『あぁ?また泣いてんのか?泣き虫が。』




 ぐずぐずと蹲って泣くの頭上で、困ったような声が聞こえる。見上げるとそこには自分より少し背が大きいくらいの、少年の顔が合った。




『銀時が心配してやがったぞ?』

『おにいが、おいてった…。』

『おまえがはぐれたんだろうが!』




 ばしっと頭を叩かれる。遠慮もないので頭が痛くて、がんがんした。

 兄はいつも甘いため、はぐれてもどこかに勝手にどこかに行っても怒られない。でも彼は違っていた。頭が痛くて両手で押さえてぐずっと鼻をすすって「いたい」と主張すると、はーとため息が響く。どうやら心配してくれていたらしい。

 目をぱちぱちと瞬いていると、目の前に彼が膝をついた。それに迷うことなく小さな手を伸ばした。小さなにとって、彼の背中はとても大きい。




『おまえがはぐれたんだろ。今回はなにに気をとられてたんだぁ?』

『う、っう、たまぁ…』

『猫かぁ?』

『ねずみ、まるいし、かわいい、から。』

『誰がうまく言えって言ったよ。それにネズミなんてそこら中にいんだろうが。』




 そんなんではぐれんじゃねぇよ、と呆れたように揺さぶられる。温かい。ずっとずっと誰かにおんぶされて生きていた。迷子になっても探してもらって、そうやって、ずっと頼ってたよって。それが当たり前になっていた。




「…」



 瞼を開ければ、鉄板に囲まれた丸い空間。どうやら少し眠っていたらしい。冷たいのに、腹から流れる血だけが熱くて、ため息をついた。

 人型のからくりたちに襲われ、床を引っぺがして、犬型の天人たちが殺されている間に何とか逃げ出したわけだが、これからどうするかまだ考えていない。

 エイリアンの駆除は終わっている。報奨金の条件はクリアしているので無理矢理押し切れば報奨金自体はもらえるだろう。ただし、人型のからくりを止めなければ多分、この国の人々は襲われ続けるだろうし、も顔を合わせれば殺されるはずだ。

 このまま第七師団の船に戻っても、からくりたちは襲いに来るだろう。母艦にはそれなりのプログラムも設備もあるから、どうにか出来るかも知れない。ただ、犠牲者は出るはずだ。

 がここでどうにかするのが、一番早い。




「どうしようかな。」




 は呟いて、腹を押さえたまま、三角座りをしながら膝頭に額を押しつけた。

 今のところ全てのプログラムが停止されているが、それを人型のからくりだけにきく電波になるように、組み直さなければならない。それをつかって、人型のからくりを止めるのだ。プログラムを組むのは時間がかかる。

 しかもあのシステムのメインルームはきっと、人型のからくりでいっぱいだろう。裏側からハッキングをかけると言うことは出来るが、の持っているスマートフォンでは質力不足だ。ぽち君1号でぎりぎりと言ったところだろうか。

 は自分の戦略を頭の中で巡らせるが、あまりよさげなものはなかった。

 腹の傷はまだふさがっていないし、左腕に破片があたったため、そちらの動きも悪い。人型のからくりはせいぜい蹴散らせて数体、スマートフォンで出来ることも限られている。



「どうしよう…」 




 結構勝算ってないんじゃないだろうか。

 出力が足りない限りは、メインルームに入って10分間は少なくとも頑張らなければならない。でもメインルームは人型からくりだらけ。手で溢れてくる血を押さえながら、は大きなため息とともに、空気をはき出した。

 死ぬわけにはいかない。でも死にたい。子供のために死ぬわけにはいかない。




「やるしかないな。」





 左手が動かないのでは、鍔を押すことが出来ないので、先に刀を抜く。壁の向こうに相手が通るのを見越して刀を振り下ろしたが、そこにいたのは神威だった。壁とともに切り裂かれた破片の向こうに青色の瞳が丸く見開かれているのが見える。




「え!」




 は刀と勢いを止めるために、思わずバランスを崩す。その身体を支えたのは神威の腕だった。ころんと傘の切っ先が落ちる。



「ご、ごめ、」



 刀の一閃を受け止めたのだろうが、傘の先が切れて床に落ちる。それだけが視界の端に見えて、は慌てて神威を見上げたが、そのまま肩を強い力で掴まれ、叩きつけられる。は背中の壁に痛む左手で手をついて、反動をつけ、何の遠慮もなく目の前の神威を刃で突いた。

