結局大柄の阿伏兎とか言う男の置いてけぼりは決定した。



「肩痛い…」




 は廊下を歩きながら、先ほど神威にはめてもらった左肩を回す。




「やっぱちゃんとはまっていないんじゃないのか?」




 星海坊主は小さくため息をついて、彼女の肩の様子を確認しようとしたが、冷えた声が止めた。



に触るなよ。」



 殺気を向けられ、後ろを振り向くと、神威が絶対零度の青い瞳で、笑むことすらもなく星海坊主を見ていた。

 星海坊主にとって、神威は自分の腕をとって家を出た、ろくでもない息子だ。それでも息子を愛していなかったわけではないし、今も心配はしている。だが自分は夜兎だ、殺意とともに襲いかかられれば、今度こそ殺し合いになるだろう。

 本能を押さえられる自信は、どこにもなかった。



「親子喧嘩はよそでやってくれる?星海坊主さんもですよ。一銭の金にもならないんだから。」



 彼女にしては低い声が響いて、がしっと神威の手を掴む。



「ちょっと、。俺、前言わなかった?こいつ俺の…」

「神威の過去の話とかどうでも良いから忘れちゃった。」

「それ、俺がいつも言ってることだろ?」

「うん。貴方がわたしの過去がどうでも良いように、わたしもどうでも良いの。」

「…」



 神威は眉を寄せていたが、それでも星海坊主を今襲う気は萎えたのだろう。傘を自分の肩にのせてため息をついた。




「嬢ちゃん、面白い奴だな。夜兎が恐ろしくないのか?」




 星海坊主は思わず、尋ねてしまった。



「は?」




 彼女は漆黒の瞳を見開き、怪訝そうな顔で僅かに首を傾げる。



「何がですか?」

「俺たちは夜兎だ。夜兎の本能の話も、聞いてるんだろう?」



 戦いを好み、数々の星をつぶしたと言われる、戦闘種族。その本能も怪力も、彼女は間近で見てきているはずだ。博識の彼女が自分の傍にいる夜兎について、知らないはずもない。しかし彼女は阿伏兎にも、神威にも、そして星海坊主にですらも、どこまで普通で、争うことも全く臆さない。

 彼女の漆黒の瞳に恐れも怯えも存在しない。



「…怪力だから怖いんですか?じゃあ、さっきのからくりの方が怪力ですし、丈夫ですし、怖いじゃないんですかね。警戒してくださいね。夜兎でも吹っ飛びますから。」



 は星海坊主の質問の意図が理解できなかったのか、少し口元に拳をあてて考え、気のない様子で答えた。




「いや、そうじゃなくて、隣にそういうのがいるってのは。」

「夜兎だって言われたら、警戒はしますよ?」

「一般的にな、嬢ちゃん。普通逃げるとかさ、びびるとか、隣にいたくないとか、」

「熊とかライオンとかもそうですけど、逃げて後ろから襲われたらどうするんですか?相手の動向をよく見て隙をつかないと、」

「そういう現実的な話じゃなくて…。」



 星海坊主がしたいのは、夜兎という存在そのものに、恐れを感じていないのか、それは何故なのかと言うことだ。夜兎と言えば戦闘種族で、傍にいれば必然的にそれに殺される可能性もあるわけだ。ましてや神威にならば、いつでも殺される可能性がある。

 そのために神威は彼女を自分のものとしているようなものだ。なのに、彼女はどうしてそれを恐れていないのか。




「…単純な力だけなら、物理法則じゃないですか。怪力とかより、からくりの方が怖いですよ。」




 は実に落ち着いた様子で星海坊主に言う。



「わたし、地球の指名手配犯ですし、殺した数なら、わたしの方が貴方より絶対に多いですしね。」



 漆黒の瞳はどこまでも冷えていて、ただ丸く星海坊主を映す。口元は、淡く自分を嘲るように笑っていた。



「は?」



 神威も流石に驚いたのか、青色の瞳を見開く。




「何言ってんだ、嬢ちゃん。俺は数多の戦場をかけた天下の星海坊主様だぞ。」




 星海坊主はこれでもうん十年戦いに身を置き、数多の戦場で多くの天人を殺してきた。



「怪力より本能より、世の中には怖いものがあるんですよ。おじさん。」



 は懐から、最初に殺した蛇などの低脳エイリアンからとった、小さなからくりを出してくる。



「…なんだいそりゃ。」


 夜兎として、戦いの中で生きてきた。その中で感じた恐怖を、星海坊主は覚えている。向けられた恐怖も全てだ。ただ彼女は虚勢でも何でもなく、夜兎を恐れていない。その漆黒の瞳は、目の前の星海坊主や神威、そして夜兎など見ていない。




