廊下で座り込んだり蹲っていると、彼女が通りかかれば必ず声をかけてくれる。



「どうしたの?」



 身をかがめた拍子に、さらりと一つに束ねられた銀色の癖毛が肩から滑り落ちる。書類を小脇に抱えた彼女は、第七師団の参謀兼会計役で、団員の生活の悩みはすべて彼女によって簡単に解決されることが多い。



「なんか整備に失敗したっぽいんですよ。足動かなくて。」



 夜兎が体の一部を欠損するというのは、戦闘部族であるためよくあることだ。そのかわり義足や義手が発達している。ただ整備が難しい精密機械であるため、壊れて動かなくなることもまた、よくあることだった。



「そりゃ、駄目だよ。それ、ここの機構がもういかれちゃってるよ。買い直さないと、頼んでおくね。」



 はてきぱきと団員の義足の中を開いて状態を確認すると、無理だと早々に判断を下し、端末を袖の中からとりだしてその旨を入力していく。



「いいんっすか?」

「大丈夫、備品で落とすから。その代わりしっかり働いてね。」



 は軽く首を傾げて、にっこりと笑うと、颯爽と去って行った。



「ほんと、可愛いよな。」



 他の団員が、銀髪を揺らして去って行く彼女の後ろ姿を眺め、しみじみと言う。



「ほんとだよな。腕っ節良し、頭良し、顔良し、言うとこねぇよなぁ。」



 第七師団には女はほとんど来ない。来たとしても半年ほどで色々な理由をつけてやめてしまうか、殺されてしまうかのどちらかだ。それなのに、団長の神威とともにやってきた参謀兼会計役のは見事に第七師団に馴染んでいる。

 その剣の腕と頭脳、親しみやすい性格は、団員たちから人気だ。



「…おいおい、そんなことばっか言ってっと、昨日のチンピラみたいに、全身複雑骨折になるぜ。」



 別の団員が、ケラケラ笑って、を褒めた団員の背中を叩く。

 昨日、チンピラのような若者が新人としてやってきて、に掴みかかったという話は、団員の中であっという間に広がった。団員などより数段強いは誰が見ても怪我などしていなさそうだったし、無傷のようだったが、それは当然、団長である神威の耳にも入ったのだろう。

 その新人は夕方には神威と廊下で衝突し、複雑骨折にされて医務室に運ばれた。新人も夜兎、神威も夜兎だ。本来夜兎同士がぶつかったとしても、新人だけが複雑骨折なんてそんなこと、あり得ない。

 誰も口にしないが、神威が何かをしたのだろう。



「姉御、知ってんのかな。」

「知ってりゃ団長と喧嘩してんだろ。」



 は基本的に無駄な殺しを嫌う。

 団員は特にきちんと契約し、お金を払っているわけで、死ねば書類の処理もある。そのため、団長である神威が団員を殺そうとするのを、彼女が止めると言うことはよくあった。それも理由が嫉妬という名の私怨だなんて、ばかげた話だ。

 彼女は神威に対抗するくらいの腕があり、神威もまた彼女には思うところがあるらしく本気になる前に退く傾向にあるので、常に神威を止められるのは彼女だけだ。

 もしもこのことを知っていれば、複雑骨折になる前に神威を止めている。




さん、鈍いからなぁ。」



 弱い新人などに、神威が手を出さないと高をくくっているのだろう。神威は弱いものに興味を抱かない。ただし、それはが関わらない時だけだ。



「とか言って、俺らも同罪だけどな。」



 団員たちは、互いに顔を見合わせて、人の悪い笑みを浮かべる。

 正直、団員であればそれぞれ、それなりににはお世話になっている。もちろん全員が彼女を好ましく思っているわけではないが、団員の多くはを慕っていた。そのため、が新人に掴みかかられ、神威が新人を全身複雑骨折にしたとわかった時、すぐ行動に出た。

 散々脅して、近くの星に置いていってくれと泣いて頼ませたのだ。



「姉御には長生きしてもらわねぇと。」

「そりゃ違いねぇ、」



 団員たちは笑いながら、今日も全身複雑骨折をして満身創痍で船を下りた誰かのおかげで、平穏が守られていることを愛おしく思った。

黒幕の団員さんたち





「あおい。まみー、まっさお。」



 と一緒に風呂に入った幼い東が、の背中を見て驚いた顔をする。

 湯船に入っているが、一応バスタオルを巻いている。ただ背中の痣は大きいらしく、バスタオルを巻いても一部が見えるらしい。新人に手を払われ、何にぶつかったのか忘れたが、東が言うと言うことは相当酷いのだろう。

