神威は床を思いっきり傘で叩いてはみたが、鉄板は壊れる様子を見せない。


「ちょっとこれ、全然壊れないんだけど。」



 夜兎の怪力をもってしても破ることが出来ないほどの隔壁は、対戦艦、大砲用など特殊なものでなければならない。と星海坊主が落ちたことを考えれば、この床は何らかの条件下において開くはずだ。だが神威にはそれがわからない。



「どっか押したってことか?」



 阿伏兎は床に突起物やボタンがないかを探すが、見たところ何もなさそうだった。



落ちたんだけど、ってかこれ下行けなくない?」



 神威は焦る気持ちとともに舌打ちをし、傘で思い切り殴りつけるが、傷一つつかない。その下に爆発したり、何らかの必要性があるからこそ、これほどの強度を誇る隔壁を床に用いているのだろう。

 要するにこの下に何かあるのだ。



「まぁ、星海坊主の奴との二人なら、そうそう問題はねぇだろ。」



 阿伏兎は傘を構えたまま、周囲に警戒の目を向けてから言った。

 普通に考えるのならば、第七師団一の頭脳を持つと、宇宙最強のエイリアンハンター星海坊主であれば、戦艦に相当する戦闘力があるだろう。は非力だが、腕は立つ。足手まといにはならないだろうし、星海坊主の頭の足らないところはが補うはずだ。



「まぁね。でもどーも引っかかるんだよね。あのからくりとの態度。」



 神威はの言い逃れの仕方がどうしても引っかかったのだ。

 ことの始まりは彼女の言ったとおりお金と神威の絶倫から逃れるためだろうが、彼女は恐らくあのからくりをよく知っているだろう。



「母艦のプログラムの話か?うがちすぎじゃね?」

「そんなことないよ。おかしいだろ?がからくりに気づいたのはさっきなんだ。なのにが母艦で組んだプログラミングはからくりに対抗できる。あらかじめ、想定してたってことじゃないの?」



 は塔に入って蜘蛛を倒した時はじめて、この星のエイリアンたちにあの小さなからくりが使われており、それによって彼らが大陸を占拠していると言うことに気づいた。彼女がスマホで確認していたこと、そして母艦に団員を下げたことから間違いない。

 だが、があらかじめ母艦に入れた防衛プログラムには、あの小さなからくりに対する耐性がある。



「…?それってなんか重要なことか?」

「おまえ馬鹿だよネ」



 神威は阿伏兎に向けて傘を思い切り投げつける。生憎阿伏兎はすれすれの所でよけ、傘は壁に突き刺さった。



「おいおいおいおい、どういうことだよ。」

「そういうことだよ。はこの星の生物にあの小さなからくりがつけられているかどうかについては知らなかった。でも、もともとある程度あの小さなからくりが危険なものであることを知っていたから、防衛プログラムを入れてた。」



 この星の生物にあのからくりが入れられているのを知っていれば、は団員を母艦から出さなかっただろうから、それはない。だがは、あらかじめあのからくりがどういったものであるか、という知識は持っていたのだ。



「えっと、どういうこと?おじさん馬鹿だからわからないんだけど?」



 段々話が見えなくなってきた阿伏兎は、かりかりと青い顔でこめかみを人差し指でかく。



「仮に有名なからくりなら、あのくそ親父が知らないはずがない。なのに親父は知らないのにはこのからくりが危険だと言うことを知っていた。しかも有効的な対処を知っていたってことは、何らか地球で関わったことがあるんだろ?」



 神威と宇宙に来た時、は地球を出るのは初めてだと、笑っていた。当然だが母艦のプログラムを組み直したのは、神威が第七師団の団長になってすぐのことだ。

 エイリアンを支配して、大陸すらも制覇するほどの力を持つ小さなからくり。しかし宇宙中を旅している星海坊主ですらも知らないほど、別に有名でも何でもない、小さなからくり。その対処法をが母艦のプログラムに入れたのは、恐らく地球でその危険性を知っていたからだ。

 彼女はエイリアンを支配するあの小さなからくりがなんであったのか、どういう性質であるかを、理解していたのだ。任務など関係ない、ずっと前から。



「過去の因縁があるってことか?」

「だろうね。」



 神威は小さく頷いた。



「なんだっけ?じょーい戦争ってやつじゃないかな。」

「あ?なんだそれ。」

「地球であったって戦争らしいよ。先生助けたいから参加したって、まぁそれも嘘じゃないんだろうけど、それがメインじゃない気がするけどね。」

「おまえさん、さっきもだが、案外の話はよく聞いてんのな。」


 阿伏兎が少し驚いたような顔をして神威を見る。

 確かに神威は人の話は基本的に聞いていないし、聞く気もない。覚えている必要もないから、見事に自己中心的に生きている。他の人間や他のことに、必要性を感じないからだ。

 しかし、に対して、神威は一定の注意を払っている。



「言ったろ、あれは俺の。殺すのは俺だって。」



 神威はを自分のものだと思っている。それは人からすれば単純な恋愛感情なわけだが、神威はそれに名前をつける気はない。

 は強い。あの鋼のような漆黒の瞳は、いつも神威をぞくぞくさせる。将来的にはに自分の子供を産ませ、彼女が強くなくなる前にはその手で殺す。そのために彼女を生かしているのだ。彼女を自分から奪って殺そうとする人間は大嫌いだし、本人である彼女の動向にも基本的に注意を払っている。



「でもあいつがなにかを誤魔化そうとしたとこって、あんまねぇんだけど。」



 阿伏兎が聞けば、自分の過去でも何でも、質問に従って普通の答えを返してくる。確かにその認識は間違っていないが、それもの賢いところであり、阿伏兎は踊らされていると神威は思う。



