新たな団員として入ってきた夜兎の少女は、どうやら神威の元カノらしい。
『アンタが神威の彼女なんて認めないって言ってんのよ!!』
に対抗意識むき出しで宣言してきた翠子という名の彼女は、翌日からの後ろをつきまとうようになった。
「早く神威と別れなさいよ!」
の後ろをついてくる声が疎ましい。はボードに貼り付けた備品のチェック表を眺めながら、そんなに話していて疲れないのだろうかと疑問に思った。
「おいおいおい、やめとけよ…」
勇気ある団員のひとりが、こそっと翠子に耳打ちをする。
彼らはの腕が夜兎の男でも全く歯が立たないほどに良いことをよく知っているため、逆鱗に触れればただではすまないと考えているのだ。ただそういうのはのいないよそで忠告してやって欲しいし、自身は団員たちと普通に話したいのに、翠子が後ろからついてくるせいでに対してまで遠巻きだ。
には団員たちが何を心配してるのか、よくわからない。
同じ女ならば普通なら親近感もわくのかも知れないが、元々男所帯で育っていたにとって、女の方がむしろ緊張を強いられる存在だし、特別女だからと言う理由で話したいとも思っていない。団員たちが思っている以上に、は翠子に興味がなかった。
ただし、仕事の関係で見られて困るものはあるので、彼女が団員に意識を持って行かれている間に、は別室へと入った。
「ちょっ、え、あの女、どこぉ!?」
翠子の甲高い叫びが背後から聞こえてくるが、とってはどうでも良い。ひとまず仕事がはかどれば良いのだ。
「早く行こうぜ。」
の副官・龍月はの着物の袖を引っ張って早く見つからない部屋の中へと入るように促すと、後ろを振り返って顔を顰め、むっとした顔をした。
「眉間にしわ寄ってるよ。」
は涼しい顔をして部屋に山積みにされている目の前の白い塊を眺める。龍月は平気そうなの態度が気に入らなかったのか、後ろで舌打ちをしていた。
翠子が来てから、の副官たちはぴりぴりしている。よりも多分彼らの方が翠子のことを疎ましいと思っているのではないかと思う。何故そんな風に翠子を嫌っているのか、にはこちらもよくわからない。
荼吉尼で同じく副官の赤鬼と青鬼は元々恐ろしい鬼の顔をしているし、それほど翠子にあからさまな態度を見せることはなかったが、何やら圧迫感というか、気迫を感じる。夜兎でまだ若い龍山の方は翠子が来た途端に不機嫌丸出しで、酷い時には翠子の姿を見た途端に舌打ちまでしていた。
「怒んねぇの?」
「何に怒るの?彼女、神威の昔話しかしてないよ?うるさいけど。」
はため息交じりにそう呟いてしまった。
翠子は容姿もそこそこ綺麗だが、おしゃべりだった。神威と別れろということ以外にも、いかに自分が彼をよく知っているか、彼の家族を知っているかと言うことを、にこれ見よがしに話すのだ。とはいえ、には一切関係のない話ばかりで、内容なんてどうでも良くて雑音でしかない。
「わたし、元々兄しかいなかったし、周りは男ばっかりだったから、女の話ってよくわからないや。」
「女だからっていうか、恋愛について学んだ方がよくね?」
龍山は少し青い顔でに助言した。は彼の言っている意味がわからず、彼を振り返り、袖からボールペンを取り出し、枠を確認もせず備品の数をチェック表にかき込もうとして、ペン先がずれてひらひらとナメクジが這ったような線だけが残る。
「は?」
「だってさぁ、それ神威さんのことこんなに知ってるんだぜって言って、優越感に浸りたいんだぜ?絶対。あーーーむかつく!!」
龍山は苛立ちついでに近くにあった壁を殴りつける。
「ちょっと、やめてよ。船が廃車寸前の車みたいになるでしょ?」
へこんだ鉄板が入った壁を見て、は額を押さえた。神威も含めて夜兎も荼吉尼も戦闘狂が多いし、基本的にイラチが多いので、廊下の壁はあちこち凹凸が出来ている。正直、としてはそういうことをする奴らを全て廃車にしてしまいたかった。
それに、何に龍山がむかついているのかがわからない。
「神威の過去ってそんなに学術的価値があったの?」
優越感というのはだいたい他人に見せびらかして、自分の方が他人より上だと思うことだが、神威の過去とやらは、どんな価値があるのか、にはわからない。の過去の論文は確かに学術的価値があるかも知れないが、翠子が話していたのは神威の別段珍しくもない日常の昔話ばかりで、価値がどこにあるのか、想像もつかない。
