第七師団の団長となった神威が、副団長となった阿伏兎、参謀兼会計役のをつれて元老の終月へ挨拶に行ったのは、団長に就任してすぐのことだった。
「これ、肩がこるね。」
神威は無理矢理阿伏兎に着せられた上着が嫌で、ため息をつく。
「いやいや、それでもなんもついてねぇ方だぜ?他の団長なんて、びらびら金色ついてたりすげぇんだから。」
面倒くさそうに言う阿伏兎もまた、服を一式新調したのか、黒い服には埃も汚れもついていない。
「でも脱ぎたいヨ。面倒くさい。」
「おいおいおいおい、せめて会談終わってからにしろよ。を見習え。を。」
悪態をつくと、阿伏兎はを振り返って言う。
「ん?」
珍しく明るい色合いの着物を着ているは、フード付きの黒の羽織を脱いで、手にかける。
いつもは地味な色合いの袴を着ていることが多いだが、今日は裾のつまった、すっとした着物を着ている。色も地味なものではなく、明るい淡い緑色で裾に鮮やかな柄がついているし、帯も金糸の入った美しい物だ。
「その服、なんなの?」
「地球の正装。色留め袖って言うやつ。終月様って一応、地球人と夜兎のハーフだし、流石に袴ではね。」
は地球人とのハーフである終月が地球の正装に関して知識があっては困るため、礼儀に乗っ取った形をとったようだ。いつもの袴と違って足下がすぼまっているので動きにくそうだが、いつも腰に差している刀は、紐を通してやはり同じように腰にある。
いつもはひこひこ跳ねている天パを一つに束ねているだけだったが、今日はきちんとふっくらと一つにまとめ、着物と同じ色合いの花の簪をしている。うっすらと化粧をしているのか、白い肌と紅を薄くのせた唇のコントラストが纏う空気すらも艶やかに見せる。
「華やかだねぇ…、こうしてみるとなかなか美人じゃねぇか。」
阿伏兎は顎に手を当ててしみじみと小柄なを見下ろした。
元が可愛らしい顔をしているので、正装も生えるという物だ。とはいえ、いつもは夜兎の男顔負けの腕っ節で、阿伏兎に対する扱いもぞんざいそのもの。阿伏兎にとっては小さな化け物にしか見えないだ。日頃との差異があるからこそ、その美しさは阿伏兎の目にも魅力的に映った。
ただそれを口にした途端、阿伏兎の脇腹に肘がめり込む。
「ごふっ、」
「どうしたの?」
見ていなかったは突然蹲った阿伏兎を不思議そうに振り返る。
「あははは、阿伏兎、緊張しちゃったんだって。ね。」
神威は満面の笑みで阿伏兎を見下ろすが、ゆったりと開かれた青い瞳は全く笑っていない。ここで彼にされたことを口にすれば、ただではすまないと鈍い阿伏兎でもわかり、黙り込む。
「緊張?阿伏兎も案外繊細なんだね。」
は不思議そうに少し首を傾げた。すると一緒に傾いた簪の房飾りが、ちりりと軽く、小さな音を立てる。その音は宇宙船という無機質な箱の中で、酷く柔らかく、耳心地の良い響きを持っていた。
宇宙船の動きが止まると、ゆっくりと神威の目の前にある扉が機械音を立てて開く。外には武器を持ったたくさんの男たちがいて、神威たちを鋭い眼差しで警戒していた。ところが警備兵たちの瞳は、神威の隣にいるを見た途端に見開かれる。
「ひっ、」
引き連れた悲鳴があちこちから漏れ、警備兵たちは一歩後ずさる。
「、何したの?」
「なんだったかな。」
忘れちゃった、とわざとらしくとぼけて、は視線を人波に向けることもなく、逃げ道を確認するように着陸ポート内の状況に目を向けていた。
神威が最初に外に出ると、警備兵たちも真剣な顔で下りてくる神威たちをびっしりと取り囲む。烏合の衆である彼らから歩み出てきたのは背中に大きな剣を携えた屈強な背の高い男だった。
「おまえが、第七師団団長、神威か?」
神威を睥睨してから、重々しく彼は口を開いた。見た目にそぐわぬ、低い声だ。筋肉質の身体からも、彼が警備兵などといった烏合の衆とは違う、戦場での経験を持つ猛者だと言うことは一目瞭然だった。
「そうだよ?」
神威が軽い調子で言うと、少し彼は驚いた顔をしてから、神威の隣にいるを見て、不快そうに顔を顰めた。