「それが完全にだまされてるんだよ。嘘はつかないけど、冗談や皮肉であしらわれたり、黙ってるってのは山のようにある話しさ。実際おまえ、の何知ってるの。」

「え、あー、あれ?…結構俺、知りたいこと知れてねぇかも。はぐらかされたことしかねぇかも。」



 は自分にとってその質問が不都合な時、慌てたり、表情に出して狼狽えることは少ない。ただ、じっと眺めてなにかを考えたり、皮肉や冗談で話をそらすことはよくある。本質しか見ていない神威には、それがごまかしだと、一緒にいるようになってすぐに気づいた。



「だから、まぁ、早く合流しないとね。」



 がいらないことをする前に、と神威は小さく息を吐いて傘を構える。何故か自分たちの背後にはいつの間にか、エイリアンやたくさんの天人たちがいて、神威と阿伏兎に銃を向けていた。



心配



 星海坊主がぽかんとした顔でを見ている。

 その間抜けな顔も、やっぱり普通のおじさんで神威に似ていないなぁと思いつつ、もうかれこれ数年ぶりに会うぽち君に目を向けた。

 ゆらゆら気泡が揺れる、水槽の中。確かにそこに、ぽち君はいた。



「いやいやいやいや、お嬢ちゃん、こ、これ、なにかわかってるか?」



 星海坊主は何故か手をひらひらさせて、汗をだらだら流す。



「え?」

「だって、これ、これ、金魚だろ!?」

「もちろんそうですよ。ぽち君一号は金魚です。」



 “ぽち君一号”は丸いフォームに、ふりふりのしっぽ。琉金と呼ばれる、頭の大きな、金魚だ。元々は夫の実家で飼われていた琉金で、それを可愛いからと言ってが祝言の際についでに連れてきてもらったのだ。

 とはいえ彼は攘夷戦争が始まるとほとんど隠れ家にはいなかったため、それを育てていたのはだった。



「可愛いですよね?この丸いフォームとふわふわが。」

「いや!え、え、ってかなんでこのグロテスクな研究所に金魚?!」



 星海坊主の疑問は最もだった。

 他の水槽に入っているのはキメラと言っても良いような、腕やら筋肉やら脳やら、それらのつながった生命のなれの果てだ。なのに、この金魚だけは、どこからどう見ての普通の金魚だ。ただの可愛い琉金である。



「何言ってるんですか、このぽち君一号はすごいんですよ!!」

「いや、金魚だろ!?所詮金魚だろ!?」



 はあまりの星海坊主の言い方に、むうっと口角を下に曲げる。どうやらこの金魚のすばらしさは、星海坊主には伝わらないらしい。は腰に刀を抜き、水槽を割る。そしてそこから出てきた水と一緒に金魚をすくい上げた。



「久しぶりだね。ぽち君1号。」 



 は笑いかけるが、返事がない。



「…ぽち君―、あれ?返事がない。」

「嬢ちゃん!!だからただの金魚だろ!?」



 星海坊主は大声で突っ込む。本当に父親のくせに神威に似ておらず、うるさい奴だな、と心底思いながら、はビーカーの中に入っている金魚を眺める。

 数年前とまったく変わらぬ丸くて健康的な姿に、は小さな笑みを浮かべる。だが同時に、ぽち君に対する申し訳なさも確かにあった。



「ぽち君、やっぱり怒ってるんだね。…仕方ないよね。置いていっちゃったわけだし。」



 攘夷戦争から足を洗った時、は刀二本と脇差一本持って、それ以外何も持っていなかった。つけたのはお金の算段だけ、残すものも、残されるものへの配慮も、するだけの余裕は何もなく、ただ身一つ持って、逃げ出した。

 にとって、守らなくてはならないものは、ただ自分のお腹の子供だけで、それ以外を心配する余裕なんてなかった。今まで守られてきただけだったにとって、他人を守るというのは存外負担のかかることだった。

 は確かに賢かったかも知れない、腕っ節もあったかも知れない。だが、弱かったのだ。精神的には常に兄や夫に頼ってきていて、弱かった。

 だから、欠片の余裕もなかった。



「でも、あのからくりって、誰が研究してたんだっけ?」



 は天人によって投入されたあの小さなからくりの処理を、攘夷戦争時代に行ったことがある。人間も、エイリアンも死体も、全てを操る小さなからくりは恐らく、どこかの星で作られ、使用が禁止されていたものだろう。

 だがそれを天人たちは地球で投入し、多くのの仲間たちがやられた。その小さなからくりに最初に気づいたのは、鬼兵隊にいた平賀源外の息子だった。

 小さなからくり。それは身体の中枢に根を張り、流動体の金属を媒介して躰を支配下に置く。そして中枢システムから出される命令通りに、人や物を襲う。生体兵器と呼ばれるものを、は生まれて初めて実際に見た。

 兄や夫、そして仲間たちがそれに脅威を感じて、メインシステムを置いていた要塞を壊滅させるために、大きな犠牲を払ったことをはよく知っている。

 まだ10代半ばと若かったにはことの重要性がわからなかったが、その頭脳と知識でシステムを無効化したのは、だった。機械工学の知識も、医学の知識もは持っていた。だから、要塞の攻略作戦にかり出された。

 ただし詳細には全く興味がなかったので、誰が発明したのかも誰が作ったのかも記憶にない。わかっているのはその後が自分でそれを引き継いで作った物だ。



「…お嬢ちゃん。」

「くどいですね。これは金魚じゃないって、」

「そうじゃなくて…」



 星海坊主が非常に言いにくそうにに言う。が改めて振り向いてみると、そこには耳の生えた天人が山のようにいた。


ぴっちぴっち