もう人ではなくなってからずいぶんな時間がたっていた。いつの間にか人として生きた時間よりも兵器になってただ過ぎた時間の方が長くなっていて、彼女の名前は兵器系統の名前となっていた。主人の命令でたくさんの人を、ものを壊した。

 要塞の中枢システムを管理し、同時に他のからくりを操る。低脳なエイリアンを操る小さなからくりを通じて、全てを壊してきた。たくさんの人を殺してきた。

 こんなはずじゃなかった。こんなふうに自分の命を使うつもりではなかった。

 志があって、守りたい人がいて、この道を選んだのに、いつの間にか心を失い、本当の機械になっていた自分を止めたのは、一人の少女だった。



『ここまでこれば、こーんなプログラム止めるのは簡単だよ。』



 漆黒の大きな丸い瞳に、白銀の長い癖毛。肩に金魚をつれた無邪気すぎる、まだ10代の少女は、にんまりとこちらに笑って見せた。彼女は半分機械、半分人間である自分のプログラムを完全に止め、そして人としての尊厳をまた取り戻してくれた。



『貴方はもともと人間なんだよね。大切な人のために命まで捨てたって、貴方はすごく優しい人だったんだ。忠犬ぽち君だね。よし、おまえはぽち君2号だ!』

『忠犬はハチだったと俺は記憶しているんだが。』

『そうだっけ?』



 という名前の少女は夫の言葉をさらりと交わして、何故か“ぽち君2号”と呼んだ。元々人だったことを思いやった彼女の夫は、結局“早苗”と呼ぶようになった。

 ただの要塞を守る機械の中にあるプログラムとかしていた早苗に、は人間とそれほど遜色のないからくりの体と仲間を与えて自由にしてくれた。ほとんど心も脳みそもそのまま移し替えられた早苗は、によって与えられた命令が一つだけあった。

 一つはの夫、兄、そして長髪の幼馴染み、計三人を絶対に攻撃しないことだ。はその中に、自分を入れていなかった。それは彼女の危機管理能力の欠如そのものだった。

 彼女は自分の力の危険性を何もわかっていなかった。

 藩の新型砲台の発案者であり、機械工学、生命工学の幼い、天才。芸事も勉学も、何をやらせてもトップクラス。早苗の脳内のプログラミングの対策案も一瞬にしてはじき出した。金魚のぽち君1号の延命措置と機能は誰が見ても、いや、宇宙の中でも十分に驚くべき成果だった。

 しかし倫理観のない天才が生み出す弊害は恐ろしい。それを、幼馴染みや彼女の夫、兄が常に止めてきた。



『わたしは、みんなといれればそれで良いんだ。』




 彼女は無邪気に笑っていた。どこまでも、彼女は子供だった。

 白い悪魔と呼ばれても、幾多もの天人の戦艦を宇宙から引きずり落とし、時には全ての天人を壊滅させる兵器を作っても、彼女はその意味を理解していなかった。彼女はただ、兄や夫、幼馴染みと一緒にいたいという、そう、自分の居場所を守りたかっただけだった。

 だから、突きつけられた現実に耐えられなかった。



『何故、何故ですか?』



 震える声で問うと、彼女はフードをとって早苗に顔を見せた。



『命が惜しくなったのさ。』



 彼女は自分の研究の始末も、仲間たちを守ると言うことも、兄や夫、幼馴染みですらも全て捨てて、保身に走った。自分のふるった力と、それが引き起こした事態、被害者、そして加害者を見て、は恐怖し、戦場から逃げ出したのだ。

 何もかも放り出して。

 そんなこと本来であれば許されるはずはない。理由をどれほど聞いても、彼女はその一言を繰り返すだけで、本質的なところには触れないし、言い訳一つしなかった。

 それが答えだった。



『裏切り者、』




 早苗は彼女に渾身の力で叫んだ。でも淡く笑んだだけだった。

 彼女がいなくなってすぐ、攘夷志士たちは瓦解し、攘夷戦争は天人の勝利によって終結。かつては攘夷志士ばかりがひしめいていた要塞には、天人たちがやってくるようになった。