 首には未だ、神威に噛まれ、血まで出た傷がくっきりとついたままだ。



「そんなに酷い?痣。」

「だから言ってるだろ。後で湿布貼るヨ。」



 同じく湯船につかっていた神威は、さも当たり前のようにの背中に触れようとする。それが恥ずかしくて、顔色が変わらないうちにはそっぽを向いた。

 もくもくと湯気があちこちに立ちこめている。もともと団長の居住区域だったと神威の部屋についている風呂は、三人で入っても十分に広い。だからたまに、子供も含めて三人で入ることがあった。ただはあまり歓迎していない。

 神威が肌に当たり前のように触れてくるのも、としてはくすぐったいし、恥ずかしい。



「まったく、次やったら…」

「あおいろー!」



 神威の言葉を遮って、突然東が高い声を上げて、思い切りの背中の痣を小さな手で押す。



「いった!!」



 の悲鳴が風呂場に響き、驚いたように彼女は息子を振り返った。潤んだ漆黒の瞳を眺めながら、神威は次やったら、東に思いきり痣を押させようと心に決めた。
無邪気な悪魔










「おまえさんさぁ、あの新人に何したんだよ。」




 阿伏兎はどうしても気になって、神威に尋ねる。

 先日やってきた新人は、神威と廊下で衝突し、契約書も交わさぬまま全身複雑骨折となり、船を下りた。骨折する前からなかなか満身創痍だったが、とどめを刺したのは間違いなく神威だ。



「なにも?みんなが言ってるとおりちょっとぶつかっただけだよ。」



 ぴくりとア毛を揺らして、いつもの笑みのまま阿伏兎を振り返る。



「まぁ、岩持ってて、それ落としちゃったけど。」

故意の殺意






「やめて!坊ちゃんやめて!!」



 阿伏兎が悲鳴を上げて逃げている。それを後ろから追いかけているのは、何故か手にファブ○ーズを持っていた。



「なにしてんの、あれ。」



 は執務机に肘をついて、ぼんやりと息子の所業を眺める。



「この間泊まりに行かせた時に、龍山があれ吹きかけたらなおるって教えたんだって。」




 珍しく建設的なこと教えるよね、なんて神威は笑っているが、何故消臭したいのか、には正直よくわからない。ただだいたい龍山は一言多い傾向にあるから、何かしら問題がある気がした。ただには関係ないので放っておくことにする。



「ぎゃああ!」



 わざわざ図鑑を重ねたところに阿伏兎を追い込み、転ばせて顔にファブ○ーズを振りかけている息子を見ながら、神威の言うとおりこの子が強くなるかはわからないが、少なくとも賢くなるのかも知れないなと、自分の息子の成長をとても嬉しく思った。



消臭大作戦









 執務室の壁に二つ穴が空いていた。片方はが新人を狙って、刀が突き刺さったもの。もう一つは神威が傘で龍山を狙った物だ。



「なんか、穴が空いても目立たない塗装とかって、ないのかな。」



 は壁をのんびり眺めながら、思わずそう呟いてしまった。



「ねぇよ。そんなの。」



 副官の龍山は心底呆れたように答える。

 執務室の壁にはよく穴が空く。下手をすれば一週間に2回、凶器はペンだったり、刀だったり、傘だったりするわけだが、が気をつけても壁の穴はいっこうに減らない。



「夜兎って怪力だからね。神威が壁に傘突き立てるだけで穴だよ。」

「安心しろよ。あんたが突き立てた刀も穴作ってら。」



 龍山の突っ込みが辛辣すぎて、耳に痛い。原因はもちろん夜兎でいつも部屋にいる神威の確率は高いが、3割程度はも担っているわけで、結局の所、夜兎の怪力だけが問題ではない。の副官で、実際に同じく怪力である荼吉尼の赤鬼や青鬼が壁に穴を開けたことはない。



「気をつけようか。」

「…そーだな。」



 だけでなく、龍山も何度か穴を開けたことがあるのでしみじみと言う。ただおそらく、それが果たされることはなかなかないだろうと、自分たちでもわかっていた。




修理問題