「自分と無知、です。」



 小さなからくりに目を向け、はただ、静かに笑う。それが彼女の答えだった。

悔恨のありか






「ここを壊しゃいいのか?」




 星海坊主がに尋ねる。




「はい。」



 は淡々と指示を出していく。彼女は恐らく夜兎の怪力も、道具の一つとしか思っていない。だが別に特別必要としているわけではなく、もし星海坊主がいなければいないで、自分でどうにかする方法を考えるだろう。

 いつもそうだ。何がむかつくって、こっちは彼女が傍にいて、結構満足しているのに、もっと頼ってくれないと、なんだか必要とされている気がしなくて、神威としては不服なのだ。



「ぽち君、ここのコードからハッキングかけられる?」



 が肩にいる金魚に尋ねると金魚は首を横に振ったというのか、そもそも首が存在せず、丸々太っているので体を振ったのかわからないが、ひとまず否定的な態度を示した。



「そっか、やっぱ無理か。これは行かないと駄目かな。」



 は少し困ったようにスマートフォンの地図を広げた。




「その点は何?」



 神威はスマートフォンの画面を覗きこんで、に尋ねる。



「緑の点がからくり。」



 見る限り、緑の点はすごい速度で動いている。どうやら自分たちを探しているらしい。置いてきた阿伏兎が見つからなければ良いが、死ねば死んだでそれまでだろう。神威は彼に対する憐憫は生憎持ち合わせていない。

 ただが死ぬことに関しては、神威もやはり嫌だ。

 の横顔を見ると、いつも通り漆黒の瞳はぼんやりしているし、それは一見すれば落ち着いてもいるように見える。

 彼女は、無理をしすぎだ。第七師団の参謀兼会計役になった途端、彼女はまさかの仕事人間になった。部下になった青鬼と赤鬼曰く、気づけば眠っている姿など見たことがなく、ひたすら仕事をしているらしい。息子の東の食事や寝かしつけなどはするそうだが、神威がいなくなるとすぐに仕事に戻るそうだ。

 はいつもそう。




「もっと頼ってくれたら良いのに。」




 頭も良い。腕っ節も強い。そして子供を守るためにたたき上げた強い心を持つ彼女は、無理してでも全てを自分一人で背負って、終わらせようとする。他人に負わせずとも、多少無理をすれば出来るからだろう。

 もっと楽に、さぼりながら、一緒に行けば良いのだ。



「どうしたの?」



 黙っていた神威が気になったのだろう。けろりとした顔で、聞いてくるがすごくむかつく。



「いたたたたたた、何するの!!痛い!!」

「ごめん。むかついたから。」



 神威は先ほどはめてやった彼女の細い肩を軽くもんでやりながら、周囲を見る。はスマートフォンの画面を叩くのに忙しそうだ。

 少し離れて足下を見ると、通気口から犬っぽい天人が見えた。



「ずっと考えてたんだが、あの嬢ちゃん、地球の攘夷戦争に参加してたんじゃねぇのか。」



 星海坊主がこそっとに聞こえないように尋ねる。父親に当たり前のように声をかけられたこと自体、正直不快感を覚えたが、少し考えた。



「そうだよ。よく知らないけど、」

「白い悪魔って呼ばれてたガキ、聞いたことがねぇか?」

「あったかも?」



 神威が地球に行ったのは、を拾ったきりだ。それ以前も以降も行ったことがないし、攘夷戦争最中のことなど、知らないし、知ろうと思ったこともない。もう終わった戦場で、そこであったことに興味などないからだ。



「俺も眉唾だと思ってたんだがな。」



 星海坊主が小さな端末を取り出す。どうしても先ほどの発言が気になって、調べたらしい。

 それは幕府の指名手配犯と理由が並んでいる。神威がざっと目を通すと、重要な犯罪者の中に、一つ、写真も人相書きもない名前だけの手配書が含まれていた。一度ちらりと見たが、中身まではきちんと確認していなかった。





『高杉  白い悪魔 推定10代後半 150センチ前後 攘夷戦争、荻の戦いにおける天人の大量虐殺を主導。戦艦10隻を落とした被疑者。』



 端的に、指名手配書はの過去を見据えていた。




「…、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」



 神威は端末をしばらく見て、固まってから、後ろを振り返る。ところがそこに彼女はいなかった。




君は逃げる