 だが一瞬早く神威の腕はの肩から手を離し、宙に飛ぶことによってそれを避ける。はその隙に神威から距離をとった。

 青い瞳がゆっくりと細められ、を見据えている。




「おいいいいいいい!嬢ちゃん血だらけじゃねぇか、このままじゃ死ぬだろ!!」



 星海坊主が慌てた様子で叫んでいる。



「うっさいな…」



 彼の低い声が何故か耳について、苛立ちのあまりは顔を顰めてぼそりと呟いた。星海坊主が目を見開いているが、もうそんなことはどうでも良い。父親の星海坊主には悪いが、彼と殺し合いをする時はこちらも本気で行かなければ、殺される。

 これは見捨てられたかなと考えつつ、は止血が終わっていない腹を左手で押さえながら、腰を低くし、刀の切っ先を後ろにして構える。

 何でこうなったんだろうと、疲れた頭で目の前の事態を処理しようと思考を巡らせた。
迷子



 敵と間違えたんだろう。傘の切っ先を刀によって切り落とされ、が目の前にいると思ったら、苛立ちの方が先に立って、思わず肩を掴んで壁に叩きつけてしまったが、刀を抜いていたはすぐに応戦してきた。




「俺を置いていくなんて、良い根性だよね。おまえ。」



 神威はに冷たい殺気を向ける。だが彼女の漆黒の瞳は静かで、鋼のような鋭さをたたえたままだ。それが神威の苛立ちを煽る。



「…エイリアンも止まったんだし、ここからはわたしの仕事だよ、」




 は何をしでかしたのか、ぽたぽた血の滴っている腹を左手で押さえている。それでも右手で刀を構え、神威を見つめる漆黒の瞳は、痛みも、何も見ていない。ただ自分に与えられた任務を自分一人で果たすと言うことしか、考えていない。考えられない。



、流石におイタが過ぎるヨ。」



 神威は先のなくなってしまった傘を肩に担ぎ上げる。




「わたしはまだ仕事が残ってるの。」

「おまえはいつもそれだ。いい加減にしなよって、来る前に話しただろ?」

「そうだっけ?」



 はいつもの通り、軽く小首を傾げてそう言って見せた。神威はぷちっと自分の中のなにかが切れるのを感じる。結構怒りの沸点は低い方だと思っていたんだが、ここまで我慢した方だと冷静な部分が勝手に拍手をした。




「じゃあ、今死んじゃえよ。」




 神威は軽い口調でそう言って、傘を持ち、に肉薄する。普通であれば団員ですら神威の殺意に怯え、一歩下がるというのに、彼女は一歩も退かない。その冷静な漆黒の瞳で神威の動きを一瞬の隙もなく見据える。

 傘を振りおろした神威の動きを横にずれることによって避け、刀を持ったまま神威の間合いに入ろうとまっすぐ迫ってくるが、やはり腹の傷のせいか、いつもより少し速度が遅い。傘をそのまま横に走らせ、の横っ面を殴ろうとするが、彼女が上へ飛んだ。

 そのままの刀が神威の首を狙う。だが、神威は傘を捨て、片手で彼女の右手を、そしてもう肩の方の手での細く白い首を掴んだ。



「っ、」




 は苦しそうに表情を歪め、首を持っている神威の手を、刀を持っておらず、押さえられていない左手で引きはがそうとするが、左手に怪我があり、肩をはめたばかりと言うこともあって、全く力が入っていない。

 今の状態でが神威に勝つのは不可能だ。




「神威!!」




 成り行きを見守るしか出来なかった星海坊主が神威を止めるように叫ぶが、手は出してこない。手を出せばこの瞬間、の命が奪われるとわかっているからだろう。




「選びなよ。」





 神威が少し手に力を入れれば、彼女の細い首など折れてしまうだろう。彼女の体はいつも神威が予想するよりずっと脆くて軽い。片手で持ち上げるのなんて、簡単だ。愛を囁くように彼女の耳元にゆっくりと唇をよせる。



「ここで殺されるか、いやなら手伝ってくださいって泣いて請え」



 自分のためには生きていない。子供のために、ここで死ぬわけにはいかないはずだ。その生への執着と、重荷を負うから出来る強さを、神威は知っている。だが、はぐっと刀の柄を握りしめ、体に軽く反動をつけて思いっきり神威の鳩尾を思いっきり蹴りつけてきた。