「まあ、研究ってのは変なのもたくさんあるからね。絶滅危惧種夜兎の生態の研究でもしてる人がいるなら、価値があるのかも知れないけど。わたし、生命工学やるけど、工学専門だから、生態は分野外…」
「訳わかんねぇーよ。なんでそんな賢いのに、そんな鈍いんだ。」
龍山は目尻を下げ、むしろ哀れみの目でを見る。
「そう?鋭いから生き残ってると思うんだけど。」
「戦いの勘は鋭いかも知れねぇけど、どう考えても恋愛に関しては最悪だろ。」
「そのわたしに恋愛について相談しに来た貴方の台詞じゃないでしょ。それ。」
と龍山が初めて会ったのは、好きな地球人の女が出来、彼がそのことについてに相談に来たからだ。
「うっせーよ。今は絶対しねぇ…」
「失礼だね。彼女いない歴年齢の貴方と違って、わたしは貴方の年には結婚してたって。」
龍山の方がいくつか年下だが、同じ年頃の頃には既には結婚していた。それを言うと龍山はどんよりとした空気を纏って俯いた。
晋助から逃げ出した後、今ともにいる神威も、殺すために育てているとは言え、の息子である東の面倒もよく見てくれる。強いし、宇宙に連れてきてくれた。彼を見つけたのはまさに幸運だったし、感謝もしている。
それが恋愛感情かと言われれば、よくわからない。ただしが、男を見つける才能はあるのではないかと自分で勝手に思っている。
「前から聞きたかったんだけど、神威さんは俺のものとか叫んでるけど、はどう思ってるんだよ。」
周囲から一言多いと常に言われる龍山は、自分の疑問を素直にに突きつけた。
団員たちに神威は「は俺のもの」と牽制の意味も含めて、いつも豪語している。ただの答えもまた、いつも変わらない。
「わたしは、わたしのものです。」
「…」
「それ以上でも、それ以下でもないよ。わたしは誰のものでもない。わたしのもの。」
いっそ清々しい答えに、尋ねた本人の龍山は少しだけ、神威に哀れみを覚えた。
彼は口にしないが、彼が持っているのは間違いなく恋愛感情で、当たり前の独占欲や嫉妬がある。男所帯の中で、はあまり女らしくないが、それでも女としてみて、襲いたいと願っている団員はたくさんいる。
彼女はそれを団員たちが自分に不満があるからだと思っているが、本質的には違う。彼女が『女』であるからだ。ただ自分で斬り捨てる能力のあるは、あまりそれを問題だと感じていないし、神威がどうして彼女の所有権をおおっぴらに主張しているのか理解できない。
神威という傘の下にいれば、それなりに争いごとを避けられるだろうに、そこに彼女はいようとはしない。
「もうちょっと女々しさとか、弱さあった方が可愛いんじゃね?」
「弱い女なんて案外いないよ。きっとしたたかなもんだよ。」
「あんたみてぇに肉体的にも強い女なんて夜兎でもいねぇよ!!」
どこの世界に夜兎の団員を斬り殺す地球人の女がいるのだ。少なくとも地球でもほとんどいないと龍山は断言できる。
「だから神威も相手してくれるのかもね。」
は笑ってボードに貼り付けた今となっては書き損じの備品チェック表を眺めてから、もう一度目の前にある白い塊の数を数えて、首を傾げる。
「やっぱり足りない…。先週いくつだっけ。」
「え、そうだっけー?俺。おぼえてね。」
「端末で先週の記録調べてって言ってるの。」
の副官は基本的に文字こそ読めるが、せいぜい馬鹿な団員に毛が生えた程度だ。先月の備品の数を覚えているなんて欠片も期待していない。調べろと言ったわけだが、龍山には伝わらなかったらしい。少し苛立ちを覚えながら、は額を押さえる。
「なに?そんなにまずいのか?」
「そこそこにね。麻薬だから、これ。」
第七師団は春雨の中でも比較的敵の排除など一番に戦闘地帯にかり出されるため、暴力、殺人行為はよく行うが、逆に違法な薬の運搬などと言った一般的な犯罪行為に関わることはあまりない。ただ一週間ほど前、第十二師団の勾狼団長の願いで、転生郷という非合法薬物をのせていた。
なくなってもしらないよ、と笑顔で言っておいたし、第十二師団と第七師団では遥かに第七師団の方が大きいので、こちらが怒られる心配はないだろうが、薬とは馬鹿揃いの海賊には厄介なもので、売りさばいている側が、逆に薬の中毒になるなんて話はよくある。
神威が団長になってから、の方針で薬をやっている奴は第七師団から即刻たたき出すか、他の師団に飛ばすというのが一般的処置になっている。
「報告するか?神威さんに。」
「良いんじゃない。どうせ処理すんのわたしだし。」
はもう一度一通り白い塊の数を数えてから、投げやりに言った。
白い鈍感