「ちょっと今の話聞いてた?だからさ、翠子を執務室に入れるなら東に危ないから、部屋にいてもらった方が…」
安全だから、と続けようとしたが、神威の方から銃弾が飛んでくる。
「運動しようって言ってるんだよ。こそ人の話聞いてる?」
傘の切っ先が完全にの方を向いていて、神威は満面の笑みだ。ただ眉が寄せられているため、口と目だけ笑っていて気持ちが悪い。
「なんで神威、そんなに不機嫌なの?」
「質問を質問で返すのは良くないヨ。返事は?」
「絶対遠慮します。わたしは仕事で忙しいんだよ。」
はまた視線を無駄紙に戻す。
備品をチェックしたところ、先週と乗せていた麻薬の量が明らかに違うのだ。転売されたり、盗まれた可能性もある。今のところ先週からどこの星にも降り立っていないので、団員の中に麻薬を盗んだ者がいると疑うのが普通だ。
次の星に降り立つのが今週末。それまでにどうにか犯人を捕まえてしまいたいのだ。
「ひとまず翠子は信用できないから、執務室に入れるなら東をわたしの副官たちに預けてね。」
はずれた話を元に戻す。
すると今度は傘がそのままの方へとまっすぐ飛んできた。は眉を寄せて、身をかがめた。壁に傘がめり込み、突き刺さった状態のまま止まる。壁を振り返ってから神威の方へ視線を向けたが、すぐに向かってくる神威に椅子を投げつけて、横に逃げる。
「おまえらぁああ!何してんの!?」
阿伏兎は眼を丸くして椅子から立ち上がり、叫ぶ。神威は今までがいた場所に着地すると、壁に足をかけて自分の傘を引っこ抜いた。
「おまえらじゃない!暴れてるのは神威ひと…」
は阿伏兎に辛辣な突っ込みを入れるが、神威の傘が自分に向けて振り上げられたのを見て、刀の鐔を親指で押し上げ、柄に手を当てる。青い瞳にはいつもに襲いかかってくる時の熱情ではない、苛立ちが見えて、は少しだけ彼の態度に違和感があった。
ただどちらにしても目の前の神威をどうにかして落ち着かせなければ、話も聞けない。
「なに苛々してるの?珍しい。」
神威は確かにすぐに手が出るが、ほど苛立つタイプではない。彼が苛立ちを見せるのは唯一、自分で処理できない感情を抱えており、その答えが出ていない時だけだ。
「うるさいな。俺は運動がしたいだけなんだよ。」
「じゃあ阿伏兎に頼んでよ。わたしが仕事をしない10分の1の犠牲ですむんだから。」
の仕事量は軽く阿伏兎の10倍を超えている。阿伏兎が神威の相手をすれば、犠牲はの10分の一だ。正し神威が納得するはずもない。
「やだよ。俺はが良いんだ。」
青い瞳はまっすぐとを見て、傘を構えている。
「おまえは嫌だったとしてもね。」
神威が付け足した言葉に、は僅かに違和感を覚える。はそれを黙殺した。
彼が何にむかついているのかはわからないが、どちらにしても彼の運動につきあうならば、殺す気でやらなければならない。色々問題は山積みなので、早く終わらせてしまおうと刀を構え、目の前の神威を排除するために、は漆黒の瞳に鋭い色合いを宿す。
だが、ふたりのどちらかが動くより先に、がしっと神威の足に小さな腕が回った。
「ぱぴー、」
ぎゅうっと神威の服を強く握る。
と神威の痴話喧嘩に巻き込まれないよう副官の赤鬼の傍にいたはずだが、いつの間にか神威の後ろにいた。神威は子供に後ろをとられるとは思っていなかったのか、青い瞳を呆然と丸くする。
も驚いて東を見た。どうやら彼は神威に近づくため、机の下にいて飛びついたようだ。身体が小さいので直に掴まれなければ神威の傘に殴られることがないのをわかっていたらしい。ぴたっと神威の足に張り付いて、神威の服を握りしめている。
「…の言う通りかも知れないね。」
神威はぎりっと音が出るほど傘の手元を握りしめ、ぽつりと呟く。
苛立ってしか見ていなかった。あまりにの態度がそげないから苛々していて、それを解消することしか考えていなかったから、後ろをとられた。これではに、東を守れないと判断されても仕方がないだろう。
「アズマ、離れ…」
「いーや」
東は断言して、ますます神威の背中に顔を押しつける。地球人の子供のくせにはがされまいとする強い力に驚きながら、どうしようかと戸惑う。
「東?」
は神威の背中にへばりついている息子の名前を呼ぶ。とよく似た丸い漆黒の瞳での方をのぞき見た東は、ぷいっとそっぽを向いた。
「まみーわるい。」
「え?」
言っていることがよくわからず、首を傾げる。
「なんで?」
正直突然神威に銃撃されるという理不尽な目に遭ったはずなのだが、何故か息子は完全にに非難を向けている。はよくわからず、乱れた銀色の癖毛をかき上げ、真っ青な顔をしている阿伏兎と、副官の赤鬼を振り返る。
二人とも何やら神威に哀れみの目を向けているのだけわかって、は目尻を下げた。
「え?わたしが悪いの?」
皆の反応を見てその事実だけは理解したが、具体的に何故神威が同情されているのか、理由が思い当たらない。
「俺、食堂でご飯食べるよ。」
神威は淡々とそう言って、傘を持ったままに背を向けて踵返す。
「アズマ、おまえは部屋で…」
「いーや。むいがいい。」
東は神威が全てを言う前に、断言した。
元が神威に懐いている東は常日頃から実母で忙しいよりも継父である神威にべったりだ。に容姿こそその瞳の色形しか似ていないが、頭脳という点で東はとそっくりで、とても賢い。人の感情にも非常に聡い。
「神威?」
は自分の何が悪かったのか、わからないらしく、迷うように漆黒の瞳を揺らしている。
別に彼女が悪いわけじゃない。勝手に翠子を引き入れて、がちっとも焼き餅も焼いてくれないし、反応してくれないのに勝手に苛立って、勝手に怒っているのは神威の方なのだ。それは神威もわかっている。
彼女は何でも出来る。だから自分が必要ない気がして、何も求められていない気がして怒りが沸点に達したのだ。
「…」
のその困ったような目が嫌で、見たくなくて、神威は踵を返す。東は一向に神威から離れず、足に東をへばりつかせたまま、神威は部屋を出た。
「はー、」
部屋を出ると同時に、ため息しか口から出ない。置いて行かれることがもうないとわかった東は神威の足から手を離す。代わりに神威は壁を背にしてその場に座り込んだ。なぜだかわからないが、酷く疲れていた。
「じょぶ?」
だいじょうぶ?と東は神威の頭を小さな手で撫でてくる。
「おまえだけだね。俺を必要だって言ってくれるのは。」
神威は小さく笑って冷たい廊下を眺めた。
団長だ何だと言っても、宇宙海賊だ。自分の利益のために裏切ったりするのはいつものことだ。元々期待していない。神威はを必要としているけれど、何でも出来るにとっては神威なんてどうでも良いんだろう。
純粋に神威を求めているのは、きっと東だけだ。
「そんなことない、まみー むいだいすき、」
東は神威の頭を抱えるように抱きついてくる。神威の明るい色の髪に頬を寄せている東を感じながら、神威はその小さな身体を抱き返した。
は何も思っていないよ、なんて言おうとしたけれど、まだ子供の東に言い返すことは出来なかった。
憎いけど愛しい