「こんなの、」




 夜兎にとって地球人の蹴りなんて痛くもかゆくもないし、どうってことはない。だが神威は次の瞬間すぐにぱっと手を離し、後ろに下がって距離をとる。蹴りに気をとられたために、の刀を持つ手を握っていた方の手が、緩んだようだ。

 後ろに下がらなければ、神威の方が刀に切られていただろう。はコンクリートの床に何とか膝をついて、刀を構える。




「どっちも願い下げだね、」




 漆黒の瞳は熱さもない。怒りもない。ただ目の前の選択を静かに見据え、答えを出す。ぞくりとするような高揚感が神威の心を支配する。脅しても屈しない、ちっともこびを売ってこない。なびかない。

 だから、彼女が欲しい。自分のものにしたい。彼女を。




「…俺は好みのおかずは最後まで残したいタイプなんだよネ。」




 神威は自ら退いた。




「それに、おまえは俺の子供を産んでないし、俺はおまえに借りを返してない。」





 神威は肩をすくめて両手を挙げ、足下にあった壊れた傘を彼女の方へと蹴る。からんとコンクリートに転がったそれを見て、やっとも刀を構えるのをやめた。



「貸した覚えなんてないけど。貴方を助けたのは、宇宙に連れてきたので、チャラでしょう?」



 は少し不思議そうな顔をする。




「この間、幽玄と戦う舞台、用意してくれただろ?」

「そんなのたいしたことじゃないよ。」

「たいしたことじゃなくても、借りは借りだよ。」

「貸した記憶もないんだけど。」

「俺が借りたと思ったら借りたんだよ。それにおまえは好きにしたら良いよ。」




 神威はの方へと歩き出す。は唇を引き結んでいたし、漆黒の瞳は静かで、冷静だったけれど、僅かに目尻が下がり、眉が寄せられていた。

 泣かない、平気そうな顔をしてばかりの彼女だけど、そういうわけじゃない。無様に這い回って、無理ばかりして、でもそうして死んでしまっては面白くない。

 神威は借りも返さないうちに、死なれるなんて後味が悪い。自分のものが他人に殺されるなんて絶対嫌だし、これほど強くて賢いなのだから、肉体的に強い神威との子供はきっと頭も体も、もっと強くなるだろう。





「もう良いよ。俺も時間の無駄だから、お話し合いなんてしない。」





 くどくど悩むなんて、神威にはそもそも向かない。色々に対して思うことや、言えないこと、聞けないことはあるけれど、やっぱり悩んでもそこに落ち着くのだ。



「肉体言語の方が元々得意なんだ。だから、俺も勝手におまえを引きずってつれて行くし、ついでに引きずってでもついていくことにするよ。」



 神威はの体を抱きしめる。彼女は神威よりも10センチちょっと背が低いから、少ししゃがんで、神威はがしりと彼女の細い腰に腕を回した。



「え、え、あた、あたたたたたた。」




 腹の傷はそこそこ深いらしく、血もまだ出ているため、は悲鳴を上げたが、神威はお構いなしにそのまま抱え上げる。




「ちょっと神威っ、」

「安心しなよ。俺はをいつでも背負ってあげるし、いつでも殺してあげるよ。」




 自分の知らないところで無理をされ、勝手に死んでもらっては困る。

 彼女がどこかに行きたいというのならば、神威が止めようとしても勝手に行くのだ。だから神威もついて行く。そして神威がどこかに行く時は彼女を連れて行く。どんな矛盾をはらんでいようと、深く考えない神威にとっては関係ない。

 その過程で彼女の子供を一緒に背負うことになっても、時には彼女を背負うことになったとしても、何だって良い。神威だって、彼女を利用して生きているのだ。彼女も潔く利用すれば良い。それに怯える必要なんてないのだ。くらい背負ったくらいで潰れるほど、神威は弱くない。




「何がしたいんだい?誰を殺したい?さぁ、行こうじゃないか。」






 一緒に、と言うと、彼女はびくりと神威の肩の上で体を硬くしたが、ぎゅっと神威の背中の服を握った。答えはなかったけれど、それが答えだと神威は都合よく解釈することにした。








君といる