元老の終月との会合の帰り、ばったりと廊下で鉢合わせたのは、商談のために来ていた坂本と部下の陸奥だった。
「陸奥だ、」
は珍しく漆黒の瞳を輝かせて、声をかける。振り向いた陸奥は僅かに目を見張って、三度笠を上げた。
「おぉおおぉ、じゃなか?元気じゃった…ぐべっ!!」
「!おまん、そこのアホ毛に何かされとらんか。」
坂本を蹴り飛ばし、陸奥はへと歩み寄って無事を確認すると、開口一番神威を睨んでそう言った。
地球を出る時、と神威、そして息子の東は快援隊の船に乗せてもらって宇宙へと踏み出した。その後、はメールで何度か坂本ではなく陸奥には近況を知らせていたが、第七師団内部のごたごたもあり、最近連絡がおろそかになっていたので陸奥も心配してくれたのだろう。
「酷いなぁ、まったく、に対しては俺、比較的優しいヨ。失礼な奴だ。」
神威は陸奥を見て、肩をすくめる。
「何が優しいの、たまに襲ってくるのに」
「たまに、でしょ?が言うことを聞かないから悪いんだよ。」
「殺してくれんなよぉ。ほんと頼むぜ、団長。」
阿伏兎ははーとため息をついた。
と神威という恐ろしいカップルと一緒にいるようになって阿伏兎がわかったのは、この二人の痴話喧嘩がなかなかに暴力的だと言うことだ。神威は元々我慢するようなタイプではなく、気に入らないと思えば手を出してを止める。
それに対しても神威の行動が自分のポリシーに反していて気に入らないと思えば、全く怯むことなく止めにかかる。そんな根性、阿伏兎にはない。
「おいおい、この嬢ちゃんも夜兎じゃねぇのか。」
茶の長い髪の女。傘こそ持っていないが太陽の光は三度笠で防げるだろう。三度笠で影になっているが、肌は白く、肌の露出がほとんどない服装からも、間違いない。
「そうなの?ま、どうでもいいや。ごめんね、連絡もせず、ちょっと忙しくて。」
は一瞬尋ねたが、関係ないと判断したのだろう、笑って陸奥を見る。陸奥はあっさりとした彼女の態度の方に少し驚いたようだが、僅かに目尻を下げた。
と陸奥の身長はそれほど変わらない。年齢という点なら間違いなく、の方が年上だろう。ただ貿易商も宇宙海賊も、宇宙で四角い鉄の船に乗るという危険から、女などほとんどいない。友人の少ない陸奥にとって、は初めての女の親しい人物だった。
ちなみににとってもそうだということを、彼女は知らない。
「忙しいのは構わんが、子供も元気か?何か困ったことは?というかその格好は何じゃ。」
陸奥はに怪我がないか一通り確認して、その姿に気づいたのか、驚く。いつもは袴姿のが、色留め袖で正装していたからだろう。
「ないない。というかむしろなくなったんだよ。神威が団長になったから。宇宙海賊・春雨の、第七師団の。だから元老の終月様にご挨拶に来てたんだよ。」
「…」
陸奥はそれを聞いた途端、複雑そうな顔をした。知人が宇宙海賊の団長になったと言われても、なかなか良い顔が出来る人間はいないだろう。至極当然の感覚だ。
「本当に良いのか?」
陸奥があまりに心配そうに目尻を下げて尋ねてくるので、は「ん?」と小首を傾げた。ちりりとその拍子に、簪の房飾りが鳴る。彼女はその音が気になったのか、きちんと結い上げられているの銀色の髪についた簪に触れようと無意識に手を伸ばした。
「駄目だよ。俺のものに触らないで。」
ひょいっと傘を持っていない方の手での腰を持って、上に持ち上げて陸奥から取り上げる。
日頃なら抵抗して容赦ない蹴りを入れて神威の手を逃れるも、今日は服装が悪かった。袴ではなく留め袖であるため、蹴りを入れるために足が開けず、そのまま大人しく肩に担ぎ上げられるしかない。足や手をばたつかせるが、がっしりと神威の腕がの腰を掴んでいるため、どうしようもなかった。
「ちょっ、神威!邪魔をしないで!」
「が言ったんだろ?俺のものだって言うなら、そうさせることだって。」
