『ほら、見てみて!すごいでしょ!ぽち君パワー!』






 少女が無邪気に、一つに束ねた銀色の癖毛を揺らして笑っている。少女の姿は今と変わっておらず、でも今と違って表情豊かで、くるくると表情が変わる様が、子供っぽい。映像として少女は鮮明だが、後ろにいる人間たちの輪郭は髪の色と長さくらいしかよくわからない。



『おいおい、おまえ以外の映像乱れてんぞ。』




 少女の後ろの椅子に座って、机に頬杖をついているであろう黒髪の男が言う。




『映像残ったら困るでしょ!それに、やっぱ元がお魚だから、これが映像認識の距離については限界なの。だから近距離しか映んない。でも他の能力でちゃんと人物把握出来るから、大丈夫。大丈夫。』

『何が大丈夫だ。バァカ。』

『うっさい!後でなおせるか考えてみるもん』



 少女はぷうっと頬を膨らませて、後ろを振り返った。




『元が金魚だ。上出来な方じゃね?』

『お兄には欠片の価値もわかんないだろうけどね。お兄馬鹿だから。』 

『うっせぇ!兄ちゃんは肉体言語専門だ!!』




 黒髪の男の近くの椅子に、それはもうだらしなく二つも椅子を占領してふんぞり返っていた銀髪の男が、酷く気怠そうな声で言い、面倒くさそうに拍手をしてから後ろを振り返る。そこには唯一扉の横の壁にもたれていた長髪の男がいて、ふっと息を吐いた。



『まぁ良いのではないか?白赤の金魚なんて混ぜればピンク。ピンク映像なんてなんかエロ…』




 横から少女に蹴り飛ばされてフレームアウトした。叫び声なども入っているが、映像はないので、破壊音だけが響き渡っている。



『あ、手汚れたからわたし洗ってくるわ。』



 明るい少女の声とともに、扉の開け閉めの音がスピーカーから流れる。



『アホの俺でもわかるけど、これってやばいんじゃね?火ぃ噴く金魚とか、もう金魚じゃなくね?』



 銀髪の男は面倒くさそうだが、声音に不安もにじませていた。



『いや、単独で宙泳いで戦艦の壁面引っぺがしてコード繋いで、撃墜するそのスペックに不安を覚えろよ。』

『というかな、そもそも火を噴くとか金魚じゃなくね?』



 黒髪の男がいうと、フレームアウトをした長髪の男が付け足すために映像に戻ってきた。だがその最初と同じ台詞が心底むかついたのだろう。黒髪の男に飛ばされ、長髪の男はまたフレームアウトした。




『はー、お兄ちゃんは心配だぜ。あいつ何にもわかっちゃいねぇだろ。』




 銀髪の男はため息とともに、少女への心配をはき出した。

 火を噴き、自力で宙を泳いで戦艦の壁にとりつき、壁面をはがしてコードを繋ぎ、中枢システムを支配下に置き、船を撃墜させる。愛らしい金魚につけられた機能は、もう金魚としてのアイデンティティは形だけという状態にまでさせていた。

 しかもたかが金魚を中枢に、こんな機械が作れるのだ。大量生産も可能だろう。そのことにある程度の年齢であろう男たちは気づいていた。

 しかし、発明した本人である少女はわかっていない。




『…こんなものが、果たして必要なのだろうか。』




 長髪の男は、椅子にしがみつくようにしてフレームインしてきた。



『まー、量産始めたら俺が止めらぁ。』

『どうにか止めるしかねぇんじゃね?』

『おまえら二人ともに甘すぎるんだ。…まぁ、俺も甘いのだがな。』



 黒髪の男も、銀髪の男も少し考えて、ため息をつく。それに長髪の男も呼応した。




『俺たちは、恐ろしいことをさせているんじゃないのか?』




 敵を倒すために必要だというのはわかっている。それは彼女の科学的な興味ともぴったり合致していて、敵の科学に対抗するものを彼女は次々に発明し、技術的にあまりに劣っているはずの自分たちの全てを支えている。