 大容量の記憶領域を持つ早苗は天人たちの手によって改造され、この星においては、小さなからくりで低脳なエイリアンを操って大陸を制覇するだけでなく、メインシステムや人型のからくりをも統括するようになっていた。宇宙へと天人たちとともに運ばれて時には星を滅ぼすため、戦場へと送り込まれた。

 昔と同じ、ただ兵器として生きる日々の中でを見つけたのは、偶然だった。

 あの日と同じように、彼女はまず従えた金魚で低脳なエイリアンたちを止め、そして中枢である早苗の所までやってきた。だが、今度こそ、彼女を殺さなければならない。あの裏切り者を止めなければならないと、思った。

 ぽち君1号とかわいがられていたあの金魚は幼い頃からの傍にいるから、どんなことがあっても金魚の時の記憶が消えず、は理由があって戦場を去ったのだと信じていた。だが、早苗は許せなかったのだ。

 彼女は何故、自分に体を与えたのだ。失っていた心を与え、動ける体を与え、それでいて壊しもせず、いらなくなったら捨てるのか。

 それでは自分を兵器に変えたあの研究者たちと、いや、あの研究者たちよりずっと残酷だ。



『貴方は、死ななければならない。』




 早苗はその言葉とともに、自分の腕を銃に変え彼女に向ける。

 彼女は漆黒の瞳を丸くして、早苗の方を見ていた。どうやらぽち君1号の一撃で死んだと思っていたらしい。だが、一定時間機能を停止すればまた動くことが出来るし、一定再生することを彼女も知っていたはずだ。

 何の躊躇いもなく、引き金を引く。



 ―――――――――――忘れんなよ



 低い声が響いた。遠い日の映像が蘇る。それと同時に、早苗は否応なしに機能停止を余儀なくされた。それこそが本当の約束だった。
手を伸ばす 届かない









 完全に胸元を狙って打たれた銃弾をよける程の時間はにはなかった。たたき落とすことも、刀を抜くことも出来ず、体をずらすことで致命傷を避けようとしたが、神威の手が先にを引き寄せた。





「あー、痛いなぁ。」




 神威は銃弾の当たった左手をひらひらさせ、ため息をついて、それと同時に反対の手で傘についている引き金を引く。その銃弾をからくりの女ははじき飛ばしたが、次の瞬間、追い打ちをかけるようにの傍にいた金魚の口がかぱっと開き、きゅいっとエネルギーが収束する音がしたかと思うと、途端に火を噴いた。



『機能停止を確認。目標をコンプリートしました。』



 今まで片言だった金魚が、突然流ちょうに言う。だが、女のからくりが機能を停止すると同時に、先ほどまで動きを止めていた人型のからくりたちが一斉に動き出した。



『裏切り者に、死を』



 からくりが唱和して、を睨む。神威がちらりと彼女を見るが、彼女の漆黒の瞳は相変わらず慌てる風もなく、ただ落ち着いていて、神威の手から溢れている血を見ていた。



「か、神威、手から血、」

「このぐらい夜兎なんだからすぐにふさがるよ。」



 はただの銃弾でも死ねるだろうが、夜兎の神威にとって別に銃弾など問題ではない。すぐにふさがって終わりだろう。

 からくりが動き出したのを見て、神威はため息をついた。

 すぐに引くのが得策だろう。どうすれば良いのか、ちらりとを窺うと、彼女はぱっと状況を見て、すぐに阿伏兎へと手を貸した。怪我が酷すぎて一人では動けないのだ。日頃冷たい態度をとっていても、はなんだかんだ言って優しい。



「阿伏兎、動ける?」

「俺が手を貸す。」



 神威はすぐに言う。は先ほどまで金魚が入っていた水の入ったビーカーをとってきてそれを金魚に飲ませる。途端に金魚が白い煙幕を一瞬の間にはき出した。というか、煙幕と言うより湯気だ。

 本来からくりに煙幕はきかない。彼らは熱探知など別の手段を使っており、視界が重要ではないからだ。しかしどうやらこの煙幕は、彼らにとってもきちんと目くらましの意味があったようだ。は床をいくつか引きはがし、通路に入る。