にどれほど神威が「おまえは俺のもの。」なんて言ったところで、ちっとも言うことなど聞かない。それでも神威がを自分のものにしておきたいのならば、そしてそれを他に示したいのなら、自分に無理矢理でもそうさせることだ、と宣言している。
だから、神威もそうする。
「神威、下ろして、」
は僅かに声音を低くして、腰にある刀にゆっくりと手を伸ばす。だが神威はすぐにの刀の柄を押さえた。
「だーめ。俺は今日、結構苛々してるんだ。」
そう言って、神威は転がっている坂本に目を向ける。夜兎の陸奥に勢いよく押しのけられたため、彼は壁に激突して床に崩れ落ちていた。
「こりゃ、誰だぁ?」
阿伏兎はしゃがみ込んで、血だまりの中にいる男を見下ろして首を傾げる。
「快援隊って言う貿易商の…頭、のはず。」
は神威の肩に担ぎ上げられたまま、説明する。神威はじっと坂本をその青色の瞳で見下ろしていたが、軽く蹴り上げた。
「神威!」
「おーおー、やっちゃってー。そのまま不能にしてくれりゃ…」
「陸奥!本当に神威やっちゃうから」
陸奥は軽い調子ではやし立てる。ただ神威にはそれは本当にまずいとわかっているため、は慌てて止めた。神威はというと、を抱える腕とは反対の手に持った傘の切っ先を坂本に向ける。
「おまえ、終月にいらないことしゃべったらしいね。」
倒れている坂本はサングラスをかけていて、黒い硝子の後ろに隠れた瞳が何を見ているのかは、うかがえない。ただし、神威にとって相手がどう考えているかなんて、そんなものはどうでも良い。
「次にのこと、勝手にしゃべったら殺しちゃうぞ。」
青い瞳はどこまでも冷ややかで、感情がない。
本能と熱情に押されるようにして殺しをするわけではない。神威自身にもよくわからないけれど、を傷つけたり、勝手に利用したり、後は俗に言う嫉妬という奴。そう言った人間に対して感じる感情は強者であっても熱情はないし、苛立ちに似ているけれど、表現するならば“不快”という奴だ。
神威はそれに名前をつけようとは思わないけれど、“不快”なのだから、仕方がない。
「いやぁ、おまんがそんなにを気に入るとは思わなんだ。」
坂本は床から身を起こし、胡座をかいて神威を見上げる。それは相も変わらず噴いたら飛びそうなほど、軽い口調だった。それが勘に障った神威は、引き金を引いた。
乾いた音が響く。
「冗談だと思ってる?俺、本気だよ。」
壁に空いた穴、それを一瞬見て、それでも坂本は、へらへらとした笑みを変えない。軽い、酷く軽い男だが、神威はそれで、この男もまた終月やの言っていた『サムライ』とやらだと思い出した。と同じ、同時にが認める、強者。
「冗談とは思っちょらん。ただはわしらにとって、可愛い妹みたいなもんじゃ。」
彼は、わし、という一人称ではなく、複数形を用いた。そこにあるのは、確かに培った絆だ。サングラスが僅かにずれ、薄い色合いの瞳が神威をじっと探るように貫く。
「だから、なに?」
神威にしては低い声が響き、ぐっとの腰を掴んでいる腕に、力がこもる。それは坂本が本気だと、わかっているからだ。
「、おまんは良いんじゃな。」
「良いって言ったでしょ。人の話聞いてる?」
は神威の肩に担ぎ上げられた状態のまま、ため息交じりに坂本に言う。
「ならよかよか。」
坂本はいつも通りからから笑うと、すくっと立ち上がって、ついた埃を払う。ただ頭から流れている血は止まっていなかった。
「帰るヨ。」
笑みを返すことなく、を抱えたまま、神威は阿伏兎を一瞥すると、返事も待たずに歩き出した。
「はいはい。」
機嫌が悪いことは誰が見ても明らかだったので、阿伏兎は両手を挙げて降参の姿勢を見せ、神威についていく。
「、またじゃ!」
坂本はに手を振りながら、サングラスをずらして、揺れるアホ毛とおさげを眺めて、小さく笑った。
いざさらば 旧友よ