたった。あれほど宇宙に出るには勇気がいったのに、出てみると生活に困ることもなく、駆け抜けるようにここまで来たように思う。腕っ節と頭で神威とともに走ってきた。何やらとんとん拍子でいつの間にか神威も春雨の提督にまでなった。
の地位もおかげで安定し、超過労働はあるが、生きていくのに困っていない。
「…おぬし、神威に妹がいることは知ってるか?」
「聞いたね。」
たまに神威はぽつりと自分のことを話す。
少なくとも年のいくつか離れた妹がいたことと、父親である星海坊主を殺そうとして腕を一本奪ったが殺されかけ、その後家出したと聞いている。彼は嘘をつかないし、過去に関して隠しもしない。彼の一番の美徳だと思う。
「ここでやり合ったことは?」
「それも聞いたね。妹に会ったけど弱かったって。あと銀色の髪の侍?一瞬わたしが今すぐ殺されるのかと思ったね。」
は丁度出かけていたため知らないが、彼は楽しそうに強い銀髪の侍がいたと笑っていた。
鳳仙の末路に関して、部下たちから報告は受けている。神威はまったく吉原のことに興味がないが、一応適当な管理はも行っている。そのためことの顛末くらいは報告を受けているし、日輪を中心としていたことも、知っている。
そういう点で、月詠が神威よりもを見張るというのは正しいかも知れない。いつも戦闘以外の実務的なことに関わるのはだ。
「ま、神威と一緒にわたしは楽しく、気長に行きますわ。」
はにっこりと月詠に笑って見せる。その笑顔は、月詠が知る銀髪の男の清々しい笑みによく似ていて、僅かに目を見開く。
「おんし、」
兄は、いるか?と口を開こうとしたが、廊下に通ずる襖がぱっと開いて、神威が帰ってきた。
「おかえり、神威。」
「ただいまー。俺たち、一週間半くらい、休暇ね。ここに泊まるし。」
「え?」
は突然の神威の発言に首を傾げる。
神威が任務のついでにをねぎらい、ついでに自分の性欲を満たすために吉原にやってきたのは知っているが、そんな長い間休暇を取るなど、聞いていない。当然だがその予定もなかったので、仕事の引き継ぎなどの準備もしていない。
「ちょ、ちょっと待って、え、書類とかどうすんの!?処理終わってないよ!?」
「大丈夫大丈夫。阿伏兎に押しつけてきた。」
「え…それって大丈夫?」
「大丈夫。提督の俺が言ってるから、どうにかなるヨ。だからの好きなところに行こう。」
「えぇ…?わたし、地球に長期滞在自体、もうかれこれ数年ぶりなんだけど。」
しかもは指名手配犯だ。出来ることは限られているわけだが、神威にとっては別に大きな問題ではないのだろう。いや、正直に言うと色々とまずいだろうが、ここまで用意周到にやっている限りは、神威も譲らないはずだ。
「…仕方ない。かな。」
は小さく息を吐いて、仕事のことは今のところは忘れることにした。
予期せぬ休暇