 だが、それは必要なのだろうか。




『おい、早蕨ぃ、』




 黒髪の男が、口を開いた。ただ答えは返らない。




『ぽちの方が気に入ってるらしいぜ。ま、おまえにゃその方が似合いだな。』




 銀髪の男は呆れたように言い直した。そして銀髪の男の手が伸びてくる。



『あいつ馬鹿だから管理者権限は俺たちしか持ってねぇらしいじゃねぇか。だから、おまえは自分の考えであいつを止められるだろ?』



 少女は誰もが認めるほど、どこまでも賢くて、でも、どこまでも子供で、まだ馬鹿だった。だから仲間を守ることしか考えておらず、そのプログラムで絶対的な主導権を持つのはここに映っている三人だけ。このプログラムを作り出した少女ではない。



『あいつが間違ったらぶん殴って止めて、傍にいてくれる奴の、したいこと、手伝ってやってくれや』



 ぐらぐらと映像が揺れるのは、頭を撫でられたからだろうか。ぼやけた視界に映る、銀髪の男の口元が笑みの形を作る。



『確かにな、こんな時代、死ぬまで一緒にいるつもりだが、何があるかわかんねぇからな。』




 黒髪の男が肩をすくめてみせる。



『そうだな。俺たちがをいつまで止められるか、わからん。』



 長髪の男はいつの間にか頭から血を流していたが、格好をつけるように腕組みをして、大きく頷いて見せた。男たちは顔を見合わせて困ったように笑う。



『俺たち三人からの命令だ。』



 彼らの目には、確かに少女への愛情がある。



『誰だって良い。ひとりでも良い。泣き虫のあいつの隣にいてやって欲しい。だから、』




 銀色の髪の男が、妹に、黒髪の男が妻に、そして長髪の男が腐れ縁の幼馴染みに向けた、確かな願い事。それを託された。




『違いねぇ、あいつぁ、兎ちゃんだからな。寂しかったら死んじまう。ぽちぃ、おまえは忠犬だろ?』



 黒髪の男がふざけたように笑う。

 忠犬はハチで、しかも秋田犬だ。ここにいるのは忠犬ならぬ忠金魚で、しかも名前はぽちだ。それでも、託された願いは変わっていない。



『約束だぜ』



 そう、託された約束は、ぼやけた映像としてぽちの心の中に深く深く残って、ずっと主と、主の大切な人を待ち続けた。

 ずっと、ずっと。



やくそく



 金魚のぽちが、たまたま部屋にあった画面を使って見せたのは、まだぽちが、そしてが幸せだった頃の光景。映像。

 金魚にしか見えなかったぽちが、映し出したのは、まだ少女と言っても若いくらいの、無邪気な天才と、その兄や大切な人たちとの、約束。ぽちが信じた、優しくて、きっともうとっくに失われてしまった光景が、映像が、消えずに残っている。



「なんだい、普通の嬢ちゃんじゃねぇか。」



 星海坊主は目尻を下げて笑ってしまった。

 無邪気に、楽しそうに、彼女は笑っていた。愛想笑いなんて知らない、星海坊主の娘・神楽と同じような笑顔でくるくるとよく話して。今のがすれているのは、そしてあまり自分の考えを口に出さないのは、きっとこの人々がもう失われてしまっているからだろう。

 人に頼らないのはきっと、頼ることによって誰かを押しつぶしてしまったから。



「だから言ってるじゃないか。ね。もう一回、やる?」




 神威は肩に担ぎ上げた傘の切っ先で、星海坊主を示す。するとまた神威の肩に乗った金魚がぱくぱくと口を動かし始めた。星海坊主は先ほどのように火を噴かれるのではないかと恐れ、手を慌てて顔の前で横に振った。