 星海坊主がそれに続き、神威も阿伏兎を引っ張りながら仕方なくを追った。



「今のはなんなんだ。嬢ちゃん。」

「電磁波を含む、湯気ってやつで、からくり相手には有益なんですよ。」



 星海坊主の質問に端的に答えて、は前へと進んでいく。どうやらからくりはこの細い通路へ感づいてはいないらしい。ぱかっと口を開いたままの肩に掴まっている金魚が、多分何らかの妨害電波でも出しているのだろう。

 狭い通気口の少し広がったところまで来て、は神威に引きずられている阿伏兎の方へとやってくる。



「どう?」

「うーん。無理じゃないかな。」




 は端的な結論を下した。阿伏兎の怪我の応急処置はこの場で出来るが、連れ回せるような怪我ではないのだろう。神威は心底冷たい目で阿伏兎を見下ろして、ため息をついた。



「本当におまえ、役に立たないよね。」

「うっせぇよ。仕方ねぇだろ!あんなからくり予想してなかったんだから!」

「人型のからくりねぇ。」



 からくりというのは知識がないと戦うにしても、結構難しいものだ。夜兎でも手間取るほどの威力を持つからくりも多い。



「この下に絶対中枢司令塔があるはずだから、人型のからくりはそこを止めないと無理だよ。生身でからくりとやるなんて馬鹿のすることだ。わたしは死にたくないね。」



 は冷静にスマートフォンを取り出して、なにかを確認する。神威が横からのぞき込むと、中枢司令塔の地図を出してきていた。どこかでハッキングして持ってきたのだろう。相変わらずどこまでも賢い女である。

 は何に対してもあまり執着がないが、子供に対してだけは確固とした意志を見せる。神威がの息子である東をかわいがるのも、彼女の心の琴線がそこにあると何となくわかっているからだ。そして自分を大切にしない彼女だが、子供のために、絶対に生き残ろうとする。

 危険な橋を必要性なしに無計画に渡るのは、神威だけだ。とはいえ、彼女は他人を数に入れない。頼らない。



「っていうかさ、話し途中で終わったから聞きたかったんだけど、1号はこの金魚なんでしょ?2号は結局なんなの。あのからくり全部?」



 神威は阿伏兎に自分のマントをかぶせてから、の方を振り返る。




「うん。というか、中枢システム自体かな。」

「低脳なエイリアンを操ってた小さなからくりみたいに、1号には止められないの?」

「わたし、…制作者を攻撃しないプログラムを入れるの忘れたんだよね。」




 は三角座りをしたまま、しょぼんとうなだれる。珍しい反応に神威の方が驚く。




「え、嬢ちゃん。制作者なのか。」




 星海坊主はが賢いことこそわかっていたが、まさかそこまでとは考えていなかったらしい。




「…まぁ制作者のプログラムを書き換えたって感じですね。元々あった要塞のプログラムを元に、わたしが作ったんです。ぽち君2号。多分それを使ってるんですよ。この要塞とあのからくり。」




 は何故か雇っている側だというのに、星海坊主に敬語を使う。神威は父親とが話しているのが何故か不快だったが、知らない振りをして、自分の気になることを尋ねる。



「あのからくり、さっき早苗って呼ばれてなかった?」

「早苗は元々ある人の脳みそから作られたらしくて、人間が元だから、ぽち君っていう名前は嫌だったみたいで、気づいたら、わたしの旦那がつけた早苗って名前、名乗ってた。」



 は目尻を下げて、悲しそうに言った。どちらかというと彼の方がまともな感性の持ち主であることは、神威にもわかった。



「嬢ちゃんそりゃな、ぽちって言ったら、犬の名前だろ?犬でも適当な名前じゃねぇか。」

「ぽち君可愛いじゃないですか!わたしは自分の子供にもぽち君って名前をつけるのに!!」

「ええええええ!?嬢ちゃん、まさか子供にそんな前つけたんじゃねぇだろうな!」

「つけてませんよ!!ってかぽち君のどこが悪いんじゃないですか!」

「いや、子供の名前がぽちっておかしいだろ!!」




 星海坊主とが言い争いを始める。それを神威は冷たい目で眺めながら、少なくとも子供が生まれたとしても、名前は自分がつけようと心に誓った。




気が合うのか 合わないのか