「こんにちは、寛保さん、険しい顔にますます皺がつきますよ。」
はにっこりと外向きの穏やかそうな笑顔を浮かべて、男に向けて挨拶をする。
彼はの言葉に答えを返さなかったが、ちらりとを見てから、ついて来いとでも言うように無言で踵返した。その背中からは彼女への不満が感ぜられて、神威は隣を歩いているを見下ろす。
「知り合い?」
「知り合いって言うか、終月様のとこの部下なんだけど、まぁ、予算とかの実務者協議で何度か会ってるから。」
彼女はあっさりした調子で言うが、彼の態度を見ればそんな穏やかな理由ではないだろう。少なくともなにかしたのだ。
神威は彼女の頬紅のせいか少し色づいた頬と、結い上げられているせいか見えるうなじが色っぽいとか、そんな綺麗な彼女を自分のものだと見せびらかしたいなと感じつつ、少しだけ、彼女の姿を誰にも見せたくない、閉じ込めたいと思った。
たまに神威は、彼女に対して今まで他人に抱いたこともないような感情を持つことがある。
悩むのはやっぱり自分らしくないから、もう何も遠慮しないと決めたし、彼女を自分のものということにしようと思っているから、嫌なことはいやというけれど、その感情を抱くことを不快に思ったり、楽しく思ったり、自分でもよくわからない。
でも、今みたいに見せびらかしたいのに、閉じ込めたいなんて、そんな相反する感情はどうしたら良いんだろう。
「なに?」
気づかないうちに神威は彼女を凝視していたらしい。が不思議そうに視線を向けてくる。
「うん、結構美人だったんだなって。」
「それ、言ってること、阿伏兎と一緒だよ。」
そう言われて、神威はすぐに眉を寄せた。その表情の変化をめざとく見ていた彼女は、じっと神威を見上げてくる。
「どうしたの?なんか嫌な顔したよ。」
「なんか阿伏兎ってむかつくね。」
「おい、なんでそうなんだよ。」
「別に。」
阿伏兎の抗議など耳に入らず、神威は自分の胸を押さえて視線を彼女からそらした。
阿伏兎と同じ褒め言葉だと言われた時、ただ単にむかっとしたのだ。胸あたりに詰まるような淀み、詰まっているはずなのにわき上がり、際限を知らない怒りのような苛々、変な不快感。最近たまにあるこの感覚は、といるようになってから知った。
「なあ、あちらさん、めちゃくちゃ怒ってねぇ?」
阿伏兎はこそっとに耳打ちする。
案内をしてくれている大きな剣を背負った寛保という男は、一切口をきかない。背中から既に不快だというオーラがどす黒く出ている気がして、阿伏兎は怯んだようだったが、何度か寛保とも会い、原因の一端どころか、全てを担っているはすました顔で阿伏兎を見た。
「あー、予算のことでちょっとぶんどっちゃったから。彼の所から。」
「予算?」
「うん。だって保険とか色々かけるのにお金いるから前借りしちゃってたんだ。それをちょっとね。詳しいこと、話したほうが良い?」
は神威の方を見て、一応確認をとってくる。
「まぁ、適当にやっといてヨ。判子は預けてるんだから。」
強い奴と戦いたい、戦場にいたいだけである神威にとって、それ以外の全ては些細なことだ。第七師団の団長になった途端、承認印はに放り出していた。
第七師団の団長になってから、神威が書類仕事をしたことはない。参謀兼会計役になったが第七師団の後援をしている元老・終月からもらえる予算の話し合いや、手続き、保険、第七師団内部での食事の支給など、事務処理や予算編成を行っている。
そのためだいたいはの独断と偏見、戦場での采配など実務的なことは阿伏兎との話し合いで決定されていた。
団長になってからの神威はというと、たまに団員と喧嘩をしたり、殺したりしながら、かつて団長の執務室だった、現在ではの部屋で、彼女と阿伏兎が必死で書類仕事をしているのを、の息子の東と遊びながら見ているだけだった。
「もう、仕方ないなぁ。」
は少し呆れたように言いながらも、淡く笑っている。ぼんやりした漆黒の瞳に確かに宿る光に何故嬉しくなるのか、この感情に名前をつける気はないけれど、嬉しいのだから良いか、と神威は短絡的な思考でそう思った。
ご挨拶申し上げます