 あれをまともに食らえば夜兎と言えど簡単に穴が空く。実際に隣にあった壁は深くえぐり取られていた。



「やめろ!わかった!!嬢ちゃんを助けに行く!」

「別にいらないよ。俺一人でも十分だし。あ、でもが死んだらおまえを殺しちゃいけない理由はなくなるよネ。」




 神威は可愛く首を傾げて見せた。

 神威は星海坊主と殺し合いたいのだろうが、とは争うのを避けている節がある。彼女の執務室で見たが、彼女は神威を全く恐れず、争うことすらも怯えない。神威を恐れずくってかかるあの強さを、神威は愛しているのだろう。

 夜兎に面と向かって逆らうというのは、恐ろしいものだ。強がりは言えても、歴然とした力の差というのはやはり恐ろしく、僅かなりともやはり怯む。しかし彼女は一ミリたりとも退かなかったし、もし喧嘩になったとしても、その刀で神威に抗うだろう。

 だからこそ、神威は退くのだ。まだ、殺したくないから。



「なんだかんだ言って、」



 殺したくないと思うくらいには、好きなんだろう。それは父親である星海坊主まで殺そうとした神威にとってみれば、初めてのことかも知れない。彼は彼女に出会って少しだけ、変わったのだ。

 彼女への執着はどこに向かうのか。

 夜兎の本能に忠実で、親殺しなんて伝統まで引っ張り出した闘争本能の塊の神威。その相手になったのも、相手もかつてないほどの化け物故に、行き着く先は、星海坊主にも想像できない。いつか、宇宙を巻き込む恐ろしい存在になるのかも知れない。今どちらかを殺しておくのが、世界のためだろう。

 だが、あの言葉が耳をつく。



『あいつが間違ったらぶん殴って止めて、傍にいてくれる奴の、したいこと、手伝ってやってくれや。』 




 銀色の髪をした、顔ははっきりしなかったけれど、の兄だろう。彼はそれだけを、ぽちに願った。

 単純に彼女が生きることを願ったのではない。彼女が一人にならないように、幸せであるように、願った。彼はきっと、がいたその場所こそが幸せだと知っていたのだろう。彼とその仲間たちはきっとが間違ったことをしていたら、ぶん殴って止めていたはずだ。



「あの嬢ちゃんのお兄様方に免じて、信じてみるか。」




 星海坊主はふっと笑う。は怖いものを、「自分と無知です、」と言った。それは過去からの反省だろう。

 星海坊主は自分を殺そうとした息子のことも、息子を殺そうとした自分の本能のことも、信じることは出来ない。殺し合う、それが夜兎の本能であり、認めることしか出来なかった。だが彼女は過去を反省し、少なくともなにかを考えたのかもしれない。

 星海坊主は、今も探している。間違えた過去の答えを。傷つけるばかりのこの手が、確かになにか守れたのではないかと。

 彼女は自分が恐ろしいと理解し、そして何を思ったのか。

 間接的とはいえ彼女は神威を止められる。ならば、同時に神威もまた彼女を止めることが出来るのかも知れない。

 そして、それが何を生み出すのか。




「ぽち、を探してよ。さっきのの兄貴たちの話が本当なら、俺の言うこと聞いてくれるんだろ?早く殴り飛ばしに行こう。」

「いや、夜兎が殴り飛ばしちゃ地球人死んじゃうだろ。」

「良いんだよ。は一発KOくらいしないと、無理して動くから。」




 神威はけろっとした顔をして、金魚のぽちに命じる。ぽちは漆黒の、正直何を考えているかわからない瞳で神威を見ていたが、大きく頭を振って、ひらひらとしっぽを振って右左を示した。星海坊主は小さく苦笑する。

 確かに、人型のからくりを相手に一人で行ってしまうなんて、無茶だ。死に急いでいるとしか思えない。



「白い兎さん、見つけに行くかね。」




 星海坊主も同じように言って、赤白の金魚と並ぶ息子の背中を眺めた。少しだけ、少しだけ彼が変わったように見えたのは、気のせいだろう。

 だが、あの少女が無邪気に笑う姿をもう一度だけ見てみたいと思った。



君を捕まえる